第4話 新しい世界
リナはマーシャの家に辿り着いた。
「さ、入ってちょうだい」
「ん」
こくりと小さく頷いてリナは家に中に入っていく。
マーシャの家は、木造の平屋だった。
分厚い丸太を組んだ壁は、長い年月を経て飴色に落ち着いている。
中央には年季の入った木の食卓と椅子が並び、壁際には使い込まれた棚。陶器の皿や木椀が丁寧に重ねられている。
「さ、座ってちょうだい。さっそく、お料理を作るわ」
「うん。わくわく」
リナはリビングのテーブルについて、マーシャの料理を心待ちにする。
(不思議な場所。でも、これが広い世界……?)
これまでリナにとって、家とは休息を取る場所でしかなかった。無駄な装飾など必要なく、ただ寝ることができればいい。食事は外で取っても、家で取っても変わらないと思っていた。
「リナさん。出来ましたよ」
「……っ! いい匂いがする……!」
しばらくして、奥の台所から足音が近づいてきた。濃厚で温かな匂いが室内に広がる。
マーシャは両手で皿を運び、食卓の上にそっと置く。
深皿の中には、とろりとした濃い色のシチュー。角の取れた肉は崩れそうなほど柔らかく、にんじんとじゃがいもが艶を帯びて顔を出している。
「前に作っていたものが残っていたので、少し足して調整しました。お口に合うといいのですが」
「食べても……?」
「はい。もちろんです」
マーシャは慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
リナは口に運び、含む。
瞬間。舌に広がったのは、深く柔らかな旨味だった。塩気は控えめで、しかし物足りなさはなく、身体の内側に染み込んでいく感覚があった。
「美味しい……!」
「それはよかったです」
「おかわりは……?」
「あら。まだ、食べますか?」
「うん」
「全然いいですよ。リナさんは命の恩人なのですから」
リナはそれから満足するまでビーフシチューを堪能した。
「リナさんは旅の方でしょうか?」
食事を終え、リナはそう尋ねられる。
「……。うん、そう」
リナは少しだけ返答するのに時間がかかった。
自分が何者かなんて分かりはしない。けれど、彼女は師の遺言通りに広い世界を知ろうと思った。だからきっと自分は〈旅人〉なんだと思うことにした。
「泊まる宿がないのでしたら、ぜひうちで。来客用の部屋があるので。きっと主人も喜んでくれると思います」
「……泊まっていいの?」
「はい。もちろんです」
リナはどこかで野宿でもしようと思っていたので、少しだけ面食らう。
夜になってリナはベッドで横になっていた。師と過ごした家にはなかったような、柔らかなベッド。リナは初めて経験するものだった。
「ふかふかだ」
普通の人はこんなベッドで寝ているのか。
確かに床で寝るよりは心地いいかもしれない。
そして気がつけば──リナは眠りに落ちていた。
その日は不思議と、深く眠ることができた。
「……朝」
早朝。リナはすぐに起床する。
彼女は朝が強く、どのような時でも同じ時間に起きることができる。
「ふわぁ。リナさん、お早いですね」
「うん」
「ご予定などはありますか? もしかして、もう行ってしまわれるとか?」
「……。少しだけ滞在する。村を見て回りたい」
「そうですか!」
マーシャは嬉しそうにパンと手を叩いたが、すぐに顔を曇らせる。
「ただ……ぜひ、案内したいのですが、実は私は仕事がありまして。主人の様子も見ておかないと──」
「一人で大丈夫」
「そうですか?」
「うん。マーシャもお仕事頑張って」
「はい。ありがとうございます。リナさんは本当に優しいお方ですね」
「……」
優しい、とはなんだろうか。
その言葉自体は知っているが、自分が優しいという感覚をリナはまだ理解できなかった。
マーシャの家を出たリナは、そのまま村の中を歩いてみることに。
家々は低く、木と石で作られた素朴な造りだった。開け放たれた窓からは、話し声や食器の触れ合う音が漏れてくる。
「──おし。今日の狩りは気合い入れるか」
一人の初老の男性が、リナの前を静かに通り過ぎていった。
背は高くないが、足取りはしっかりとしている。腰には使い込まれたナイフを差し、背中には弓。肩からは矢筒を提げていた。
その姿をリナは何気なく目で追っていて、自然と彼に吸い寄せられる。
「……あの」
リナはトントンとその男性の肩を叩く。
「ん? 誰だお前」
「旅人。ねぇ、狩りに行くの?」
「おう。なんだ、お前もついてきたいのか」
「ん」
「ふぅん。お前さん、剣士か?」
「そう」
リナは小さく頷く。
その男性はリナのことをじっと見つめる。彼がリナを剣士だと思ったのは、リナが腰に刀を提げているというよりも──その独特な雰囲気を感じてのものだった。
「まぁいいだろう。俺の名前はフェン。お前は?」
「リナ」
「リナか。よし、じゃあ森に行くぞ。リナ」
「うん」
二人は近隣の森へと歩みを進めていった。
村近隣の森はそこまで危険な場所ではないが、獰猛な獣も多い。中でも魔力や魔法を使う魔物がいることもある。
「リナ。狩りは慣れているのか?」
「そこそこ」
リナは狩りの経験が少しだけある。これまで斬ってきたのはほとんど人間だが、たまに師と魔物狩りをしたことがあるのだ。
「お。さっそくいたぞ。だが、レッドボアか」
レッドボアとは
「リナ。別の獲物にするぞ。レッドボアは美味いが、かなり危険だ」
「危険? 別に危険じゃないけど」
リナは淡々とした様子でそう告げる。
フェンはこれまで多くの人間と出会い、高位の冒険者の知り合いもいる。その経験から一目見れば実力者かどうか分かるが、リナのことはなぜか測ることはできなかった。
「いけるのか? 早く仕留めないと、他の魔物も来るぞ」
「一瞬で仕留めればいいの?」
「そうだが──」
その言葉を最後まで聞くより早く、リナは地面を軽やかにタンッ──と蹴って疾走していた。
姿勢を低くして、刀にそっと手を添える。
「グ? グゥウウウウウウ!」
レッドボアはリナに気がついて臨戦態勢に入るが、それよりも速くリナは──抜刀。
心臓をひと刺しして、レッドボアは絶命。その場にドォンと音を立てて沈み込んだ。
「終わったよ」
シュと刀の血を払って、納刀。そのあまりの剣技を見て、フェンは呆然としていた。
「……は?」
「食べる為にあまり傷つけないようにしたよ」
「……いつの間に斬ったんだ?」
「? 普通に斬っただけ」
「ははは! 俺は長い人生で剣士もたくさん見てきたが、リナの剣はすげぇな!」
「ふふ。剣は得意」
リナは剣を褒められてどこか誇らしげだった。それは彼女の人生の全てであり、師に送ってもらった唯一の祝福だから。
「うし。村のみんなを呼んで、運ぶか」
「持って帰るなら、私がやる」
「おいおい。そんな華奢な体で──」
持てるもんかよ。
と、フェンが言う前にリナはレッドボアを抱えて立ち上がっていた。
「帰ろ」
「あはははは! 全くお前は凄いやつだな!!」
村に帰るとリナは、フェンがロイの父親だったことを知る。
「ロイ! 見ろ、レッドボアだぞ!」
「は……? 親父が狩ったわけないよな?」
ドンと音を立ててレッドボアを下ろし、そこに現れたのは──
「ロイ。狩ったのは私」
「リナがやったのか?」
「うん」
「すげぇ剣だったぞ! それこそ目にも留まらない速さだったな!」
と、三人で話をしていると──そこにマーシャとその旦那であるカロルがやって来た。カロルは腕に包帯をしているが、顔は非常に元気そうだった。
「あ。マーシャと……」
「カロルだ。リナ。今回は助けてくれて本当に助かった」
カロルはそう言って頭を深く下げる。
「おいおい。リナのやつ、カロルを助けたのか?」
「そうなんですよ! 実は──」
カロルはフェンに事の経緯を説明した。突然現れたオーガを圧倒的な剣技で斬り伏せた実力。それを聞いてフェンは大きく笑う。
「おいおい。リナはうちの村の恩人じゃねぇか! ロイ。今日はこのレッドボアを使って
「そりゃあいいね、親父」
リナはもしかして、また美味しい料理が食べられるのかと予感する。
「美味しいご飯……食べれる?」
「もちろん! リナのために村総出でやるぞ!」
その日の夜。村の住人を呼んで、豪勢な宴が行われた。リナの偉業は語り継がれ、みんな手放しで彼女のことを讃えていく。
リナはそれに小さく頷きながら、もぐもぐと料理を楽しんでいた。
(もしかして、師匠の言った広い世界は──〈美味しい料理〉のことかもしれない)
それからリナは村の狩りを手伝うようになり、すっかりと村に馴染んでいった。
「リナ! 今日も期待してるぞ!」
「えぇ。リナさんのおかげで村がさらに明るくなった気がします」
リナはそんな声をかけられるようになった。
「……私は斬っているだけなのに」
不思議な感覚だった。
ただ斬るだけ。そんな当たり前のことをしているのに、みんなが褒めてくれる。受け入れてくれる。こんな世界があるなんて知らなかった。
しかし──いつまでも平和は続かない。
「キャアアアアアアアアアアアッ!!」
深夜。
眠っていると、静寂を切り裂くような悲鳴が聞こえた。リナはぱちと目を開いて、すぐに刀を握って外に出ていくと──そこには知らない人間たちがいた。
「よし。全員捕縛して一箇所に集めろ」
「了解」
男たちは村人を捕縛していき、リナもよく分からないが、流れのままそれに従うことにした。刀も没収されてしまった。
村にある集会所に集められた住人たち。全員が恐怖に顔を引き攣らせ、うめき声も聞こえてくる。
「う……ううっ……」
「──そこの女。うるせぇな」
盗賊の男が、涙を流しているマーシャに剣を向ける。そこには魔力が確かに宿っていた。
「見せしめに殺すか。ちょうどブツを漁っていて、暇だしな。いや、その前に犯すのも悪くねぇな──」
男はニヤニヤと色欲に満ちた視線を見せる。だが、この状況で抗える人間がいるはずもない。
──ただ一人を除いて。
リナは今の状況を理解しているわけではない。だが、マーシャに向けられている歪な感情だけは、ハッキリと感じ取っていた。
「ねぇ。フェン」
「静かにしろ……! リナも殺されるぞ! 相手は〈魔力持ち〉だ。大人しくするしかねぇ」
「アレは敵──?」
ただ目の前の存在が、敵かどうか。
それだけを問う。
「敵? 敵なのは間違いないが──」
その先を聞く必要はなかった。
リナの手首を縛っていた麻縄が、音もなく弾け飛ぶ。
踏み込む。彼女の姿は全員の視界から消えた。
空気を裂く音すら遅れて届く。人の知覚が追いつく前に、リナは立てかけられていた刀を正確に掴み取り、振るった。
一閃。
刃は迷わず、マーシャに伸びかけていた男の手首だけを切断する。血が噴き上がるよりも早く、刀身は既に次の軌道へ移っていた。
「は……? う、うわあああああ! 俺の手がああああああああああ!」
悲鳴。
だが、リナの表情は変わらない。
返す刃。
首筋をなぞるように、静かで正確なきらめき。
鮮血が舞い、男の声はそこで途切れた。
リナは刀から血を払い、いつもと変わらぬ調子で告げる。
「敵は──斬る」
†
【あとがき】
新作です! 斬ることしか知らなかった少女リナは、どのように成長していくのか。お楽しみいただければ幸いです。
今後は毎日18時5分に更新していく予定です。
よろしくお願いします。
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淡々とアルバイトをこなす転生少女、実は剣鬼に育てられた最強の剣客につき〜世界最強のバイト剣士はひとの心を知りたい〜 御子柴奈々 @mikosibanana210
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