第3話 出会い
リナが向かったのは、〈リーフェ村〉と呼ばれる場所だった。そこは、なだらかな丘と畑に囲まれた小さな村だった。石畳は整えられているが、ところどころに土の感触が残っている。
「ここが……村」
「私は主人を村医者に診せてきます! 少し待っていてください!」
「うん」
彼の容態は安定している。
リナは特にやるべきこともなく、周囲を見渡す。
村の中央には小さな広場があり、古い井戸と一本の大樹が立っている。木陰では人々が腰を下ろし、笑っていた。
「……穏やかな場所」
そう呟く。
そうして呆然としていると、リナは馬車で運び込まれている大量の木々を目にする。
と、その時だった。
「──ヒィイン!」
リナがその馬のことを凝視すると、馬は急に立ち止まって後ろの木々が地面にばら撒かれてしまう。
「お、おいおい! 急にどうしたんだ?」
運転手の男性は馬を宥めるが、無惨にも木々が地面に転がっている。これを一人で全て拾って乗せ直すのは、なかなか骨が折れる。
「……手伝う」
リナはすることもないので、とりあえず手伝うことにした。
「おう、ありがとな。もしかして、旅の人か? 見ない顔だな」
「そう」
「そうか。うちの村は穏やかでいい場所だ。ぜひ、楽しんでいってくれ」
「……うん」
楽しむ、ということはよく分からないが、リナは淡々と木々を拾い集めていく。その動作は凄まじく速く、あっという間に全て荷台に乗せ終わった。
「あんた……凄いな!」
「うん」
「ぜひ、お礼がしたい。予定はあるか?」
「ない」
「それなら、うちの店に寄って行ってくれ」
「分かった」
こくりと小さく頷いて、促されるように馬車に乗るリナ。彼女は流されるままに、彼についていく。
「俺の名前はロイ。キミは?」
「リナ」
「リナか。いい名前だ。刀を持っているし、冒険者か?」
「……冒険者?」
「冒険者を知らないのか?」
「うん。私は──ただの剣士」
「そうか。剣士ね」
そんな会話をする。
リナは剣以外の事をほとんど知らない。この世界では一般的とされている〈冒険者〉ですら、知らなかった。
「ここだ。中に入って待っていてくれ。うちは居酒屋をしてるんだ。ちょうどこの木は、火を燃やすのに使うもんでな」
「ん。中で待っとく」
リナは歩みを進め、その店内に入っていった。
中は広く、天井から吊るされた木製の
リナ鼻腔をくすぐるのは、焼き物の香ばしい匂いと、煮込みの甘い湯気。まだ開店前だったが、仕込みをしていたからだ。
「……ごくり。美味しそう」
店内でじっと待っていると、ロイが顔を出してくる。
「リナ、すまない。せっかくだし、料理でも振る舞おうと思っていたんだが、ちょうど燃やす木が足りなくてな。少しだけ斬ってくるよ」
「──斬る?」
その言葉に、リナは鋭く反応する。
「あぁ。すぐ終わらせるよ」
「私がやってもいい?」
「薪割りをか?」
「うん」
「いやぁ、リナはお客さんだ。そこまでしてもらうのは……」
「やりたい。私は斬ることは得意だから、任せて」
「そこまで言うなら……」
ロイは渋々とリナの提案を受け入れる。
春の陽気な光が差す中、リナは用意してもらった斧を手に持つ。
「やり方は分かるか?」
「ん。斬るだけ」
「確かにそうだが……。まぁやってみるか」
ロイはリナが割りやすいようにと。薪を台の上に立てた。太さも形も揃った、ごく普通の丸太だ。
リナは斧を手に取る。
「──スゥ」
深呼吸。
両手で柄を握るが、力を込める様子はない。
一歩、踏み込む。振り上げる角度は最小限。
次の瞬間──コン、と乾いた音が響いた。
斧はまるで最初からそこに割れ目があったかのように、木目の中心を正確に捉えていた。衝撃が伝わるより早く、薪は真っ二つに割れ、左右へと滑るように崩れ落ちる。
「……え?」
ロイが声を漏らす頃には、リナはすでに次の薪を自分で置いていた。
斧の刃は止まらない。
振り下ろすたび、同じ音。
同じ軌道。
同じ結果。
木はただ静かに、正確に二つに分かれていく。
「終わった」
「あ……あぁ。リナってもしかして、物凄い剣士なのか……?」
「? 違うと思う」
リナは客観的な自分の実力を知らない。
斬ることだけが──彼女の人生だったから。
それからリナは、料理を振る舞ってもらった。
卓に並べられたのは、素朴ながらも湯気の立つ温かな料理だった。
香ばしく焼かれた肉には艶のある肉汁が浮かび、表面には粗挽きの香草と塩が振られている。隣には、野菜をじっくり煮込んだスープ。根菜は柔らかく、澄んだ出汁の香りが鼻腔をくすぐった。
リナは木製のスプーンを手に取り、口に運んだ。
「……っ!?」
思わず、リナは息を呑む。
「どうだ?」
「……美味し過ぎる。こんなに美味しい食べ物は、初めて」
肉は噛むたびに旨味を弾かせ、スープは身体の奥まで静かに染み渡る。剣を握ってきた日々では、決して味わうことのなかった温もりだった。
いつもはどこか淡々としているリナの表情がその瞬間だけ、はっきりと揺れた。
驚きと、戸惑いと──そして、微かな喜び。
食べるという行為が、生きている証なのだと、初めて理解したかのようにリナは夢中で食事をすすめていく。
「そこまで美味そうに食ってくれると、流石に嬉しいな」
「美味しかった。ありがとう」
「いやいや、こっちこそだ」
と、その時だった。
店の中にマーシャが入ってきて、リナを見つけて顔を綻ばせる。
「リナさん! ここにいらしたんですね!」
「ん? あ……」
リナは思い出す。
待っていてと言われたことを。
「マーシャの知り合いか?」
「えぇ。うちの主人をオーガから助けてくれたんです」
「オーガ!? そんなヤバいやつと遭遇したのか!? 普通なら死んでるぞ!」
「ですが、リナさんが全て倒してくれたんです。主人はケガを負いましたが、もう大丈夫なようです。リナさん。改めて、本当にありがとうございました」
マーシャは深く、とても深く頭を下げた。
リナはどう答えればいいのか分からなかった。
これまでの人生で感謝されたことなどない。
だが、リナは決して悪い気分ではなかった。斬りたいから斬っただけだというのに、不思議な感覚だった。
「もう食事は済まされてしまいましたか?」
「ん。ロイのご飯は美味しかった」
「おっと。マーシャも料理を振る舞う予定だったか? すまんな」
「……まだ全然食べれる」
「本当ですか?」
「ん」
こくりとリナは頷く。
その目は、まだまだ美味しいご飯を食べたいと雄弁に物語っていた。
「では、ぜひうちにいらしてください」
「うん」
「リナ。またな」
「バイバイ。ロイ」
リナは小さく手を振って、ロイと別れた。
「リナさんは──不思議な人ですね」
マーシャの家に向かう途中。
彼女はリナを見つめてそう言った。
「不思議?」
「はい。とてもお強いのに、威張っている感じがありませんから」
「ふぅん」
村の通りを歩きながら、リナは周囲に視線を巡らせる。石畳はところどころ欠けているが、きちんと補修されており、歩みに支障はない。家々の壁には干した洗濯物が揺れ、軒先からはパンの匂いが漂ってきた。
子どもたちが追いかけっこをし、転んでもすぐに立ち上がって笑っている。行商人の声と店主の軽い笑い声が交じり合い、剣のぶつかる音や怒号はどこにもない。
警戒すべき気配は感じられない。
誰も彼女を恐れず、誰も敵意を向けてこない。
(……静かだ)
彼女はそして、知ることになる。
斬ること以外の世界が、確かに存在しているのだと──。
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