海に堕ちる中秋の名月
藤泉都理
海に堕ちる中秋の名月
おまえは罪人だよ。
誰かが冷え冷えとした声音で言った。
罪人だからここに堕とされたんだ。
もうおまえが地に足をつけて歩く事は叶わない。
それがおまえへの罰。
水に魅入られたおまえへの罰だ。
「
「ん。あ。ああ。
海面に横になり小波をゆりかごに眠りに就いていた人魚の桜貝は目を開けて、上から覗き込む同じ人魚で幼馴染の柚子を見つめた。
「なに? せっかく心地いい眠りに就いてたのに」
「せっかく心地い眠りに就いてたのに。じゃないだろうが。中秋の名月の祭りの準備をさぼるなよ」
中秋の名月の祭り。
人魚にとって中秋の名月の光は一年間分の穢れを浄化してくれる尊く貴い光であり、月光を今年も地球に無事に届けてくれた月への感謝を込めて人魚の舞を披露するのである。
「え~~~。だって、私は煩いからいいって追い出されたし~~~」
「舞を覚えられないおまえが悪い」
「だってさあ。年齢ごとに舞の内容を変えるっておかしくない? 必死になって覚えたのに。覚えられないよ。どんどん複雑になっていくし。もうさあ。好き勝手に踊るでよくない?」
「よくない。おまえに好き勝手に躍らせたら、奇妙奇天烈不気味な踊りになって、子どもが泣き喚いたのを覚えてないのか?」
「覚えてません」
「覚えてろ。ったく。ほら。練習するぞ」
「え~~~。いいよもう私は見学で」
「だめだ。全員参加だ」
「いいなあ。私も参加したいなあ」
「「あけび」」
「やあ。桜貝君。柚子君。お久しぶりだねえ」
やおら桜貝と柚子の前に出現したのは、小波に流されるまま辿り着いた陰陽師のあけびであった。
魚介類が不漁なのは人魚が独り占めをしているからだ人魚を退治してくれと、漁師たちに泣きつかれたあけびが、白旗を揚げつつ人魚に事情を聞きに行けば、魚介類の不漁は人魚たちの所為ではない密漁者の所為だ人魚たちも困っている力になってくれと泣きつかれては、漁師たちと人魚たちの橋渡しをしつつ、みんなで協力して密漁者を退治して以降、困り事があれば助けて助けられての付き合いであった。
「私は踊りには自信あるよ」
「え? そうなの? ねえ。柚子。だったら私の代わりにあけびに踊ってもらおうよ。下手な私が躍るよりも踊りが上手いあけびが躍った方がお月様も喜ぶよ」
「だめだ。全員参加だって言ってるだろ。あけびは参加したければ参加していい。けど。人間だろ。水中では呼吸できないだろうし」
「うん。だからこうして海面から顔を出して踊るよ」
「いやそれなら小舟に乗って小舟の上で踊れよ」
「ええ~。私も海に浸かって踊りたいよ」
「あけびは本当に海が好きだよね」
桜貝の言葉に、うんと、あけびはとろけるような甘い笑みを浮かべた。
「私も人魚に生まれたかったよ」
「………俺は、おまえが羨ましいよ。あけび。地に足をつけて歩けるおまえがひどく。おまえは海の中で自由自在に泳げる俺たちが羨ましいと言うが。俺は、こんなに身体の重みを感じさせない海は、あまり好きじゃない。軽すぎて、時々、生きていないんじゃないかって、不安になる時もある。身体を引きずって地に降り立った時の身体の重みがひどく生きていると実感させられた。本当は俺は地に生まれるべきだったんじゃないかってひどく落ち込む時もある」
「重い方がいいなんて。柚子君も難儀なものに惹かれちゃったね」
「ま。人魚として生まれたから仕方ねえけどな」
ニカリ。
柚子は眩しい笑みを浮かべてのち、さっさと練習するぞと桜貝に言った。
「ここで練習するからあけびも一緒にしよう。ほら。桜貝。あけびも一緒ならやる気が出るだろ」
「桜貝君。一緒に踊ろう」
「あ~あ。仕方ない。練習するよ」
「ああ」
柚子は桜貝の手を取って海面に対して垂直に立たせると、もう片方の手であけびの手を取って同じ体勢を取らせたのであった。
人魚は全員罪人だと言われている。
人魚はかつて、水が希少な月に住む月人だったが、水が豊富な地球に、海に心を奪われた為に、海に堕とされた。
二度と地に立つ事ができないよう二本足をなくされて。
上半身は人間の姿のまま、下半身は魚に変えられた。
中秋の名月の光は穢れを浄化する光。熱心に踊りを捧げて一年に一度しか注がれない特別な月光を浴び続ければ、人魚は罪を赦されて、月へと戻る事ができると言う。
(もしもこのお伽噺が事実なら。桜貝君と柚子君は月に居る時の記憶を持っているのだろうか。やはり、月に帰りたいと思っているのだろうか。魅入られた海の中で生きていたいと思っているのだろうか。尋ねようとは思わないけれど)
今年の中秋の名月の月齢は、十四.一。
月齢十五の満月に限りなく近いけれど、違う。
違うのに、
「なんて、眩しいんだ」
あけびの瞳には煌々と光る中秋の名月と、海面で、海中で、海上で、空気の泡を、水の飛沫を衣にしては、艶やかに、力強く、無邪気に、繊細に、舞い踊る人魚たちの姿が映っていた。
「あ~~~。元気が出る~~~。やっぱり、中秋の名月の月光と海が一年間の疲労を一番癒してくれるよ」
恍惚とした表情を浮かべたあけびは脱力しながら、絶景を見つめ続けたのであった。
「ねえ。柚子」
「何だ?」
「私たち、生きているよ」
「………ああ」
「生きている。死んでないから。ね?」
「………ああ」
「祭りのフィナーレはあけびが買ってきてくれた中秋の名月特製のお団子だよ。芋味、栗味、柿味だって。楽しみだねえ」
「桜貝」
「ん?」
「………いや。おまえは。あけびに負けず劣らず海が好きだな」
「うん。大好き」
「俺は、少し嫌いだ」
「うん」
「もしも海から解放されるなら、人魚じゃなくてもいいって言われたら、俺は多分。人魚を辞めると思う。海から離れると思う」
「そっか。じゃあ。離れ離れだね」
「ああ」
「でも。離れ離れでも。ずっと。私にとって柚子は大切な存在だから。小さい頃からずっと私を守ってくれた大切な人。私も柚子を守ってきた柚子の大切な人。ね?」
「ああ」
「困ったらどこだって行くよ。例えば、あの月にだって」
「………俺は、約束、できない。ぞ。海に居るおまえの元に行くって」
「うん。いいよ。私が困っても柚子が困っても私が柚子のところに行くから。私一人じゃ難しい時はあけびも一緒に。ね?」
「………ばか。あんま。あけびを働かせるな。あいつ。人間と俺たち人魚の橋渡しだけじゃなくて、陰陽師として妖怪と人間の困り事の解決に奔走しているんだからな。休ませてやれよ」
「確かに………よし。私、あけびを気絶させてくる。起きたらまた気絶させる。一日休ませる」
「おまえ………それはいい考えだ。よし。早速実行だ」
「えいえいおー」
話しながら舞い踊っていた桜貝と柚子。それぞれ定められた位置から離れると、あけびの元へと一直線に泳ぎ始めたのであった。
「え? なになに? 二人共。まだ舞は終わってないのにどうしたの? え? 私を気絶させるって。休息が必要だって。隈が日に日に大きくなっていっているって? いやいやいや。この中秋の名月の光を浴びたら私は元気満々に。ってッグ」
「よし。この調子で丸一日気絶させ続けようね」
「おう」
「ふふ」
「何だよ?」
「舞を中断させるぐらいあけびが好きなんだなーって」
「応急処置だから仕方ねえし。場所を変えるだけだ。ほら。舞を続けるぞ」
「ふふふ。はあい」
「だから奇妙奇天烈不気味な舞を披露するなっての」
「子どもが居ないから大丈夫」
「そういう問題じゃねえっての」
(2025.10.6)
海に堕ちる中秋の名月 藤泉都理 @fujitori
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