第24話 私にキスされたこと、どう思ってる?

 特設のステージに背を向け、長い坂をせっせと上りきると、一周20分の巨大な観覧車が現れる。入り口でもらったパンフレットによると、晴れた日には海の向こう、水平線までくっきりと見えるらしい。


「すみませーん。大人2人お願いします」

「あいよ。荷物引っかけんように気ぃつけてな」

「はーい。ありがとうございます!」


 白髪交じりのスタッフに手際よく回数券を渡すと、真夏は長いスカートの裾を持ち上げて籠に乗り込む。俺も遅れないよう彼女に続き、その正面に腰かけた。

 桃色のロリータ服は改めて見るとかなりのボリュームで、狭い空間では若干の圧迫感がある。


「ふぅ、間に合ったー。観覧車に乗り込むの、地味にむずくない?」

「たしかに。動くものに合わせるって難しいよね」

「そうなの! それでいうと私、大縄跳びで次々に入るやつも苦手かも」

「あー、俺も苦手だわ。いつもタイミングがわかんなくて」

「それな!」


 思わぬ意見の一致に盛り上がりつつ、下を覗き込むと、さっきのステージがまるで模型みたいに小さく見えた。


「……なんか変な感じ」

「何が?」

「こうやって、天宮と観覧車に乗ってるのがさ。不思議だなーって」

「まぁ、たしかに」


 傍から見れば不思議で仕方ないだろう。今さら言うまでもなく、俺と真夏では何もかもが不釣り合いだ。

 だが真夏の言葉は、そういう意味とは違うようだった。 


「……ねぇ、ちょっと聞いてもいいかな? 真面目なこと」

「う、うん」

「天宮にね、ずっと確認したかったの」


 真夏はスカートの裾をぎゅっと握り、顔をこわばらせていた。その張り詰めた空気に、俺はごくりとをつばを飲み込む。


「どう、したの?」

「天宮ってさ──、どう思ってる?」

「……!?」


 ずっと蓋をしていた記憶の箱を、突然ひっくり返されたような感覚。あの日の衝撃が、まるで昨日のことみたいに、ドバっと脳に流れ込んでくる。


「それって……小4の時の、だよね?」

「そう。


 7年前、クラスでやったその劇で。紆余曲折あり、俺はシンデレラを演じることになってしまった。王子役は涼川真夏。小学校時代、最初で最後の、俺と真夏の接点だ。そして……事件は起きた。

 迎えた本番、クライマックス。ついにガラスの靴の持ち主を見つけた王子は、シンデレラに口付けをする。その直前で舞台は暗転し、実際にキスがなされることはない──はずだったのだが。

 緊張で焦ったのか、真夏の唇は一瞬だけ、俺の唇に触れてしまっていた。幸い、舞台は完全に暗くなっており、それが観客に見られることはなかったけれど。


「つまりね。あれは私の、なのかな?」

「いや……あれは事故だから、ノーカンって話だったろ」


 劇が終わった後、俺は一応、真夏に謝罪をした。気づかない振り、という選択もあったと思う。いや、むしろそれが正しかったかもしれない。あの瞬間を見ていたのは、俺と真夏、そしてごく一部の人間だけなのだから。

 でも──高揚感と罪悪感が入り混じった、その複雑な気持ちを抱えられるほど、俺の器は大きくなかった。


『馬鹿みたい。ちょっと唇が当たっただけでしょ。あんなのキスでも何でもないわ』


 それが真夏の答え。

 だから俺も、今の今まで、記憶の奥底にしまっていたのだ。


「うん。私と天宮との間では、それで良かったと思う」

「それなら──」

「でも他の人にとっては……どうなんだろう」

「深冬、か」


 彼女だけはあの日、舞台の袖から、俺たちを見ていた。

 真夏は肯定も否定もしない。代わりにふぅーっと、大きく息を吐いた。

 

「私ね、変わることが怖いんだ」


 外の景色に目をやりながら、真夏は静かに言った。観覧車は既にかなりの高さで、街の向こうには海も見え始めている。


「怖いって……?」

「ほら。もし仮に、私と天宮が付き合ったら。私とふゆとの関係も変わっちゃうでしょ?」

「いやありえないだろ。俺が真夏と付き合うことなんて」

「そう、仮定の話」


 真夏は再びふうっと息を吐いた。


「けどね。もし天宮が他の誰か──たとえばふゆと付き合ったら。こうやって私と遊園に来ることも、きっとできなくなるよね?」

「まあ、そうだな」

「私と天宮だけの繋がりなら、変わらないこともできると思う。でも実際は、ふゆとか、いのりちゃんとか、瑠奈ちゃんとか。他のいろんな人との繋がりとも、複雑に絡み合って。その繋がりが一つでも変わったら、他の繋がりも、変わらざるを得ないんだと思う」


 真夏の言いたいことはわかる。

 人間の関係は脆い。どんなに強固な繋がりも、小さなきっかけ1つで、バラバラに崩れてしまうこともある。だけど。


「……変わらないだろ、たぶん」


 俺はそもそも、人との繋がりを信じていない。俺が信じるのは、二次元に住まう嫁、プニキュアだけだ。周りの繋がりがどんなに変化しても、彼女たちは絶対に、俺の傍にいてくれる。俺がオタクである限り、何も恐れる必要はないのだ。


「ふふっ、天宮らしいね」

「そうか?」

「そうなの──キャッ」

「大丈夫か!?」


 突然の強風に観覧車が揺れ、真夏が小さく飛び上がった。


「うん、大丈夫。怖かったー」

「ちょっと揺れたな」

「天宮は怖くないの?」

「まあ……観覧車で事故が起きる確率より、帰りのバスで事故が起きる確率の方がずっと高いだろうし」

「いやそうだけどさー。そうじゃないじゃん」


 ……それよりも、真夏には珍しい驚き声に、俺は胸がドキドキした。

 観覧車は間もなく、頂点に到達しようとしていて。海の向こうの水平線も、見え始めていた。

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