待ち受け彼女のひ・み・つ

渡貫とゐち

第1話


 今井いまい夫婦――

 新婚ホヤホヤで、つい先日、新居で暮らし始めたふたりだ。


 妻の「いくよ」から、夫の「とも」へ、ひとつの約束事があった……それは――



「お互いの写真を待ち受け画面にしよっ」


 スマホ片手にソファに腰かけた妻が寄り添ってくる。


「ん? ……もちろんいいけど、でもさ、恥ずかしくない?」


 たとえば通勤電車内でスマホを開いた時、周りの人に待ち受け画面を覗かれたらと思うと……、ちょっとは嫌だなあと思ってしまうわけで。

 誰も見てないよと言われたらそうかもしれないが、しかしふと、他人のスマホ画面が視界に入ってしまうことを知っている。

 自分がそうなら他人も……そうであるなら、妻の写真を待ち受けにするには抵抗があった。


 妻のスマホの待ち受けが、夫――つまり自分なわけで、誰が野郎の待ち受け写真を見るんだという話になるから、そこはいい、気にしない――だが、妻は別だ。


 自分にはもったいない美人さんだ。

 彼女を待ち受け画面にするのは危険だろう。


 とにかく不安だった……そこを誤魔化しても伝わらないだろうし、きちんと相談しようと思ったら……言い出しっぺの妻が耳を疑うようなことを言った。


 いやまあ、信じられない言葉ではなかったが。


「ただ、そのね……やっぱりアップの顔は恥ずかしいから、ちょこっとだけ写った写真でもいいのかな!?」


「もちろんいいけど……じゃあ、どうする?」


 えっとね、と妻が立ち上がり、キッチンへ向かった。

 ソファからキッチンが見えるので、スマホを構えれば妻が画角に入る。


 そこを動かないでねー、と言われたのでじっと待っていると、妻がキッチンに隠れた。

 すぐに、顔だけひょこっと下から出して、


「写真、撮っていいよー」


「……」


 ひょっこりっ、と……可愛い。

 確かに、これなら他人に覗かれても妻の顔は分かりづらいだろう。夫が見る分には、可愛い上にとびきりの美人(主観)がこっちを見ていて、いつでも癒される。


 仕事で辛いことがあっても立ち直ることができる妻の笑顔が、小さな画面の中に。


 大きい画面内で遠くを狙う、みたいな贅沢な画面の使い方だが、こうでもしなければ他人に見られてしまうなら受け入れる。これは妻の写真を守るための対策だ。


「早く撮ってー」


「ああごめん。はい、じゃ、撮るよー」


「いぇーす!」


 妻が楽しそうなので、パシャ、と撮影した。

 その後も何度も何度もシャッターを切って……。この画像を待ち受けにしたらアプリアイコンに隠れてしまう程度の顔の大きさだが、ちょうどいいだろう。

 気に入った写真をスマホの待ち受け画面に設定……して――


「うん、これでいいかな」


「じゃあっ、次はともくんのことを撮影するね」


 夫を写真に収める場合、至近距離での撮影となった。妻とは真逆である……そんなに近いとピンボケするだろうに。案の定、写真はぼやけてしまっていた。撮り直しだ。


 もう少し距離を取れば……、妻が下がって……「うん、それくらい」


「ともくん、ポーズ取って」

「ポーズ? って、どんな……?」


「キス顔ちょーだい?」

「ポーズなんだよね?」


 野郎の写真なので誰も見ないだろう、とは言えだ……キス顔なら二度見してしまうのでは? 主に、バカにされる意味で。

 それは……、さすがに通勤電車内で晒しものにはなりたくないのでお断りした。


「ケチ」

「いつも見てるでしょ……」

「エッチ。今そういうこと考えないでよね!」


 顔を赤くした妻の方が、もっと過激なことを考えていたようだ。



 撮影は順調に進んだ。


 妻が変顔をし、ふいに笑った顔を撮影され、夫の写真が完成した。妻が満足そうに待ち受けにしていて……、あれでよかったのだろうか、と不安だったが、正解だったようで安心した。


「ふぁあ、これでいつでも充電できるよぉ……」


「じゃあ、毎日のぎゅっと抱きしめての充電はいらなくなるのかな??」


「それとこれはまた別でしょ? 帰ってきてからのぎゅっと充電もするからね!?」


 ――とのことなので、楽しみが奪われることはなさそうだ。



 数日が経って。


 アラームを止めてスマホを見ると……待ち受けにはひょっこりと顔を出す可愛い妻の顔があった。まるで、早く起きなさーい、と呼ばれているみたいで……妻というか、お母さんみたいだ。


「……起きるよ……起きる……――おはよ」

「おはよ、ともくん」


「あの、いくちゃん……僕が起きてる時はスマホじゃなくて僕に話しかけてくれたらいいと思うんだけど……」


 待ち受けで充分だと思われたら寂しいのだけど……。

 ごめんね、と謝られ、毎朝のぎゅっと充電をする。朝に充電して夜にも充電して……充電したそばから使い切ってしまっているような感覚だった。

 充電すると復活は一瞬である。妻とは偉大だ。


 妻と一緒にリビングへ向かい、手分けして朝食を作り、仕事へ向かった――こうして今井家の一日が始まるのだ。



 職場で、同僚から待ち受けについていじられた。

 羨ましい、と言われたので良いいじりだった……が、これをしないほどに彼――同僚の家庭は冷え切ってしまっているのだろうか……?

 いずれ、会話をしなくなる日がくるのかもしれない。嫌だなあ……と、始まったばかりなのにそんな不安がやってくる。


 妻とは一生、楽しく過ごしていたいのだから。



 数日後。

 ふと、待ち受けを見ていて気付いたことがある。


 …………妻が動いていないか?


「いや……見間違い、だよね……?」


 見間違いだろう。以前からこうだったはず……そう思って、スマホを置いた。

 今日も妻とスキンシップをしてから仕事へ向かう。



 ――さらに数日後。


「やっぱり動いてる……」


 待ち受け画面の中の妻。ひょっこり、だったのが、キッチンから出てきて、そろりそろり、とこっちへ近づいてきている……、確実に。


 ちらり、朝食を作ってくれている妻の横顔を見つめながら。


 なにも言ってこないのでもしかしたら霊的なものかもしれない……と考えたらかなり怖いが、まあ、間違いなく妻の仕業だろう。


 こそこそと、たぶんなにかしている。


「……ま、知らないフリをしておくかな……」


 職場では、「なにそれ、タイムラプスする気??」なんて言われた。


 タイムラプス? ……そうかもね、とだけ答えておいた。



 それから数日後――遂に、だ。


 だるまさんがころんだ、みたいに妻がキッチンから完全に出て、スマホの方へ明らかに近づいてきているのが分かった。だって遠近法での妻のサイズが最初と違うのだし。


「……おはよぉ、ともくん……」


「ああ、おはよう、いくちゃん」


 寝ぼけていても忘れないチークキスをして、今日も一日が始まった。



 そして、その日がやってくる。


 朝、スマホを見ると、画面いっぱいに広がる妻の顔。

 ピンボケしてしまっているのが妻らしいなあ……と笑みがこぼれる。


 微笑ましい失敗だ。

 いいや、これこそが味、なのかもしれない。


 遂にここまで近づいてきたなあ、と思えば、過程を知っている側からすれば感慨深いものがある。


「――ねえ、いくちゃん」

「……やっぱり気づいてた?」


「そりゃあね、気づくよね」


「あはは……。驚かせちゃったならごめんなさい、慣れるまで時間がかかったの。でもっ、これで私の顔が写った待ち受け画面を設定されても、私は恥ずかしくない! ともくんが自慢できるような妻でいられるよ!」


「そうだね。だけどいくちゃん、この画像だとぼやけちゃってるから……もう一回、ちゃんと撮ろうか。あと、いくちゃんだけじゃなくてふたりで。一緒にさ、ツーショットの方がいいじゃん」


 夫の提案に、妻が大慌てで髪を整えメイクをして……綺麗な姿に早変わり。


 妻が本気なので夫も髪を整えて――ソファに腰かける。


「いい? いくちゃん……じゃあ撮るよ?」

「う、うむっ、どんとこい!」


 変に力が入ってしまっている妻の肩に手を回して……そっと抱き寄せてから、パシャ、と。仲睦まじい夫婦の写真が出来上がった。


 ふたりの待ち受け画面に、同じ画像を使って……これでいつでも最高まで充電できる。文句なしの夫婦写真だ。




「あ、待ち受け合流したんだ?」


「合流? ……あぁ、段々近づいてきてたからね……」


 本人同様に、同僚もまた近づいてくる過程を見ていたのだ。


 彼は、「それに気づいた時、霊的なものかと思ってゾッとしたよ」と。

 やっぱり勘違いするよね、と夫も一瞬は思ったから、気持ちがよく分かる。


「美人で、それ以上に可愛い奥さんだね」

「うん……自慢の妻だよ」


「その待ち受け、気づかぬ内に、ってことはさ、スマホを勝手にいじられてたってことだよね? まあ、共有しているならいいんだけど……。設定をいじられたなら他のところもいじられてると思っておいた方がいいと思うよ。いや、今井がこれでいいって言うならいいんだけど……」


「――いいんだよ、そういうもんだよ結婚ってっ!」




 ・・・ おわり

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