8章「終局」

 地面を蹴って間合いに踏み込み、


「——っらぁっ‼」


 発声とともに、目の前の化け物に横薙ぎの斬撃を打ち込む。


 人の皮をかぶった蛇の姿をしたそれは、裂けた口から細い舌を覗かせながら、鱗の生えた人の腕と、指から伸びる細く鋭い爪で防いだ。


 次の瞬間に来るであろう反撃を見越して、素早く後ろに飛び退く。


『ああぁ〜お前はぁ〜かたぁいぃ〜』


 言うと、化け物は息を深く吸い込んだ。


 危機感を覚え、どちらにも動ける姿勢を取る。


 そのタイミングで、ごうっという音とともに化け物の口から青い火炎が吐かれ、目の前に迫る。


 咄嗟に身を翻し、康樹がいない中央へ避けた。


(さらに化け物らしいじゃねえか)


 清司は胸中でそうつぶやくと、化け物が炎を吐き終わるか否かのタイミングで、相手の懐に飛び込んだ。


 刀は上段に担ぐようにして構え、低姿勢で加速してからの飛び込みの一撃。


 それは化け物に届き、肩から胴にかけて、袈裟に斬撃が入る。


『きええエエええ‼』


 耳障りな悲鳴を上げ、化け物がのけぞる。


「うおおおおおっ‼」


 清司はここぞとばかりに、全力で連撃を繰り出していく。


 最後に大きく袈裟に一閃し、距離をとった。


 化け物は人の皮が切り刻まれ、ぼろ切れをまとったような状態だ。


『ふぅ〜、許さぬぅ〜許さぬよぉ〜』


 そう言って、残った腕で残りの人の皮——頭、胸、足を引きちぎっていく。


 引きちぎられたそれは、そこらに無造作に捨てられ、嫌な音を立てた。


 清司にとって、かなり不快に映るその行動を終えると、化け物は蛇の上体を持ち上げ、チョロチョロと舌を出す。


『男だがぁ〜お前のぉ〜皮をつこうてやるぅ〜』


 化け物は、言うと同時に、今までの比ではない速度で距離を詰めてきた。


「っ!」


 思わず反応が遅れる。


 ギリギリで身を捻って躱し、向き直ったその瞬間。


「ぅがっ‼」


 至近距離から右肩目がけた刺突。


 一か所に穴をうがつように突き刺された数本の爪が、傷口を開くように動き、上に引き裂いた。


「——っぐぅっ‼」


 今までに感じたことのない痛みに、全身が熱くなる。


 本来ならその痛みに悲鳴を上げ、地面を転がってもおかしくない。


 が、清司はなんとかその衝動を堪えることに成功した。


 子供の頃、剣道を教えてくれた道場師範の言葉が脳裏をよぎる。


「痛みは口に出してはいけないよ。それは相手に負けを認めることだし、自分自身を痛みと恐怖で縛って動けなくしてしまうからね」


 ここまでリアルにこの話に納得する日が来るとは思ってもみなかった。


 正直ものすごく痛い。


 その痛みに身を任せるのは簡単だろう。


 しかしここでそんなことをすれば、すぐさまこの化け物はさらなる一撃で自分の命を奪いにくる。


 それを理解し、すぐさま化け物と距離をとった。


 生暖かい血が腕を伝う。


 視界が狭まり、やけに大きく聞こえる自分の鼓動がうるさい。


 化け物がこちらににじり寄ってくる。


 その後方では、康樹と太壱が何か叫んでいるのが見える。


 乱れた呼吸を整えるために、深く息を吸う。


 それをいつものように細く、鋭く吐いて、刀を構え直す。


 腕はまだ動く。


 再び清司は目の前の化け物に向かい駆け出した。


 が、突然左側から頭部に衝撃を受け、地面に転がる。


 朦朧とする意識の中でかろうじて目を開くと、彼と化け物との間に太壱が立っていた。



「清司!それ以上戦ったらだめだ!引け‼」


 清司の肩から血しぶきが上がるのと同時に、康樹の隣に戻った太壱は叫んだ。


 しかし聞こえていないのか、戦うことをやめる気配はない。


「ど、どうしよう!このままじゃあいつ死んじゃうよな⁉」


 康樹が表情に目一杯の焦りを浮かべて言う。


 隣にはそれとは対照的に、冷静に状況を見続けている若い女性が、康樹を支えるように立っている。


 おそらく康樹の玉の朱夏だろう。


「大丈夫。その前におれがなんとかする。合図したら術使ってくれ」


 そう言って、薙刀を握りしめ駆け出した。


 目標は、頭に血が上ってしまった清司の鎮圧。


 数秒で彼の死角に飛び込むと、そのままの勢いで彼の左側頭部目がけて飛び蹴りを入れる。


「清司ごめん‼」


 やはり周りが見えていなかったのだろう。


 きれいに決まった飛び蹴りをくらった清司は、何もできずに地面を転がった。


 間髪入れず、牽制のために清司と化け物の間に立ち、薙刀を構える。


『男ぉ〜邪魔をするかぁ〜』


 (おー怖い)


 心中でそうつぶやきながら、新手の乱入に化け物の動きが止まるのを確認。


 すぐさま片手を上げ、合図する。


「康樹!今‼」


 合図とともに、康樹が双剣をそれぞれ地面に突き刺した。


 そして、


「らっ、烙烈焰鎖らくれつえんさ‼」


 康樹が叫ぶように言う。


 直後、化け物の周りをぐるりと赤い炎が囲い、壁を作る。


 それを見て、太壱は素早く清司を担ぎ上げると、その場から急いで離れた。



 駆け出した太壱を見送る形になり、その場に残された康樹は、心配と不安に胸を締め付けられていた。


 あんな状態の清司、どうやって止めるんだ?


 そんな疑問が頭をよぎる。


 すぐそばには朱夏がいてくれているが、朱夏が言うには、術の成功は自分の集中力にかかっているという。


 こんな状況の、こんな気持ちで、どう集中すれば良いのだろう?


 そんな気持ちを見透かしたかのように、朱夏が声をかけてきた。


『主。今はあの化け物だけを見るんだよ。アレだけをじっと見て、その周りを、ぐるっと真っ赤な炎が囲むのを想像してごらん』


 言われるとおり、化け物に視線を集中させる。


 そして、頭の中でその周りを猛烈な炎が囲い、化け物が出られなくなるさまをイメージ。 


『そしてそのまま、その炎が鎖になって、化け物に巻き付くさまを想像するんだよ』


 言われたとおりにイメージをふくらませる。


 と、その時だった。


「康樹!今‼」

『主‼』


 康樹はハッとして、あらかじめ教えてもらっていたとおりに両手の双剣を自分の足元に突き刺し、叫ぶ。


「らっ、烙烈焰鎖‼」


 次の瞬間、イメージしていたとおりに化け物の周りに炎の壁が出現し、閉じ込める。


 直後、それが炎をまとった鎖となって、化け物に絡みつき、地面に縫い付ける。


『ぎゃーーーーーっ‼』


 化け物は悲鳴を上げ、鎖から逃れようと暴れ回るが、鎖は決してほどけない。


 ぎゃりぎゃりっという、鎖が擦れ合う独特の金属音が響く。


『いいよ主、その調子だ。いいかい?そのまま集中を切らすんじゃないよ?剣からも手を離しちゃだめだ。その瞬間術は解けちまうからね』


 言われたとおり、イメージをそのまま保ち続ける。


 緊張で手に汗が滲み、口の中が乾くのを感じる。


 康樹の、集中力との戦いが始まった。



 清司を担いで移動しながら、化け物が康樹の術で拘束されるのを目視で確認する。


「……うぅ……」


 清司は完全に気を失っているわけではないようで、薄っすらと目を開け、時折うめき声を上げている。


 ひとまず充晶たちがいる公園の入口付近まで退散し、清司をベンチに横たわらせた。


 肩の傷口の血が乾きかけているのを見て、早くも出血が止まっているのを確認する。


 そういえば、蒼春からは玉を使用中は身体能力と回復能力が一時的に上昇すると聞いていた。


 こういうことかと納得する。


 つくづく便利なものだと。


 そう思っていると、充晶と依頼人の少年が駆け寄ってきた。


「大丈夫なのか⁉」

「大丈夫だと思う。今は多分軽い脳震盪起こしてるんじゃないか?結構しっかり蹴り決まっちゃったし」


 充晶の言葉に状況を説明すると、依頼人の少年がオロオロしながら言った。


「も、もっと違う止め方なかったんですか?あんな、頭に飛び蹴りなんて……」

「ああでもしないと止まらなかったよ。こいつ昔っから、一回戦闘モード入ると相手倒すまで止まらないんだよ」

「「えぇ……」」


 二人のリアクションがハモる。


「剣道もそれなりの実力はあるんだけど、こんなんだからかな。審判困らせて試合に出してもらえなくなったって、いつだったかぼやいてたよ」


 以前、清司が言っていたことを思い出し付け加えると、それは仕方がないと思ってくれたのか、それ以上は何も言わなかった。


 さて。


 康樹の集中が切れて術が解けてしまう前に、あの化け物を何かに封印しなければならない。


「ところでさ、太壱が封印するんだよね?あれ。普通に封印したら、とり殺されちゃうんでしょ?」


 鎖でぐるぐる巻きになっても、なお諦めていないそれを指差し充晶が言う。


 太壱は頷くと、考え込むように腕組みをした。


「うーん。本の内容によると、戦ったときにとり憑かれてるみたいだから、これ以上あれを追い詰めないで、このまま封印できるおれはとりあえず大丈夫だと思うんだ。問題は、何に封印するのがいいかって話で……」

「この本じゃだめなのかい?」

「おれの術は『永久封印』って言っても、結局刻まれた印が壊れたら封印が解けるらしい。だから、なるべくなら固くてずっと残るものがいいんだけど……」

「そんなもの……あ、石ころとか?」

「おれもこの際それでもいいかなって考えてたんだけど……」


 そこまで話したその時だった。


「あ、柳谷さん!」


 振り向くと、目を覚ました清司が起き上がっていた。


 何やらつぶやいているように聞こえる。


 聞いてみると、


「……あれは……消さないと……」


 とても低い、唸るような声でそう言っているのが聞こえた。


 さすがに焦り、声をかける。


「せ、清司、大丈夫か?あとはおれがやるから、お前は休んで——」


 傷の回復を。


 そう言おうとした矢先だった。


 清司が無言で立ち上がり、刀を出現させ走り出す。


「ばかっ!止まれ!」


 太壱はすぐさま追いかけるが、玉の使用を解いていた足では追いつけない。


 すぐに化け物のもとに着いた清司が、鎖の熱などものともせず近づき、化け物を一刀両断する。


 清司が術を使って消滅させたのか。


 そう思いきや、


『やられてなるものかぁ〜‼』


 化け物の断末魔に似た叫びと同時、清司の体に丸い穴ができた。


 化け物がその穴に吸い込まれるようにして消えると、穴も同時に消える。


 一瞬清司がよろめく。


 すると彼は、自身の体目がけて刀を突き刺した。


「何やってんだ清司⁉」


 わけがわからないまま駆けつけ、そのままふらりと力を失った清司を支える。


「おい!清司!起きろっ‼」


 まさかここに来て自殺?


 いや、そんなはずはない。


 自分の中で浮かんだ考えを自ら否定しながら、太壱は彼の肩を揺すり続ける。


 充晶と康樹も駆けつけた。


「なに、何がどうしてどうなった⁉」

「清司、とり憑かれちゃった⁉」


 それぞれが言うが、どう答えていいかわからない。


 場の空気を混乱が支配しようとしたその時だった。


『主。姿を現すことをお許しください』


 そう言って目の前に現れたのは、青い服を身にまとった黒髪長髪の青年。


 彼は太壱に向かってその場で片膝をついて頭を下げると、淡々とした口調で言う。


『彼……白秋の主は、白秋とともに『境界』内におります』

「……自分で行ったって事か?」

『おそらくは』


 確かに、言われてみれば清司の身体には肩以外の新しい傷は見当たらない。


 蒼春の言うとおりなら、あの刀で胸を貫いたように見えたのは、『境界』を渡るためだったのだろう。


 太壱は思わず頭を抱えた。


 

 頭に強い衝撃を受け、一瞬視界が途切れた。


 目を開くと自分は地面に倒れ、目の前には太壱の足。

 

 起き上がろうとするが、周囲の音が遠い上に目が回わってうまく動けない。


 そうこうしているうちに化け物が炎の壁に遮られる。それと同時に太壱に担がれその場から連れ出された。 


「……うぅ……」


 文句を言おうとするが、空気が漏れるようなうめき声しか出ずあきらめる。


 充晶達がいる公園入口まで連れてこられ、ベンチに寝かされると、回復してきたのか、周りの音が少しずつもどってきた。


 太壱が状況の説明と、あの化け物を封印すると話しているのが聞こえる。


 それはだめだと、強く警鐘が鳴らされる。

 

 あの化け物は自分が生きるためではなく、完全に自分の気を晴らすためだけに、生きた人間を殺している。


 そんなものを残しておけば、また封印が解けたとき、同じことが繰り返され、今度は誰も止められないだろう。


 そうなれば大勢の人間が死ぬことになる。


 頭の中で誰かが囁く。


「あれはこの世に残すべきではない」

「お前の手にはその力がある」


 その声は、果たして誰のものなのか。


 しかし今はそんなことはどうでもよく、無言で起き上がった。


 ただ、


「……あれは……消さないと……」


 そんなつぶやきがもれる。


 それを聞いた太壱が声をかけてくるが、それには答えず、手に刀を呼び出すと、そのまま立ち上がった。


 太壱の制止する声を無視して走り出す。


 目には、鎖に巻かれてもなおその身をよじり、逃れようとしている化け物しか映っていない。


 鎖がまとう熱気も無視し、刀を上段から振り下ろした。


 鎖ごと斬られた化け物が


『やられてなるものかぁ〜‼』


 と叫びながら手を伸ばし、胸に虚空を開ける。


 同時に、化け物はその虚空に吸い込まれるようにして消えた。


 直後、頭の中に化け物の声が響く。


『お前はぁ〜内側から壊してやるよぉ〜』


 そうして胸の虚空は閉じられた。


 一瞬足がふらつくが、すぐに持ち直す。


 まだ終わりではない。


 刀の姿を維持したまま、白秋が念話で声をかけてくる。


『主。御身に『境界』が——!』

「……わかってる。俺を連れて行けるか?」

『お望みとあれば』

「行くぞ」


 低く言って、刀の刃を自分に向けると、ためらうことなく『境界』が開かれた胸へ向けて突き刺した。


 

 いつの間にか閉じていた目を開くと、そこは何もない、白い空間だった。


 足元を見ると、自分の影すらもない。


 明らかに異質な空間。


 左側には虎が一頭。


 その頭をなでて、清司は声をかける。


「ここがお前が言ってた『境界』か?」

『左様』

「……今度は消滅させる。使えるな?」

『お望みとあらば。ただし』

「?」

『ここは現世うつしよとは違う世界。主は長くはいられぬ』

「……一撃でやる」

『御意』


 言うと、白秋は刀の姿で左手に収まる。


 前方を見ると、白いボロボロの着物を身にまとい、長い髪を振り乱した女が立っていた。


 それが先まで戦っていた化け物であると認識する。


 彼は抜刀すると呼吸を整え、構えた。


 落ち着いて、約束した言葉を言う。


「白秋……斬るぞ」


 その言葉に呼応するかのように、刀に熱がこもる。


 熱くはないそれは、手を伝わり、全身に広がった。


 意を決して駆け出す。


 上段から唐竹に一閃。 


 斬られる瞬間、女の姿の化け物は、こちらを一瞥すると笑みを浮かべた。


 そして、斬られた箇所を中心に、折りたたまれるように小さくなると、最後は小さな点になって消滅する。


「……終わったのか?」


 思っていたよりも、かなり呆気ない最後だった。


 白秋は虎の姿に戻ると、


『主、『境界』が瓦解する。急ぎ戻るゆえ掴まられよ』


 そう言って馬ほどの大きさになり体を伏せる。


 言われるとおり、背中にしがみつくようにまたがると、白秋は虚空にできた丸い穴目がけて飛び上がった。



 その日は朝から野良仕事をしていた。


 いつもと変わらない仕事。


 生活は楽ではない。


 が、父親と母親と、まだ小さい弟妹たちがいるのは、ささやかな幸せだった。


 しかし、その日は少しだけ違ったことがあった。


 村に、旅の行商人だという男が訪れたのだ。


 その男は目鼻立ちがよく、遠目からもいい男だと思えた。


 その男は数日間村に滞在するという。


 それからは、村の年頃の娘達は仕事の合間を縫って、こぞって男に会いに行き、男もそれに愛想よく応えていた。


 そんな男が村に来て三日目。


 男が突然、自分に会いに来たのだ。


 話したいことがあるから、夕刻人目を忍んで会いたい。村の外れの溜池で待っていると、自分にだけ聞こえるように言って去っていく。


 なんの話だろうと思った。


 色恋の話ではあるまい。


 自分は醜女ではないが、見目麗しいというわけでもない。


 どこにでもいる普通の村娘だ。


 夕刻、言われたとおりに人目を忍んで、待ち合わせの溜池の辺りに行くと、男は自分を笑顔で迎えた。


 男は突然がばっと抱きついてくると、耳元であなたに惚れた、どうか一緒に来て欲しい、あなたを幸せにしたい、と囁いてきた。


 大胆な行為に驚いてしまい、すぐには信じられず、男の腕から逃れるとその場から逃げ出してしまう。


 男は後ろで、三日後の出立の前に迎えに行くと叫んでいた。


 それから、頭の中でその言葉が繰り返し流れ、思わず赤面してしまったり、仕事が手につかないということがふえた。


 三日後の早朝。


 男は約束通り、家に迎えに来た。


 父と母は驚いていたが、事情を話され、結納の手付金だと、それなりの額の金子きんすを貰うと、泣く泣く送り出してくれた。


 父と母と弟妹に見送られ、朝の静かな村を出る。


 どこに行くかは、知らされなかった。



 山を一つ。町を二つ三つと過ぎた頃。


 男はここで暫く過ごすと、人気のない場所にあるあばら家のような家に入った。


 中には数人の男たちがいて、こちらを品定めするような目つきで見てくる。


 思わずついてきた男の影に隠れるが、男はそんな自分の腕を乱暴に引くと、男たちの前に突き出した。


「今回はこいつを選んできた。見目は普通だが、肉付きはいいだろ。まぁ、好きにしろや」


 その言葉を聞いてぞっとする。


 男の顔を見ると、今までと別人のような、とても冷たい顔をしていた。


 あまりのことに頭の中が真っ白になる。


 と、家の奥から女が顔を覗かせた。


「ちょっと!その前にあんたら、払うもん払ってもらうよ!」


 その言葉に、やっと状況を理解する。


 自分はこの男に騙されたのだ。


 そして目の前の男たちは、この家の男の客だ。


 愕然として動けないでいると、下卑た笑みを浮かべた客の男たちが、自分の手を引き奥の間へ連れて行った。



 奥の間は当然のように寝床になっていて、とてもきれいとは言えない布団が一枚敷かれているだけだった。


 客の男たちは構うことなくこちらの着物を乱暴にはだけさせると、ことに及んだ。


 精一杯の抵抗をするが、大の男数人に囲まれては手も足も出ない。


 すべてがやっと終わると、客の男たちは部屋から出ていった。


 喉が枯れ、声も出ないまま涙を流す。


 部屋の隅に捨てられた自分の着物を手繰り寄せると、そのまま落ちるように眠りについた。


 次の日は違う客が来た。


 やはりやることは同じで、嫌がる自分をいじめるのを楽しむように弄ぶ。


 強く抵抗すると頬を強く叩かれた。


 その音が聞こえたのだろう。


 戸が開く。


 一瞬希望をいだきかけるが、顔を覗かせたのは冷たい顔の女だった。


「ちょっと!品物傷つけるんじゃないよ!まだ新しいんだからね!使い物にならなくなったら弁償だよ!」


 それだけ言って戸を閉める。


 言われた客は「わぁってるよ!」と乱暴に言うと、ことを再開した。


 そんなことが毎日のように続く。


 客が来ない日は、居間の柱に縛り付けられ、逃げ出さないようにされた。


「脚の筋斬られないだけマシと思いな」


 柱に縛り付けられるとき、女は冷たく言い放った。


 食事は日に一度。丼一杯の雑穀粥を与えられる。


 空腹には耐えられず、すするようにして食べた。


 何もない夜はそのまま放置される。


 奥の間からは、あの男と女の情事の声が漏れ聞こえてくる。


 耳をふさぎたくなるが、それも叶わない。


 気が狂いそうになって夜を明かす。



 そんな日々が続くと、当然のように子を孕む。


 それを察知すると、どこからともなく女が鬼灯ほうずきを山のように持ってきて、その実を食べさせてきた。


 子が流れると、またいつもの地獄の日々が続く。 



 どれだけの月日が流れただろう。


 身も心もボロボロになり、客たちが来ても無抵抗でされるがまま。


 多少殴られても声も出なくなった頃。


 男が柱の縄を解き、自分を担ぐようにして家から連れ出した。


 抵抗する気も起きず、そのまま担がれていると、雑木林の中で乱暴に地面に落とされた。


 顔を上げると、男が女と自分を見下ろしている。


「こいつももうだめだなぁ」

「結構稼がせてもらったがね」

「なぁに。すぐに次見繕ってくるからよぉ」


 そんな会話のあと、接吻を交わしている。


 男の手には刀が握られており、それが鈍い光を放っていた。


 それが自分目がけて振り下ろされる。


 刃物が自分の肉を裂く痛みを感じるが、それ以上に腑の奥から黒く、冷たいものがこみ上げる。


 しかしそれを言葉にすることも叶わず、体から力が抜ける。


 その姿を見て、事切れたと思ったのだろう。


 二人はそのまま背を向け歩き出す。


 あぁ、自分はこのまま、誰に看取られることもなく、死んで朽ちていくのか。


 そんな絶望が心を支配した、その時だった。


『あな、うらめしや。さぞあの二人が憎かろう』


 そんなささやき声が聞こえる。


 最後の力を振り絞り、まぶたを開くと、目の前には黒々とした鱗を持つ大蛇がいた。


 赤い舌を覗かせながら、こちらをじっと見つめている。


『我らと共にあの二人を討ち滅ぼしてやりましょうぞ』


 大蛇がそう言うと、その大きな顎門あぎとが開かれ、丸呑みにされてしまう。


 そのまま意識は混濁し、薄れていった。



 はじめに襲ったのはあの二人だった。


 それはよく覚えている。


 男はなぶって殺した後に飲み込んだ。


 女は腹を食い破って打ち捨てた。


 それだけで気がおさまるわけもなく、自分を慰みものにした男たちを探しては、一人一人なぶり殺しにしていった。


 そんなことを繰り返しているうちに、一人の僧侶が自分を封じに現れた。


 僧侶ははじめ、自分に悔い改めよと諭したが、到底受け入れられるはずもなく、戦ったすえ僧侶にとり憑いた。


 内側からじわじわと苦しめたが、最後には僧侶の体ごと長い時間封印されることになる。


 その間も恨みが晴れることはなく、時間だけが過ぎ去った。



 解放されたのは数日前。

 

 封印を解いたのはまだ年若い男だった。


 手にしたものが何なのかもわからずにあつかい、封を解いたようだが、そのようなことは些末なこと。


 当然呪い殺そうととり憑いたが、邪魔が入った。


 とり憑いた若い男と、同じ年頃の男と戦うことになる。


 しかし、今度はひどく追い詰められてしまい、相手の男の身体めがけて境界を作った。


 これで逃げ切れる。


 そう思っていたが、それは違っていた。


 生きた人の肉体に境界を重ねたことで、その人間の中の奥深くを垣間見ることとなる。


 相手の男のそれは酷く優しく、あたたかいものだった。


 ああ、このような人間になら、斬られても、滅せられてもいい。


 そう思う。


 うしろから声がする。


 魂の姿となってまで追ってきた男に振り向く。


 男が刀を振り上げた瞬間。


 男の顔が、それはそれは悲しそうな顔で。


 頭上から刃が振り下ろされるのを、笑顔で受け入れた。



 目を開けると、彼の目の前にはいつもの三人と平田の顔があった。


 皆一様に心配そうな顔をしているが、


「うわぁ⁉」


 思わずそんな声と同時に飛び起き、突如強い吐き気に襲われた。


「うっ!」


 急ぎ近くの茂みに駆け込み、胃からせり上がってくる内容物を吐き出す。


「だ、大丈夫か?」


 そう言って康樹が背中に手を伸ばすが、


「っ!さわるな‼」


 思わずそう怒鳴った。


 直後、またこみ上げる吐き気とともに嘔吐を繰り返す。


 そんな彼の状況を見て、太壱が言う。


「……清司はおれが看るから、今日はもう解散しよう」


 その言葉に、三人は仕方ないというふうにそれぞれ帰っていった。


「……大丈夫か?」


 少し離れたところから、居残った太壱が声をかける。


 それに答えようと少し顔を上げたところで、また吐き気が襲ってくる。


 そんな彼を太壱は落ち着くまで黙って見守っていた。


「はぁ、はぁ……うっ……」


 胃の内容物どころか、胃酸まで吐ききって、これ以上は胃袋が口から出てくるのではないかというくらい嘔吐えずいたあと。


「……そろそろ吐ききったか?」


 太壱がそう声をかけてきた。


「はぁ、はぁ、はぁ……ああ」


 肩で息をしながら、短く答えた。


 フラフラとした足取りでベンチに歩み寄り、どさっと腰を下ろす。


 太壱はそのベンチの端。なるべく清司から離れた位置に座った。


「……落ち着いてからでいい。何を見たのか聞かせろよ」

「……なんの話だ」

「バックレんなよ。どうせ消滅させたんだろうが。お前が自殺みてーな真似して倒れてから何時間経ってると思う?」


 言われて、スマートフォンを確認すると、時刻は十八時をさしていた。


 公園に着いてから軽く三時間は経っている計算だ。


 そんなに長くあの化け物と対峙していたとは思えない。


 倒れてからの時間の方が長かったのだろう。


「……わりぃ」


 それだけの時間をただ待たせてしまったことに謝罪する。


 あの三人にも、明日顔を合わせたら謝らなければならないことに気づき、彼は胸中で毒づいた。


 が、太壱は時間のことで怒っているわけではないようだ。


「何があったか、きちんと聞かせろ。お前はそれだけのことをやったんだ」


 言われて、自身の行動を振り返る。


「……心配かけたな……すまん」

「っ!すまんじゃねぇんだよ‼」


 太壱の叫びのような怒鳴り声が公園に響き渡る。


 充晶の結界が消えた公園には幸い誰もおらず、あたりはしんと静まり返っていた。


 いつもは声を荒らげない人物が声を荒げたことに驚きを隠せずにいると、太壱は伏せた顔を両手でおおい、続けた。


「……こっちが、どんだけ心配したと思ってる」


 くぐもった声で言った彼は、どこか疲れきった様子だった。


「……すまん」

「……謝るなら、ちゃんと話してくれ……なんであんなに突っ走った」

「……あれは、人間を殺すことを楽しんでた……そんなものを、野放しにできるほど……俺の頭は楽にできてねぇってこった」

「……おれが封印すれば話は済んだ」

「お前の封印だって、いつかはどっかで崩れるだろ。そうなりゃまた死人が——」

「だからってお前が今死んだらもともこもない‼」


 言うと同時に太壱は立ち上がる。


 そのままこちらに近づいてくると、胸ぐらをつかまれ、うつむいていた顔を上げさせられる。


 見上げた太壱の顔は今にも泣き出しそうだった。


 真っ直ぐに見つめ返し、言うべき言葉を探すが、


「……すまん」


 出てきたのはその一言だった。


「——っ!」


 感情のやり場を失ったのだろう。太壱は乱暴に手を離すと、先ほどと同じ場所に座り直し、天を仰いだ。


「……せめて……」

「………………」

「……何があったのか聞かせろ」

「………………」

「……じゃないと……色々と納得できん」

「……わかった」


 そう言うと、彼は『境界』であったこと、そしてその後目にした『存在の譲渡』による追体験の内容を、ゆっくりと話し始めた。



 話し終え、空を見上げる。


 空はすっかり日が暮れて、濃紺の空に三日月が浮かんでいる。


 公園の街灯から、時折ジジジっという電磁音がかすかに聞こえるほど、公園内は静まり返っていた。


 清司は深く息を吐くと太壱を見やった。


 太壱は黙ったままうつむき、額に手を当てている。


「……あれは——」

「おまえ、次があるかはわかんねぇけど、もう消滅させんな」


 言いかけた言葉にかぶせるように太壱が言う。


「………………」  

「おまえが負担を負うことないだろ」 

「………………」


 その言葉に対する言葉が浮かばず黙り込む。


「さっき吐いてたのだって、存在の譲渡で見てきたもんの影響だろ。康樹が近寄ったのに怒鳴ったのも、そのせいのはずだ」


 確かに。


 目が覚めたあの瞬間、視界に入る「男」全てに嫌悪感をいだき、下手をすれば憎しみさえいだきかけた。


 康樹があれ以上近づいていれば反射で殴り倒していただろう。


 あれは自分の経験ではない。


 それを自身に必死に言い聞かせ、ようやく落ちついたのだ。

 

「それはおまえの言うとおりだ……でも」

「でももクソもねぇ。次は頭に蹴りじゃおさまんねぇぞ」


 あの衝撃が蹴りだった事に、内心軽い戦慄を覚えるが、それでもこの性根は変えられないだろう。


 そう思い、言葉を選ぶ。


「……それでも俺は、多分、ああいうの前にしたら、止まんねぇよ」

「……だったら、どんなもん斬ったのか、必ず話せ。話すことで軽くなることもあんだろ」

「……わかった」


 深いため息まじりに言った太壱の言葉にそう返す。


「あーあ!世話の焼ける幼馴染だ!まったく!」

「ぼやくなよ」

「ぼやきたくもなるっての!それに、お前その肩、どうすんだよ?」


 言われて、自身の肩に目をやる。


「肩……?あ……あぁ⁉」


 右肩に受けた傷から出た血液がベッタリと固まり、シャツの生地が腕に貼りついていた。


 これは、はたから見れば大怪我をした人間のそれだろう。


 傷自体はもう塞がっているのか、それほど痛みは感じないが、これはごまかしようがない。


 シャツの生地自体も引き裂かれて大穴が空いている。


 これはまずい。


「そんなん洗濯出したらおばさんに何言われるだろうな?」

「……どうしよう……このシャツ、この間母さんが買ってきたばっかり……」

「後先考えねぇおまえが悪い。こってり絞られろ」

「助けてくれ」

「無理だ」


 無慈悲な太壱の言葉に、彼は頭を抱えるしかなかった。



 柳谷家のヒエラルキーは、頂点に母親が君臨する形で成り立っている。


 その下に父親。最下層に清司と3つ年下の弟、司郎というわかりやすい配置だ。


 しかしその構造が、今の彼には恐怖でしかなかった。


「………………」


 無言で、そっと、静かに玄関を開ける。


 が、


「おかえり」

「——っ!」


 玄関の扉を開けた先の薄暗い廊下には、母親が無表情で、玄関マットの上に正座して待機していた。


 後ろでドアが閉まる音がする。


 彼女はいたって穏やかに言った。


「清司。高校に上がってからの門限、この間決めたわね?」

「……ああ」


 口調は穏やかだが、薄暗い中でもわかるほどの怒気をはらんでいる。


「何時だったかしら?」

「……十九時」

「今、何時かわかるかしら?」

「……二十一時」

「何か言うことは?」

「すみませんでした」


 素直すぎるほどに清司がすぐに謝罪をすると、彼女はすっと立ち上がった。


 一歩近づき、くんくんと清司の臭いを嗅ぐ。


「それはそうと。おまえ、どうしてそんなに血なまぐさい臭いをさせているのかしら?」

「………………」


 その瞬間、清司は自分の母親が、かつて救急医療の第一線で活躍していたプロの看護師であったことを思い出した。


 これは、非常にまずい。


 ブランクはあっても、かつての現場で鍛え上げられた嗅覚その他諸々は、今も衰えていないということだろう。


「……脱ぎなさい」

「……は?」

「今すぐ、その制服を脱ぎなさい」

「い、いや、それは——」

「いいから脱げぇぇぇえ‼」


 柳谷家の玄関に、母親の怒声が響きわたった。


 玄関の明かりがつき、リビングにいた父親と弟が、何事かと顔を出す。


 彼女は清司の制服の襟を掴み、無理やり脱がしにかかってきた。


「こんだけ鉄臭い臭いプンプンさせて、どこ怪我してきた!言え‼」

「母さん!落ち着きなさい!」


 玄関先の乱闘騒ぎに父親が割って入るが、彼女は一向に引かない。


「落ち着いてるわよ!こんだけ血なまぐさいんだからそれなりに出血してるでしょう!早く処置しないと!」

「わわ、わかった!自分で脱ぐ!」


 母親の気迫に押され、清司はついに観念し、学ランを脱いだ。


 血に染まったシャツがあらわになり、瞬時に場が静まり返る。


 が、母親の対応は早かった。


 すぐさまリビングに駆け込むと、救急セットを持ってすぐに戻ってきた。


 その間に父親に上がり框に座らされる。


 母親は、迷わずゴム手袋を装着し、清司のシャツの袖から肩までを大きくハサミで切り裂いた。

 

 そして慎重に、腕に貼り付いた血濡れの生地を剥がしていく。


「……母さん、そんくらい自分で——」

「黙れ怪我人」

「はい」


 そうこうしているうちに、化け物にやられた傷口が顕になる。


 出血はたしかに止まっている。が、傷自体はよほど深かったらしく、まだ生々しい状態だった。


 刺されただけで、えぐり取られなかったのは不幸中の幸いだったかと、清司はため息をついた。


 見ると、母親が訝しげな表情で清司をにらんだ。


「……おまえ、この傷は何があった」

「……転んだ」

「看護師ナメてんのか?どこで転んで何がどうしたらこうなる。説明できるなら簡潔に説明してみなさい」

「………………」 


 何をどう説明すれば納得してもらえるというのか。


 言葉が全く思いつかず、清司は黙り込んだ。


 今の状況ではどんな言葉を並べたところで下手な嘘にしかならない。


 それは母親の神経を逆なでする行為でしかないことを、彼は熟知していた。


 清司が黙りこくったのを見て、母親は深くため息をつく。


「はぁ。お前のそれは変わらんね。とりあえず中に入りな。ここじゃ寒い。続きは中でだ」


 そう言い残し、リビングへと入っていった。


 それを黙って見送って少ししてから、肩をすくめて困った顔をしている父とともに清司もリビングへと向かった。



 リビングに入ると、すぐさまダイニングテーブルの椅子に座らされ、上半身の服を引っぺかされた。


 もちろん、肩の傷口には触れないよう配慮されてだ。


 肩の傷はすぐに乾いた血を洗い流され、消毒のあとガーゼを当てられる。


 さすがの手際の良さに感心していると、頭にげんこつが落とされた。


「いてっ」

「げんこつが痛くてなんでこの傷が痛くないの!普通ならのたうち回ってるだろうよ!」

「……我慢した」

「我慢で済むなら医者も看護師もいらんわ!」


 母親のもっともな言い分に、げんこつを受けた頭をさすりながら目線をそらす。


「まったく。どこでこんな我慢の仕方覚えたんだか……ほら、防水テープ貼るから胸張って、腕横に伸ばしな」


 指示されたとおりに胸を張り、上腕を広げると、ガーゼの上からぴたりと、透明な膜のような、薄いテープが貼られた。


「はい完了。いいか、自然に剥がれてくるまで防水触るなよ。それからガーゼが汚れたら剥がして交換。傷口熱っぽかったら報告しな」


 母親はそう言って、てきぱきと道具を片づける。


「……ありがとう」

「さっさとシャワー浴びてきな。その間に夕飯用意してやるから。説教はそれからだ」

「……うぐ」

「返事は?」

「はい」

「わかったらさっさと行け。傷口には触るなよ」


 その後。言われた通りにシャワーを浴び、しっかり出された夕食を摂った後で、やはりしっかりと、門限を大幅に超過したことに関して二時間コースの説教を受けたのだった。


 この時はまだ、これが常習化するなど、つゆほども予想していなかった。

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