6章「新しい日常」

 軽くシャワーを浴びて汗を流し、気持ちをリセットして。


 彼は登校の準備を済ませると、早々に家を出た。


 昨日の今日で、両親は心配していたが、大丈夫だと言い切った。


 大丈夫。


 自分にもそう言い聞かせる。


「おはよう」


 黙々と歩いていると、後ろから聞き慣れた声がして、肩を叩かれた。


 振り向くと、真新しい学ランを着た太壱が立っていた。


「おはよう」


 そう返して歩き出す。


 と、太壱が心配そうに顔をのぞき込んでくる。


「清司、大丈夫か?」

「……何が?」

「……お前が大丈夫だっていうなら、何も言わないけどな。無理だけはするなよ」

「……ん」



 それだけ言って黙って歩く。


 天気は良いが、心の中はぐちゃぐちゃだ。


 これを表す言葉が、今の清司には見つからない。


 数分歩いて、後方から再び声をかけられた。


「おーい!清司!太壱!」

「おはよう」


 康樹と充晶だった。


 行き先は新しくなったが、いつもと変わらない登校風景に、彼は余計に複雑な気持ちになった。



 新しい教室。


 新しい机と椅子。


 新しいクラスメイト。


 新しい担任。


 今までとは違う授業。


 新しいものづくしの一日を終えて、彼は帰り支度を進める。


 まだ部活はないし、放課後特に予定があるわけでもない。


 と、そこに康樹と充晶が教室に入ってきた。


「いたいた!」


 二人は迷わずこちらに来ると、少しだけ人の目を気にしながら話し始めた。


「おい、このあと暇だろ!オレんち集合な!」

「え?」

「昨日のやつ、試してみない?僕、昨日の夜話聞いてみたんだ。そしたら色々とできそうだなって思ってさ」

「おれはいいけど……」

「………………」


 人目は気にしているのだろうが、登校初日の放課後に、堂々と他のクラスに入ってくるのはいかがなものか。


 とりあえず居残っているクラスメイトの視線は、四人に釘付けになっている。


 それはそうと。


 明るすぎる康樹と充晶のテンションについていけず、清司は思わず黙り込んだ。


 康樹が首を傾げる。


「もしかして、用事あったか?」


 少しだけしょんぼりしたふうに言うが、首を横に振ってみせると、


「じゃ、決定な!帰ろうぜ!」


 と、先陣を切って歩き出した。


「何あの人……」

「他のクラスの男子が何で……」


 などと囁き合う女子の声を無視して、清司も後を追うように教室を出た。



 自宅に着いて。


 自室に入るとカバンを放り出し、私服に着替え、ベッドに寝転がった。


 このあとの予定には、正直気乗りしていなかった。


 今朝の夢のこともある。


 あれは完全に彼女の過去だった。


 死んだ人間の過去を、その人間の視点で体験する。


 そこに自分の意識はなく、その人間の人生、思考を生々しく体験していく夢。


 それがただの夢なのか、それとも現実なのか。


 目が覚める瞬間までわからない。


 そんなことは生まれてこの方、経験したことがなかった。


 これから先、こんなことが続くのだろうか。


 彼は白秋を呼び出す。


 枕元に置かれたままの玉が光ったかと思うと、虎に姿を変え、ベッドの横に座った。


『ここに』


 さすがに学習したのか、それともそれが今ちょうどいいのか、大きさは大型犬ほどだ。


 気怠さを感じながらも起き上がり、向き合う。


「……夢を見た……昨日斬った、あの女の人の……」

『正常に『存在の譲渡』が成されたか』


 淡々と言う白秋の言葉に眉根が寄る。


「……あれが、そうなのか?」

『消滅させた『存在』は、世のことわりから外れ、根本から無となる。しかし、夢見による『存在の譲渡』で消滅させた対象の情報が、主の魂に直接刻み込まれることにより、『無かったこと』にはならぬ』

「……でも……消したことには、変わりないんだろ」

『左様。変わりのない事実である』


 こいつに感情はないのだろうか。


 昨日はあんなにべそをかいていたのに。


「なんで……」


 あまりに冷酷な事実を突きつけられたようで、言葉に詰まる。


『………………』


 白秋は何も言わない。


 それがかえって念押しされているようで、


「なんでこんな力なんだ!こんなもん、ただの暴力装置じゃねえか‼」


 彼はたまらず立ち上がり、声を荒げた。


『主……』

「お前で斬ったもんが全部消えちまうんなら、何もかも消すことができるってこったろ!……下手すりゃ、生きてる人間だって……」


 そこまで言って、力なくベッドに座る。


 そうだ。


 この力は純粋に危険なものだ。


 下手をすれば、あの尖先に触れただけで消えてしまう。


 そんなものを、どう扱えというのか。


 彼は両手のひらで顔を覆った。


 と、指のすき間から光がさす。


 見ると、虎は昨日の子供に姿を変えていた。


 どこか申し訳なさそうに正座し、顔を伏せている。


『……前のあるじは……』


 ポツリと話し始める。


『前のあるじは……我を使うとき、消すものとそうでないものを分けて斬っていた』

「………………?」

『……意志の力は言葉に宿る。あるじは、その言葉に従い、力を使っていた』

「そんなことが……」

『考えられよ、我が主。なぜ主は我を振るうのか』

「………………」

『力は、意志に宿る……あるじは……そう言っていた』


 そこまで言うと、子供の姿の白秋は黙ってしまった。


 こいつが言う、「前のあるじ」がどんな人間かは知らない。


 が、よほど武器の扱いと、戦うことに慣れていたのだろうなということはわかった。


 そして、白秋が「前のあるじ」を忘れられないことも。


「おまえ……寂しいのか?」

『?』


 思わずそう尋ねると、意味がわからないのか、こちらを見て首を傾げた。


「……いや。わからないならいい」


 言いながらうつむき、ため息をつく。


 白秋——玉の力が悪いわけではないのはわかっている。


 力の使い方と、使いどころが肝心なのだろう。


 まだ納得はできないし、心の整理はつかないが、それだけは理解した。



守甲隔壁陣しゅこうかくへきじん!」


 充晶が、手にした長弓を空に向けて構え、弦を弾くと同時にそう言うと、光る矢が空に放たれ、空中で五つに分かれる。


 分かれた矢のうち四つは、充晶が指定した庭の四か所に刺さると、光の線を描いた。


 空には五本目の矢がそのまま残り、地上の線から光の壁が現れると、そのまま空に浮かぶ矢の地点まで伸び、立方体の隔離空間を作り上げる。


「おお!すっげー‼」


 そう言って感動したのは康樹だ。


 父親が出張で数日いないという康樹の家の、さして広いというわけでもない庭に、四人はいた。


 集まって早々。


 康樹が使える術があるなら見てみたいと言い出したのだ。


 そこで、


「じゃあ僕から見せるよ」


と、この結界を張って見せたのだ。


「これ、どう使うの?」


 そう聞いたのは太壱だ。


 確かに、隔離空間を作るだけなのかは気になる。


「んー。玄冬が言うには、ありとあらゆる事象からの隔離って言ってたから、この空間は今一切の干渉を受け付けないことになってるんじゃないかな?」

「というと?」


 難しい説明に、康樹が理解できず、そう尋ねる。


「……こん中じゃ、ものが壊れることがないってことじゃねぇのか?」


 清司が補足してそう言うと、康樹は「なるほど!」と納得した。


「あ!あとね、目に見えないものが見えるようになるっていうのも言ってたかな!」


 そっちの方が重要な気もしないでもないが。


「まじで!じゃあ幽霊とかも見えちゃうってこと⁉」

「そういうことだよね〜」

「じゃあさ!幽霊退治もできるかな!オレ、捕まえるしかできないっぽいけど!」


 相変わらずきゃっきゃと楽しそうな二人。


 そこまで聞いて、清司は自分の血の気が引くのを感じた。

 

 頭がしびれ、周りの声が遠くに聞こえる。


 息がしづらい。


 視界が明滅する。


 いよいよ立っていられなくなり、その場にしゃがみこんだ。


「おい!大丈夫か!清司‼」


 一番近くにいた太壱が駆け寄って声をかける。


 返事をする間もなく、しびれが頂点に達し、視界はブラックアウトした。



「——から、こいつは昔っから幽霊のたぐいとか影響受けすぎるんだって!」


 太壱の声が聞こえる。


「でも今はそんなもんいないんだろ?」

「いないけど、影響受けて今絶不調なんだよ!」

「それはわかったけどさ。そんな影響いつ受けたの?」

「それは……」


 なにやら三人で言い合っている。


 ゆっくりと起き上がって、息をつく。


 それに気づいたのはやはり太壱だった。


「清司!大丈夫か⁉」

「ああ。わりぃ。心配かけた」

「もー!びっくりしたんだからなー!調子悪いなら言えよー!」

「そうだね。言ってくれないと困るよ」

「わるかった。もう大丈夫だから」


 そう言いつつも、体はまだ少し怠い。


 その様子を見て太壱が言う。


「そのままでいいから、昨日のこと、話してくれないか?」

「………………」

「このままじゃ、おれたち納得しないぞ?」

「……わかった」


 言うつもりはなかった。


 しかし、このままだと三人に余計な心配をかけ続けることになる。


 意を決して、昨日あったことを、ゆっくりと話し始めた。



 夕方、公園で化け物と遊ぶ子供を送り届けたこと。


 その後その化け物に取り憑かれて殺されかけたこと。


 白秋と契約せざるを得なかったこと。

 

 公園の木に憑いていた怨霊のような化け物を白秋で斬ったら、本体の木が倒れてその場から逃げたこと。


 化け物の正体が、子供の頃遊んでもらった、女子高生だったこと。


 そこまで話して、清司は言葉を切った。


 三人は特別騒ぐこともせず、黙って聞いていた。


 思った以上に深刻に捉えられたようで、部屋の中は沈黙が支配し、壁にかけられた時計の針の音がはっきりと聞こえるほどだった。


「……じ、じゃあ、その女の子、消しちまったってことか?」

「……ああ。そうなる」


 康樹の、事実を確認するかのような質問に、ゆっくりと答えた。


 何かが凍りついたように、表情は動かない。


 そうだ。彼女を消したのは、紛れもない事実だ。


 それ以上でも、それ以下でもない。


「俺の力は、基本、使えない。何でもかんでも消しちまうからな」

「で、でもさ!それならなおさら幽霊退治に向いてるんじゃ——」

「バカ野郎!」

「っ⁉」

「消すっつーことは、この世から消すだけじゃねぇんだ!本当に、何もなかったことに……いなかったことにしちまうってことなんだよ‼」


 思わず康樹を怒鳴りつけてしまう。


 康樹は悪くない。


 こいつは、ただ単純に、触れてみたいだけなのだ。


 あちら側の世界に。


 怒鳴られて固まる康樹を見て、やるせない思いが胸を締めつける。


 誰も、悪くない。


「……ご、ごめん」


 康樹のその言葉に、いたたまれなくなる。


「……俺の方が悪かった。怒鳴って、すまん」


 そう言って立ち上がる。


「ワリ。もう帰るわ。また明日な」


 それだけ言って、その場を後にした。



 清司が出ていって。


「オレ……あいつに悪いこと言ったんだな」

 

 しょぼくれた様子で康樹が言う。

 

 確かに、今の清司にとって、康樹の発言は無神経だっただろう。


 だが、彼は幽霊は退治できると単純に考えているフシがあるので、仕方がないとも言えた。


「明日謝ればいいよ。アイツも頭に血が上ったんだよ。きっと」


 充晶が康樹を慰めるように言うと、康樹は黙って頷いた。


 事はそんな単純ではない。


 太壱はため息をついて、二人の前に座った。


「あのな、ちょっと簡単に説明してもいいか?」

「何を?」

「お前たちが言う、「幽霊」について」

「是非聞きたいね」


 二人の同意を得て、太壱は話し始めた。


「お前らが言う「幽霊」って、どんなのイメージしてる?」

「えっと、生きてる人間に悪さするやつ?」

「生きてる人に悪影響を及ぼすもの?」


 太壱の質問に、それぞれが答える。

 

 言葉は違うが、言っている内容はほぼ同じだろう。


 うんと頷いて、太壱は続ける。


「違うんだなこれが」

「どゆこと?」

「?」

「確かに、一般的に「幽霊」ってのはそうかもしれないけど、実際は、この世に未練を残してどこにもいけない、ただの死んだあとの人」


 見ると、康樹はまだ理解できないといったふうで、充晶はただじっとこちらを見ている。


「要するに、肉体があるかないかの違いだけで、「人」なんだよ」

「じ、じゃあ、悪さするやつって何なんだよ?」

「それは悪霊とか、地縛霊とかそんなん。生きてる人間だって、悪いことするやつはごまんといるだろ?それと同じさ。でもそういうやつだって、結局は「人」だよ」


 二人は黙って話を聞いている。


 すっかり冷めてしまったお茶に手を伸ばし、続ける。


「だから、お前らが言う「幽霊」ってのは、確かに驚かされることも多いだろうけど、基本「人」と変わりないんだ。そして、未練が晴れたり何かしらの執着する気持ちがなくなれば、自分で行くべきところへ行くことができる。次の世界があるんだ。もしかしたら、生まれ変わりなんてのもあるのかもしれない」

「じ、じゃあ、清司が言ってた「消す」ってのは……」

「……本当に、消すことができるんじゃない?」

「そう。あいつが言ってたのはそういうことだと思う。本当ならまだ続きがあった「人」の未来を、あいつは奪ってしまったんだと思う」


 言いながら、お茶を喉に流し込む。


 冷めてしまったからだろうか。


 それは、いつもよりもだいぶ渋く、苦く感じた。


「あいつ、生まれつきそういうものが見えてたって言ってた。おれも似たようなもんだけど。だからこそ、「幽霊」になった人は、あいつにとって他の人に見えないだけのただの「人」なんだよ。だからあいつ、昨日のことはもしかしたら「人を殺した」っていうふうに捉えちまってるかもしれない」

「……そんな」

「そこまで……」


 やっと、清司の力の意味と、彼の状況が伝わったのか、二人は何も言えないようだ。


 誰にも咎められることがないぶん、清司にとってどれだけ負担になることか。


 考えただけでも胃が痛む。


 まして今回は、かつて世話になった人という事実も重なっているのだ。


 自分なら、耐える自信はない。


 きっと今頃発狂しているだろう。


 二人は沈黙したままだ。


 これ以上は、今は話すことはない。


 そう思い、残ったお茶を飲み干すと、太壱は立ち上がった。


「おれも行くわ」


 そう言い残して康樹の家を後にした。


◆ 


 二人残されて。


「オレたち、ちょっと甘かったな」

「そうかもね」

「オレ、「幽霊」なんて、ゲームに出てくるような、人間を襲う化け物と一緒に考えてたのかも」

「僕もそれは一緒さ」

「もうちょっと、ちゃんと考えないと、だなー」

「そうだねー」


 二人はそう言うと、大きなため息をつきながら天井を見上げた。



 康樹の家から逃げるように立ち去って、気がつくと昨日の公園にいた。


 倒れた木の周りに立ち入り禁止のロープが張られている以外は、昨日と何も代わり映えしない、普通の公園。


 ただ、昨日のような強い悪寒は、感じることはなかった。


 静かな公園だった。


 昨日、白秋がひっくり返したベンチが元に戻されているのを見て、そこに腰掛ける。


「………………」


 そのままぼーっと空を見上げた。


 空は夕暮れが近いせいか、まだ十分明るいものの、雲が色づいている。


 そのまましばらく、時間が過ぎるのに身を任せる。


 今は何も考えたくなかった。


 それからしばらくして。 


「あ。いたいた」


 そう言いながら近づいてきたのは太壱だった。


 見ると、コンビニの袋を提げている。


 中から缶コーヒーを一つ取り出すと、こちらに放ってよこした。


 キャッチするとホットだったため、熱さに思わずお手玉状態になる。


「こいつ、便利なのなー。お前の居場所、一発で教えてくれたぜ」


 言いながら、自らも缶コーヒーのプルタブを開け、隣に座った。


 せっかくなのでこちらもプルタブに爪をかけた。


 温かいコーヒーが流れ込み、胃を温めるのを感じる。


「……夢、見たんだ」


 少しの沈黙を挟んで、清司はポツリと、独りごちるように話し始める。


「夢?」

「世話になった女の子が、どんな思いをして死んで、俺に消されたかって内容の……」

「それは——」

「ただの夢じゃない。あれは彼女の人生の追体験だ」

「そんなことあるのか?」

「俺も初めてだよ。ただ、白秋……俺の玉の話だと、『存在の譲渡』ってやつらしい」

「なんだそりゃ?」

「そういうもんを斬って消滅させたとき、夢で見て情報を魂に刻むとか何とか。とにかく、そういう仕組みらしい」

「ふーん」


 そう言うと、太壱は音を立てて缶コーヒーをすする。


「お前は、そういう話はしたのか?」


 問うと、彼は肩をすくめ


「いんや。ただ、おれのは『封印』だからな。そこまでの副作用的なものはないと思う」


 そう答えた。


「そうか」


 その言葉に少し安堵して、缶コーヒーを飲む。


「……おれたちが見えてるものについて、あいつらに話した」

「………………」

「納得はしたみたい。でも、どこまで理解してくれたかはわからん」

「……そうか」

「………………」

「………………」

「女の子は、最後はなんか言ってたか?」


 何度めかの沈黙の後、太壱がそう切りだす。


「……?」


 清司は言葉の意味がつかめず、疑問符を浮かべた。


「消える間際さ。話も何もできなかったのか?」


 言われて、夢の最後を思い出す。


 彼女はなんと言っていたか。


「……消してくれて、ありがとうって……」


 笑顔だった。と、思う。


 彼女の視点だったので、実際それを目にしたわけではないが、彼女の表情は、ほころんでいた。


「……ありがとう……か」

「………………」

「……玉、お前のは白秋って言ったっけ。話したのか?」 

「ああ。『存在の譲渡』は正常に済んだってさ」

「それだけ?」


 言われて、あの少し不器用そうな子供が、前の持ち主のことを思い出しながら言った言葉を思い返す。


「前の持ち主は、力をコントロールできて、消す相手を選んで斬ってたんだと」

「お前はそれ、できないのか?」

「……わかんね。昨日は必死だったし」

「………………」

「白秋は、力を使う理由を考えろってさ」

「……力を使う理由、か」 

「意志は言葉に宿るってのも、言ってたな」

「それって、前の持ち主は、何かしら呪文みたいなの言ってから相手を消してたってことじゃないのか?」


 呪文とはまたファンタジーな。


 そう思いながら、清司は刀を使ったときのことを思い返す。


 が、それらしい出来事も、白秋の補佐もなかった。


「……呪文って。そんなもん、わかんねぇぞ」

「そうだなぁ。おれもそれはわからんなぁ。でもヒントにはなるだろ?」

「……ヒントも何も……俺はこんな力、使いたくねぇんだけどな」


 そう。その気持ちだけは揺らいでいない。


 使わなくて済むなら、それが一番いい。


「それは使う理由だな。お前、昔っからキレるときって、何かしら身近な人間が理由だったじゃん」

「……そうだったか?」

「意識なしかぁ。ま、そんなんだからさ。おれは、お前がたとえ力を使ったとしても、間違って違うものを消すってことはないと思ってるけどな」

「………………」


 太壱の言葉に少し考える。


 力を使う理由。


 白秋にも、似たようなことを言われた。


「……昨日の女の子だって、そのままほっといたら、子供が巻き込まれそうだったんだろ?」

「………………」

「だから普段なら近づかない「自殺の名所」なんかに入ったんじゃねぇの?」


 それは確かに。


 あのまま放っておけば、あの子供は今頃行方不明になっていたかもしれない。


 しかし。


「……だとしても」


 彼女を『消滅』させていい理由にはならない。


「女の子は、お前に感謝して消えた。それって、お前はその子を、最終的には助けたってことじゃないのか?」

「………………」


 言われて、彼女のことを思い返す。


 あの日々が、どれほどの地獄だったことか。


「今はわかんなくてもしゃーなし。でもさ」

「……でも?」

「でも、お前のその力って、絶対人助けには使えると思う。世の中玉もらう前のおれ達みたいに、「見えても何もできない」って人は大勢いると思うからさ。それに、人間にとり憑くのは、なにも幽霊だけじゃないだろ?」

「俺は、そんな、世のため人のためなんて柄じゃねえぞ」

「ははは、そうだな。でも、身近な人間が困ったら放っておけないだろう?」


 軽く笑いながら言う太壱に、何だか見透かされているような気分になる。


「そりゃ……まぁ……」

「それでいいんじゃね?」

「………………」

「おれだって、『万物の封印』なんて力だけど、そんな大げさに使うつもりねぇし」


 そういって、彼は飲み終わった缶コーヒーの缶を、公園に設置されているゴミ箱めがけて放り投げた。


 缶は音を立ててゴミ箱に収まる。


「………………」

「あの二人がはしゃぎすぎなんだよなー」

「そうだな」

「おれたちはゲームの主人公でも何でもない、ただの一般人なんだからさー」

「……そうだな」


 彼の言葉に同意して、清司も缶コーヒーを飲み干すと、空になった缶をゴミ箱めがけて放り投げた。


◆ 


 翌日。


 帰りのホームルームが終わるとともに、やはり康樹と充晶が教室に入ってきた。


 すれ違った担任は、怪訝な顔をしていたが、特に何も言うことはなかった。


「早いな」


 それはそうだ。


 チャイムが鳴ったのとホームルームの終わりはほぼ同時だったし、二人が入ってきたのはそのすぐ後だ。


「僕たちのクラス、ホームルーム終わるの早かったんだ」


 そういう二人は、昨日のことはどこ吹く風の満面の笑顔だ。


 思わずため息をついて、要件を聞く。


「で、今日は何だ?」


 すると康樹が、待ってましたと言わんばかりに


「このあとオレんち集合!」


 と、元気よく言った。



 もはやお決まりになった、放課後の櫻井家集合。


 今日もコーヒーを出され、遠慮なく口をつける。


 と、康樹が座ると同時に切り出した。


「オレたち4人で、『何でも屋』をやるぞ!」

「イェーイ!」

「え?」

「はぁ?」


 ぽかんとする清司と太壱に説明するように、二人は続ける。


「昨日はオレたちが悪かった!」

「でもね、僕たちも考えたんだよ。この力はただ持ってるだけじゃもったいないって」

「だから、オレたち四人でチーム組んで、心霊現象とかで悩んでる人たち相手の『何でも屋』をやろうと思うんだ!」

 

 昨日の出来事の内容を、どう解釈すればこの答えになるのか。


「へ、へぇー」


 とりあえず太壱は余計なツッコミを入れまいと、そう言いながらカップを口に運んだ。


 清司は言葉が出ず、呆然とするしかない。


 そのリアクションに気を良くしたのか、二人は更に続ける。


「昨日の充晶の結界の話を聞いてさ。これは四人の玉の特性活かせば、怪奇現象解決できるんじゃね?って思ったんだよね!」

「ほら、僕の力って、指定した範囲内の『事象の隔離』なんだけどね、幽霊とか化け物とか、人には普通見えないものを見えるようにできるし、さわれるようにもできるんだよ。だから、キミたち二人のどちらかが問題の原因を見つけたら、僕がその周り——まあ、僕達を含めた範囲だね。それを『隔離』して——」

「悪いやつならオレが『捕縛』の力でとっ捕まえて、太壱が封印しちゃう」

「話が通じるなら話し合いで和解できるよね?元いた場所に帰ってもらうとか」

「幽霊ならその、未練?とかの原因聞いてそれを解決して成仏の手伝いしたりさ!」


 まあ、この二人なりにはよく考えたようだ。


 確かに、そんなことができるなら、二人が言う「困ってる人」を助けられるかもしれない。


 が。


「……相手が、人間を食い物にしてるような、凶暴なやつだったらどうするんだ?」


 清司の発言に、二人ははたと黙り込む。


「化け物なんてのは色々あるんだ。人間脅かして楽しんでるようなやつから、それこそ人間を食料にしてるようなやつまで」

「お、おぉう」

「最悪、人間に恨みもって食い殺すようなやつは、大人しく封印されるとは限らねえし、関われば普通に襲ってくる。こっちだって、無事じゃ済まねぇぞ」


 清司の話に、太壱は黙って頷きながらコーヒーをすすっている。


 二人の話には、怪奇現象に触れたいという気持ちだけで、清司が言う、危険への覚悟が感じられなかった。 


 下手をすれば、命の危険だって普通にある。


 これまで清司は、持ち前の勘で、その危険にだけは触れないように、関わらないように過ごしてきたのだ。


「そっ!それでもさ!」


 康樹が前のめりになって言う。


「普通の人に見えないことで悩んでる人がいたら、助けたいじゃん!」


 その勢いに、太壱が驚き、目を丸くしている。 


「康樹、わりとマジでねぇ。昨日話してて思ったんだけど、僕もこの話が通るなら、協力したいと思ってるんだ」


 充晶の言葉に、二人は顔を見合わせる。


 協力したいという充晶はともかく、康樹がこんなに、正義感が強いとは思わなかった。


「それ、本気で言ってんのか?」


 覚悟を問う清司の言葉に、康樹はじっと見つめ返し、


「……オレはいつだって本気だぜ?」


 どこかの漫画の主人公のようなセリフをはいた。


 そんな空気に耐えられず、


「……ぷっ……くくくっ。あっはははは‼」


 太壱がついに吹き出し、笑い始めた。


「へへ、へへへ」


 照れくさいのか、康樹も変な笑い方をしている。


「はぁ……何だこりゃ」


 そんなやりとりに思わず呆れてため息をつき、清司は後ろの壁に寄りかかった。


「俺はどうなっても知らねぇからな」

「まあまあ、康樹と充晶がここまで言うんだから、やってみようじゃん。それに、そんな話、一介の高校生のおれたちの耳に入ることなんてめったにないって」


 太壱の言葉に、まあそれもそうかと納得する。


 が、


「何言ってんの太壱。宣伝して依頼人募集するに決まってるじゃない」


 真面目な表情で言う充晶の言葉に、清司は表情を引きつらせた。


 宣伝?募集だと?


「マジかー」


 太壱が頭を抱える。


「バカ野郎!そんな怪異を集めるようなことしてどうする!」


 清司が前のめりになって言うと、康樹は得意げに言った。


「こういう活動は、まずは知名度が大事!知ってもらって、依頼してもらえるようにならないと、オレたち食いっぱぐれるぜ?」

「食いっぱぐれるって、なんの話だ!」

「え?活動するからには、タダじゃやらないぜ?ボランティアじゃねぇんだからさ!」


 そんなもっともらしいことを言って、康樹は胸を張った。


「タダ働きじゃ、モチベーションも続かないでしょ?」


 更に充晶が追い打ちをかけると、太壱はそこで折れたのか、肩をすくめてみせた。


「……まじかよ……」


 実質、抗議する人間が自分一人になったことを悟って、清司はそれ以上何かを言うのを諦めた。



 そんなことがあってから数日。


「平和だー」

「なーんにーもねぇー」


 放課後の教室。


 一つの机に四人集まり、清司はスマートフォンをいじっていた。


「天気いいー」

「あー。暇だー」


 先程からぼやいているのは、充晶と康樹だ。


「そう簡単に困った人が来るわけないじゃん」


 宿題をこなしながら言ったのは太壱だ。


 確かに。


 自分たちの力を使うような物騒な出来事など、早々あるわけがないのだ。


「せっかく四人の名刺だって作ったのによぉ〜」


 と、しょんぼりしながら康樹。


 その言葉に、二日ほど前、手書きの名刺の原稿と、コピーを数枚渡されたのを思い出す。


 その名刺には、


“怪現象のご相談お受けします『何でも屋〜psychic Caseworkers〜』”


 と書かれ、ご丁寧に名刺の持ち主の個人名と、電話番号まで書かれていた。


 康樹と充晶の二人は、クラスメイトを中心に宣伝しているようだが、あまり相手にされていないようだ。


 クラスが違う自分たちは、そこまで熱心に宣伝をするようなことはなかった——というか、全くしていない。


 他の人間と違うものが見えるということは、話すのは容易いが、信じてもらうのはとても難しい。


 清司はそれを、これまでの短い人生で嫌というほど経験していた。


 それでいじめを経験したことすらある。


 同じものを見る太壱が友達としていたから、おかしくならずに済んでいたようなものだ。


 清司はため息まじりに席を立つと、特に何も言わずに教室を出た。


 気分転換に自動販売機でコーヒーでも買ってこよう。


 そう思い、階段に向かう。


 と、そこにちょうど同学年の男子が歩いてきた。


 どこか虚ろな表情で、フラフラとこちら——階段へ向かってくる。


 よく見ると、彼の背後は黒い霧で覆われていた。

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