現状と開発
3154年2月28日。私は慌てながら、研究を続けていた。
――3日前
この日、急に行政のお偉いさんたちが私のもとにやってきた。口を開いてみればそれは、無理に近い問題だった。
「陽菜博士。君もニュースを見ただろう。世界はついに戦争時代に入ってしまったのだ。言うことは分かってるよな。兵器の開発を早く進めていただきたい。もう時間は残っていないんだ。」
こんなことを言われたって早くできるわけがない。今が最速で進めている状況なのだ。これ以上どうしろと。しかし私に残された選択肢は、一つしかない。
「分かりました。出来るだけ開発速度が速くなるように工夫いたします。後一か月ほどで完成すると思われます。」
相手は機嫌を良くしたのか上機嫌で言ってきた。
「それは良かった。一刻も早く開発が終わり、戦争が終わることを願っているよ。君の頑張りを期待しているよ。」
そう言って、去っていく。私は、これができたときのことを考える。戦況は劇的に変わるだろう。勝てるのかもしれない。しかし、それが実現するということは無実の市民たちも降伏しなければ虐殺してしまうことを意味する。私の作ったものが、人を殺す。その瞬間を私は想像できなかった。したくなかった。
3154年2月28日。
兵器開発に追われていた私は、研究に追われ心身は疲弊し、底に人の命が重くのしかかる。
――これは私の望んでいる研究ではない。
家族のために人を大量に殺さないといけないなんて。私は辞めたかった。研究をやめて逃げ出したかった。だけど今はもうずっと前に向かって進んでいくしかないのだ。もう退路は塞がれてしまったのだ…
「実験結果が出ました。結果は良好とのことです。しかし、レフリオンの毒性がやはり抑えられず…やはり、レフリオン耐性のある装備もいるかもしれません。」
助手からの研究報告を聞き、考える。やはり、耐性防具は必要らしい。どこの研究所もそんなことをしているという報告は挙がってない。ここで開発しないといけないのか。
「実験報告ありがとう。そのデータはまとめておいて。あと、明日は休みだって言っておいて。他の博士に、解決策がないか聞いてくる予定だから。」
「分かりました。他の者にはそう伝えておきますね。博士もたまには休んではいかがですか?ここ最近思いつめたような顔をして、休憩も忘れて研究してますよ。」
「そうだった?でも大丈夫だよ。気にしないで。」
助手には全部がお見通しだったようだ。確かに私は最近、ずっと研究を続けている。休めないのもすべて行政の影響なのだが。既に体力も限界だ。自分一人が残された研究室でひとり呟く、
「一度休憩しないと。既にもう限界だ。もう三日も持たない…」
部屋には私のため息がこだました。
情報をまとめ、研究所を後にする。真冬の夜は冷え切っていて吐く息が白くなる。まばらに並んだ街灯の下を歩いて帰っていった。歩く足は少しふらついていた。積もった雪は両脇に除雪されていた。そんな様子を自分と照らし合わせる。
「もう、決められた道しか歩めないのかな……」
自由や、楽しさと言う言葉はもう心には残っていない。唯一の嬉しさを感じるのは、助手や職員が楽しく暮らせていることを聞いたりすることだけだ。それは、自由も家族も名前さえも奪われてしまった私の唯一の明かりだった。
自宅にたどり着き、荷物を置く。部屋は、一人で暮らすには持て余してしまうほどだった。そんな家はどこか子供のころ住んでいた家と似ていて余計悲しさが増してしまう。私に残ったのは家族の記憶と記念写真一枚だけだった。そして、少し前の出来事を思い出す…
少し前に、街へ買い物に行ったとき、私は友達を見つけた。高校時代によく一緒に過ごした友達だった。彼女は別の友達と楽しそうに笑いながら歩いていた。笑い声が風に乗って聞こえた気がして、私は思わず足を止めた。
――話しかけたい。
今、どんな暮らしをしているのか聞きたい。あの頃みたいに、何気ない話をして笑いたい。
けれど、それは叶わぬ夢だった。
私が彼女に近づいてしまえば、彼女は消される。私はもう、松田陽菜ではない。名前も過去ももう無くなってしまった。彼女と話してしまったら、彼女自身の人生を壊してしまう。
それでも、目は勝手に彼女を追っていた。柔らかな栗色の髪、笑うと少しだけ左の口角が上がる癖。何も変わっていなかった。
まるであのころの。高校の帰路で、日差しの下を並んで歩いていた頃のままだった。
そして、
――ふいに、彼女がこちらを見た。
視線がぶつかった瞬間、心臓が一瞬止まったように感じた。彼女の表情がわずかに凍る。
驚き、そして信じられないというような瞳で私を見つめた。その口がゆっくりと動く。
「ひ…な…?」
と、そう言ったように見えた。
でも、その声は届かなかった。周囲のざわめきが、車の音が、風の音が、彼女の声をかき消した。届かないほうがいい、
――そう思っている自分に気づいて、胸が痛んだ。
「私を見ないで。私に話しかけないで。じゃなきゃあなたが死んじゃう。あなたには、まだ未来がある。友達も、笑顔も、暖かい日常もある。こんな私なんかに構わないで。もう松田陽菜じゃないの。だから……お願い、私を忘れて。」
心の中で叫びながら、私は帽子のつばを深くかぶり、顔を隠した。足が勝手に動く。雪を踏む音だけが、冷たい街の空気に響いた。
曲がり角を曲がる直前、どうしても振り返ってしまった。彼女はまだその場に立ち尽くしていた。人波に流されながらも、私を探すように視線を彷徨わせていた。
その姿を見た瞬間、涙がこぼれた。頬を伝った雫が、冷気に触れて凍えるように冷たかった。
「もう、会うことはない。」
そう呟いた声は、風に溶けて消えた。直感ではなく、確信だった。この世界で、あの人と再び笑い合うことはもうない。
もしあの時、彼女の声をはっきり聞いてしまっていたら。私はきっと、理性を捨てて彼女のもとへ走っていた。泣きながら抱きしめてしまっていた。そしてその瞬間、すべてが終わっていた。
――だから、聞こえなくてよかった。
あのざわめきが、彼女を守ってくれたのだ。そう思うことでしか、自分を保てなかった…
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