選択肢
3154年2月27日。朝、私は目を覚ました。視界に映るのは、昨日と変わらない白い病室の天井。だんだんと視界が失われていっている。そして、蒼く見える範囲が増えてきた。世界に霧がかかっていく。そういう風に感じた。
それから数時間。晴香博士がやってきた。そして、容態を事細かに説明してくれた。
「あなたは既にレフリオンによって汚染が始まっています。その痕跡としてあなたの血液からはごく少量ですがレフリオンが検出されました。ステージで見るとステージⅢと言うところでしょう。余命はあと、一、二か月と言ったところでしょうか?あなたには今2つの選択肢があります。これ以上もこれ以下も選択肢はありません。よく聞いてください。あなたに残された選択肢は二つです。一つは、このまま生きることです。副作用や発作を軽減する薬は今のところ完成していませんので、体力との勝負になるでしょう。そして2つ目は、レフリオン治療を行うことです。この治療を行うと、あなたの余命はその瞬間から一か月になります。この余命は変動はしません。減ることも増えることも無くなります。しかし、いつもどうりに。いや、いつも以上に暮らすことができます。レフリオンの効果によって能力が底上げされるのでいつもどうりに暮らせるようになるわけです。以上が治療方法の説明です。」
博士の言葉が終わったあと、しばらくのあいだ、病室に沈黙が満ちた。人工的な換気音と、遠くの機械が放つ低い電子音だけが、白い空間を満たしている。
私はゆっくりと息を吸い込み、吐いた。胸の奥が少し痛んだ。レフリオンが、私の中で広がっているのだと、身体が告げているようだった。
「……もし、治療を受けなかったら」
私はかすれた声で訊ねた。自分でも驚いたほど力ない声が出た。
博士は一瞬だけ目を伏せた。
「進行は止まりません。やがて、視界の蒼さは完全な白に変わり、音も、匂いも、次第に遠のいていきます。最後は……眠るように、です」
眠るように。それは、あまりにも穏やかな言葉だった。だが、私はその穏やかさに恐怖を覚えた。世界がゆっくりと消えていく感覚を、世界から離れていくその瞬間まで、私は最後まで自分で感じることになるのだ。
「治療を受けた場合は?」
「その瞬間から、レフリオンの再生能力が体を再生させ全身の能力が活性化します。思考も、運動も、感覚も、かつてないほど鮮明になります。ただし、それは三十日間だけです。三十一日目には、レフリオンはあなたの中で完全に飽和し、命を終わらせます。」
博士はそう言って、無機質な端末を操作した。画面には私の名と、簡単な数値データが並んでいる。彼女の指先が微かに震えているのが見えた。
「晴香博士……あなたなら、どちらを選びますか」
そう尋ねると、彼女は少しだけ息を詰め、答えを探すように私を見た。
「……私は、あなたが後悔しない方を選んでほしいと思います。レフリオンの研究者としては、治療を推奨すべきなのかもしれません。けれど、人として言うなら——生き方を決めるのは、あなた自身です。」
その言葉を聞いた瞬間、私は少しだけ笑った。笑ったはずだった。けれど、自分の口元の感覚はもう曖昧で、頬を伝う涙の方がずっとはっきりしていた。
——残された時間。
それが一か月であれ、一日であれ。私は、どう使うべきなのだろうか。明確なのは、死期は確実に近づいてきていて、レフリオンは今もなお体を蝕んでいっているのだ。手から砂がこぼれ落ちるように、私の命も手から零れ落ちてしまうのだ。この瞬間1秒1秒に少しずつ零れていく瞬間を想像する。もう手のひらに残っている砂は残り僅かだろう。
部屋の空気が冷めたように感じた。そんな雰囲気を崩そうと思ったのか晴香博士が口を開く。
「私はどちらの選択を取られたとしても、最後まであなたの治療をさせてもらいますからね。最後まで…」
博士は顔を下に落とした。医者として救えない命とはどれだけ悲しいものなのか。自分以外だったら救えたかもしれないのに。そう考えてしまっているのだろうか?私にはわからなかった。
博士の頬を、一筋の雫が静かに伝い落ちた。その音は聞こえなかったが、確かに、私の胸の奥で響いた気がした…
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます