第9話 女医
再びの庄屋訪問
隆太は、お文にドクターXの様なスーパー女医を夢見ている。
この時代、勿論外科手術は出来ないが、薬草や診察で彼女の能力を発揮して貰い、多くの人を病から救って欲しいとの思いは、隆太の本心だった。
お文にはその能力がある。強い好奇心。知識を瞬く間に吸い込む頭脳。冷静沈着なものの考え方。他人の話をよく聞き、受け入れる心の余裕。
どれを取っても医師の資格があると感じる。もし出来れば、隆太の時代に連れ行き医学を学ばせたいとさえ思う。
(フミをこんな山奥の洞窟に留まらせておくのは勿体ない。とはいえ、この時代でもある程度の金が必要だ)
隆太は、やはりお金を稼がなければと思う。
「また、庄屋さんの所に行こうと思う。俺の家族にお菓子や卵のパックを頼むつもりだ」
「私も行かなければ駄目?」
イチが嫌そうに言う。
「イチが行きたく無いのなら、俺、一人で行くから」
「イチ姉ちゃんが行きたく無いのなら、ウチが着いて行く」
お文が言う。
「フミは村に行ってみたいのか?」
「うん。ウチ、町外れに住んでいて、農家の事余り知らないから見てみたい」
「それもいいんだけど、新たな女の子を連れて行くと、怪しまれないかな」
「隆兄ちゃんの父親は唐の国の人なんでしょ。清の国と交易してるのなら、お金持ちと思っていると思う。だから私も下働きで雇っているとしてもおかしくないと思う」
確かに物は良いようで、日常とかけ離れた話題なら、内情を知る術が無い。そうであれば噓もまかり通る。
「ねえ、また茹で卵持って行くの?」
「うん? 前回好評だったろう。また喜ぶと思うよ」
「卵焼きにしても良いんじゃ無い?」
イチが提案する。
「目玉焼きか? どうだろうか? 俺は賛成しないな」
「じゃあなくて、出汁巻き卵。隆兄ちゃんのお母さんに教わった物」
「あれ、イチは失敗したじゃん。結局グチャグチャになって。味だって、母さんが作った物と違うし」
「あたい、お母さんの様な味の出汁巻き卵、どうしても作りたい。作り方を書いた物も貰ってる」
「挑戦するのは構わないけど、失敗作は庄屋さんの所に持ってけないぞ」
「あたい、上手くなるまで何度でも遣ってみたい」
珍しくイチが強く懇願する。
料理が上手になってくれるに越した事は無い。しかも、最近のイチの料理は上達している。恐らく自分でもそれを感じているのか、もっと上手に成りたいという意欲が湧いて居るようだ。
取り敢えず、洞窟前で飼っている鶏の卵で練習することに。ただし、鶏の卵は一日1個か多くて2個。イチはそれでもチャレンジして行く。
母が書いた出汁巻き卵のレシピは手元にある。個数に応じた下ごしらえをして、イチは作る。
卵焼き専用の長方形フライパンも少し前に手に入れてある。多分母が用意してくれたのだろう。
イチの頑張りを見て、隆太は村に降りるのを遅らせた。隆太の母も、卵のパック詰めは高い買い物ではないので、毎日の様に持って来てくれた。
お陰で3人は毎日出汁巻き卵を食べる羽目になる。成功したのも失敗したのも合わせて。
だが、この出汁巻き卵の威力はかなりあった。上手に焼けた出汁巻き卵を持参し、庄屋の家に行くと、その味を絶賛してくれて、お互いの絆を深めることが出来た。
庄屋は自分の家族だけで無く、村人を集め、小分けして配った。この時代にも出汁巻き卵のような物は存在していた。やはり、大変な人気だったようだ。
しかし、この地方の村里では滅多に口に入れることは出来ない。何しろこの辺には鶏さえいないのだから。
「所で庄屋さん。こんな物はどうですか?」
隆太は良太が印刷したプリント画像をそっと見せる。庄屋はとても驚く。
「あんたの父親は密貿易をしているのか?」
不審そうに隆太を睨む。
「幕府の許可を得ているかは分からないが、母の居る藩の許可は得てると聞いています」
咄嗟の逃げ言葉だった。内心窮する。
「そうか、唐の国ではこんな物まであるのか・・・。何が欲しい?」
男は時代に関係無くスケベな動物である。
「出来れば、出来の良い枕絵なんかと交換できれば」
「それでいいのか? でも、ワシの家には無い。宿場町に行けばあるがな」
「今回は庄屋さんが親切にしてくれるので、お金と交換しても良いです」
庄屋は500文なら出せると言う。隆太はもう少し欲しいとは思ったが、それで手を打った。
「水に濡らしたり湿らせると消えるので気を付けて扱って下さい。それから、もしこの村に商売の上手な人が居たら、私が色々な品物を持ってくるのでそれを宿場町で売りさばいて貰って、庄屋さんも小金を得て下さればお互いの利益になると思うので。考えて置いて下さい」
そう告げると、隆太は庄屋の家から離れた。
洞窟に戻る前に、イチが住んでいたという家に立ち寄る。疫病神の居る家という噂がかなり効いていると見えて、誰も近寄らない雰囲気だ。
家の周りは雑草に囲まれてしまっている。入り口の戸は出入り自由で、中を覗いてみると土間と板敷きの居間にゴザが敷いてある程度。
昔の人はこんな建物の家で暮らしていたのかと、彼は改めて驚く。
「良い物と交換できた?」
隆太とお文の姿を見て、イチが駆け寄って来た。
「直ぐ使えるザルとか駕籠、薬草を手に入れた。そして金もね」
「お金? 此処では使えないでしょ」
「うん。でも一度、宿場町に行って見ようと思ってる。それにはやはりお金が必要だと思うから、丁度欲しかったんだ」
「薬草よりも隆兄ちゃんの未来の薬の方が良く効くでしょ」
「何種類かの薬草を手に入れた。これを参考にしてこの山でも採取しようと思う。そして、フミと一緒に色々混ぜ合わせて、調合って言うのかな、そして、薬として売ろうかなと思って」
隆太は、何時までも家族の世話にはなれないだろうと考える。その時の為の準備は今からして置くべきだと考えているのだ。薬もその一端である。
目指せ薬剤師
「フミは越中富山の薬って知ってるか?」
「知らない」
「そうか、この頃は未だ無名だったようだな。良太に調べさせたら江戸時代中期に一気に有名になったらしいから、当然だな。俺さ、フミをどうしても医者にさせたい」
「その話はもっと後にするって言ってたのに」
「うん、長崎行きは当分駄目だと思っている。でも、薬を作るのは今からでも出来る」
「どうやって?」
「良太に薬草などの漢方薬の本を集めて貰っている。それを参考に、薬草を調合し、腹痛や流行病の治療に役立てたい。そうすれば、フミは女(おな)子(ご)医者としての一歩を踏み出せる」
「隆兄ちゃんはどうしてもウチを医者にしたいの?」
「うん。医者は金儲けより純粋に人を助けたいと熱心に思う人になって欲しい。フミはそれに相応しい人なんだよ」
隆太は遠くを見るような目つきで更に語る。
「それに、イチの両親の死やそれによって受けたイチへの仕打ちが頭に浮かぶんだ。あの時少しでも体を楽に出来る薬があったなら、イチの両親も死ななくて済んだかも知れない。イチも村人達にあんな目に遭わなくて済んだかも知れない」
「隆兄ちゃんはイチ㚴ちゃんに優しいのね」
「あの痩せ細ったミイラの様な姿を見れば、誰だって助けたくなる。子供達は容赦が無かったけどね」
「ミイラって?」
「骨と皮だけの餓死者のような死体だよ」
お文は隆太の横顔を見る。そして、
「分かった。色々試すのが私好きだから、薬草使って有効な薬作ってみる」
「俺も出来る限り手伝うから」
お文の知恵は未熟な面もある。未だ12歳だから当然かも知れない。しかし、隆太には助かる事も多かった。害獣から畑を守る柵作りにしても、お文のアイディアが生きている。
開墾した畑の周りの柵作りが全て完了した。
「ねえ、これだけじゃあイノシシは土を掘って畑に入るよ」
お文は完成した柵を眺めながら一言言う。
「フミはイノシシが土を掘るのを見たことあるのか?」
「だって、竹林で実際にイノシシが土を掘って筍を食べてるじゃ無い」
お文に言われれば確かにそんな現場をあちこちで見ている。お文は観察眼も鋭い。
「じゃあ、どうすれば良い? 良い知恵あるのか?」
「ウチら時々竹串に肉を刺して焼いているでしょ。あの串を沢山作って、尖った部分を上にして柵の周りに埋めとくの。チクチクすればイノシシも諦めるでしょ」
「それは面白い。でも、串の数は相当必要だぞ」
「竹は一杯あるんだし、暇な時に作っておけば良いと思う」
テグスを使った柵の地面に適度の間隔で串を土に挿す作戦。その作戦の準備はその晩から暇を見て3人で始める。一列では無く何列も串を土に挿しておけば、屈強なイノシシも閉口するだろうと、隆太も想像してしまう。
「何カ所か落とし穴も作って置きましょうよ。イノシシが落とし穴に落ちれば、その肉が食べられるし」
お文は誇らしげに言った。
「そうだけど、俺、生きているイノシシ殺すの何か嫌だな」
すると、イチが、
「男なのに? ならあたいが殺して上げる」
「えっ、凄いな。本当に出来るのか?」
「うん。あたい、おっとうやおっかあがウサギ殺してるの見てるし、それを料理して食べてた事あるから」
「そうなんだ。逞しい親子だったんだね。それじゃあ、その時は宜しく」
この様な話し合いを経て、害獣対策はひと区切りついた。
開墾が終わってる畑には、サツマイモとトウモロコシが植えられている。だが、その畑の面積は未だ未だ狭い。
晴れの日は主に荒れ地の開墾。そして午後からは洞窟近くの森の下草刈りや燃料にする枝集めをする。
時には木を切り倒し、薪として冬のストーブ燃料用に洞窟脇に積んで置く。その様な繰り返しの日々が、洞窟周りを広々と解放的にさせる。
日の光も十分に差し込み、ソーラーパネルは電気を沢山造ってくれる。
下草を刈り、地面に日が当たるようになると、ヨモギ、タンポポ、クローバー、オオバコなどの野草が生え易くなる。それらは鶏の餌にもなる。偶にミミズや小さな昆虫を捕まえ鶏にも与える。
やがて鶏の雛の成長と共に鶏小屋が狭くなった。3人はは小屋の拡張もする。10月頃になれば、雛たちも成長して卵を産むだろう。
隆太達3人は労苦を惜しまず動いた。その働きが形になって見えてくる。それ故に働くのが苦労にならない。寧ろ楽しくさえ感じる。
洞窟の近くにも狭いが畑がある。そこにはナスやキュウリなどの夏野菜。枝豆やカボチャも少しだが植えられていた。
「枝豆も膨らんで来た。マメが固くなる前に食べよう」
茹で立ての枝豆に塩を振り掛け、3人は美味しそうに口に入れる。
隆太が扇風機を取り出す。少し前、父が持ってきてくれた物。遂に扇風機が必要な季節になった。
「洞窟の奥は涼しい。だから洞窟の奥の空気を扇風機で持ってくるんだ」
イチやお文は、人間の力を使わなくても回転し涼しい風を送ってくれる扇風機を不思議そうに眺める。
尤もだ。彼女らは団扇(うちわ)や扇(せん)子(す)位しか風を仰ぐ物を見たことが無いのだから。
「これからはカブトムシとかクワガタ捕りをするよ。俺たち未来の時代では、そんな昆虫が良く売れるんだ」
隆太はコナラやクヌギの木によく集まると説明する。隆太は子供の時、実際に山に入ってそれらの昆虫を採取していた。
「それでウチに、コナラやクヌギが生えている場所を書き留めさせたんだ」
「うん。夏になったらその場所に行こうと思ってね。でも、そこいら中にあるから余り意味が無かったかもな」
3人は楽しい一時を過ごす。
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