第5話 取引

不安


 隆太とイチは村に降りる為に未だ外が暗い内に起きる。前もって商売用の品もリュックや手荷物に詰めた。

 朝食は納豆と卵。そして山菜の入った味噌汁。

「今日のイチはどうしたんだ? 何時もは何を食べても美味しいって食べるのに」

「あたい、やっぱり行きたく無い」

 イチが村に行くのを拒んだ。


 無理も無い。村人や子供達に殺され掛けたのだ。それも僅か数ヶ月前の事。村に行くのが怖いという気持は良太にも理解できる。


「だよな。あんな怖い思いをしたんだもんな。俺も本当は不安なんだ。出来るなら、イチと二人でここで暮らして行きたいとは思う」

「二人だけで暮らしては駄目なの?」

「うん。何時までも親や家族に寄りかかって生きるのは出来ないんだよ。弟の良太や妹の舞は、何年かしたら両親の元を離れる。両親も一生懸命俺達の為に手助けしてくれるのは間違いない。でも、みんな歳を取って行く。何れ援助を受けられなくなる。両親に申し訳ないし、何とか自立の道を探りたい」


「二人で畑を耕し、食べ物を作って行けば良いと思う」

「それは確かにそうだ。難しい言葉でそれを理想って言うんだ。でもね、何で人間は集まって生きていると思う? 人間一人一人になったら生きていけないからなんだよ」

「どうして? あたい達は二人だよ」

「そうだな。例えば米を作っていけば、後は山の幸を貰えばいいと思うだろ。でもね、天は時々人間に試練を与えるんだ。雨が降らなかったり、或いは降り過ぎて洪水になって、折角作った物が流されたり食べられなくなったりと。でもね、みんなが協力して工夫して立ち向かえば、乗り越えられるんだ。事実、昔の人達はそうやって生きて来たんだ」


「あたい、隆兄ちゃんとならここで何時死んでもいい」

「俺はそう思わない。イチと何時までも生きたい。その為にも、嫌でも村人や町の人達と付き合って行くのが必要なんだ」

 隆太は内心嬉しかった。イチがそこまで自分を信頼し好きになってくれたことが。


「わかった、隆兄ちゃんはお金が欲しいんだね」

「お金その物で無くても良いんだ。父さん達がお金に換えられる物なら。だって父さん達は俺たちの為に、もう、沢山のお金を使っている。前にも言ったけど、少しでも返して行きたいんだ。山菜や筍などの山の物を採っても、余りお金が貰えないんだ」「ふーん。分かった。もしあたいが死んだら、隆兄ちゃん、お墓を造って埋めてね」

「何を言ってんだ。イチ一人、死なせやしないよ。その為に撃退スプレーとか爆発型花火、頑丈な警棒を用意して貰ったんだから。ゴムパチンコだって・・・」 


 流石にゴムを使用したパチンコでは心持たないが、手で石を投げるよりは効果がありそうだ。

 隆太自身も、江戸時代の人が何を考えどう行動するか見当が付かないので不安は大きい。

 故に、護身防御用グッズはそこそこ揃えている。一番効果が大きいだろうスタンガン。ただそれも、接近戦では効果があるが、弓矢や長い刀などで来られたら先に殺されてしまう。


 切羽詰まった気持に包まれ、村里へ向かう道。イチの決意も固まったのか、無言で隆太の背に着いて行く。

 隆太はイチを道案内の為にだけ連れて来たのでは無い。もし自分が命を失ったら、イチ一人では山奥で暮らせないと思ったからだ。

 どうせ死ぬ運命なら、一緒に死のうという気持だ。更に隆太の心の中には、二度と元の世界に戻れないという悲しさと、やけっぱちな気持も未だ同居している。


 村外れには昼前に着いた。十分ではないが、一度切り開いた道。最初よりは歩き易くなっている。


 イチの案内で庄屋の家に向かう二人。予想通り二人を見つけた村人は野良仕事の手を休め、怪訝な表情で二人を見る。しかし、手出しはして来ない。

 お陰で、何事も起こらず二人は庄屋の門前に辿り着いた。


 さぞ立派な門構えでもしてるのかと言えば、しょぼい門だった。門を挟むよう樹木塀が連なり、結構広めの庭がある。母屋の隣には土蔵が建っている。家屋の裏は高い木が強風を防ぐように茂っている。

 土蔵は結構大きく、恐らく年貢米などの一時的保管庫の役割も持っているのかも知れない。


 当然だが、隆太が観た時代劇と、そこにある現実とは受ける雰囲気が違う。洞窟生活では殆ど意識しなかった時間、それが此処ではゆったりと流れていると感じる。

 喧噪の全く無い静けさがそう感じさせるのか?

 山では鳥たちの、或いは獣や小動物達の鳴き声が結構聞こえる、此処では繁殖期を迎えたヒバリが空で囀(さえず)るぐらいだ。


 音の無い世界は時間感覚を失わすのか? テレビや音楽、今はsnsだけど、それらに取り憑かれるのは、体感として時間感覚が欲しいからなのか?


 いよいよ庄屋の主人との対面、この交渉が上手く行くかどうかで二人の未来が違って来る。

 隆太は大きく一息吐き、母屋の玄関に向かう。


初めての取引


「どちらさんかね?」

 庄屋のかけ声に隆太は落ち着いて話を始める。


 実は庄屋に会う数日前から、話し方、説明の仕方、などをイチとシュミレーションしていた隆太。先ず自己紹介から始める。


「異国の人が何用かね」

「私は半分異国の血が入っていますが、母と日本で暮らしています。着ている物は異国風で奇妙に感じるでしょうが、決して怪しいものではありません」

 隆太は念を押す。

「そうかい。それで、後ろにいる女は?」

「はい、この村に住んでいたイチと言う娘さんです」

「イチ? あの疫病神のイチかい?」


 村中にイチは疫病神というレッテルが貼られているようだ。隆太は誤解を解くためにイチと隆太の出会いから話し始める。


「そうかい。急に居なくなったと思ったら、あんたが助けたのかい」

「はい、私はイチさんと数ヶ月一緒に暮らしています。でも、私は病気に罹っていません。イチさんは決して疫病神ではありません。村に流行病が広がっただけです」

「ふーん、成る程。確かに元気になっているな。良し分かった。ワシの方からイチは疫病神では無いと村に言い渡そう。要件はそれだけか?」


 庄屋の言葉に、意を得たりとばかりに、

「最初に申し上げた通り、私の父は商人をしています。異国の珍しい品物を売る商いをしています。なので、私も商売をしています。どんな品物があるか、見て下さい」

「ほー、見るだけならな。どれどれ」


 隆太がリュックを降ろし中から品物を取り出す。それを庄屋は覗き込む様に見る。「先ずは食べ物。これを召し上がって見て下さい」

 隆太は袋詰めしてある「えびせん」を差し出す。


「何だねこれは? 空かないじゃ無いか」

 隆太は鋏を出し、袋の先端を切る。

「毒じゃ無いだろうね。私たちを殺そうとして無いかい?」

「とんでもない。毒で無い証拠に先ず私が一口食べます。イチさんにも食べて貰いましょう」

 

 隆太は捻くれ棒形のえびせんを二つほど口に放り込んだ。そして、イチにも三つほど与える。

 隆太とイチはそれを旨そうに食べる。

「庄屋さんも一つ、如何ですか?」

 庄屋は袋の中に手を入れ、一本をつかみ出し口に入れる。

「うん。これは旨い」

 そう言うと、縁側の影に隠れていた人物に向かって、

「お前達も食べてみるか?」

 と、声を掛ける。

 すると、庄屋の女房と娘が現れた。

 女性達が食べている間に隆太は庄屋と交渉に入った。


「それはえびせんと言います。挨拶代わりに差し上げます。未だ未だ旨い物が沢山あります。買って貰えませんか?」

「それらの品物は売り物なのか? でも、ワシはお金は持っておらんぞ」

 その言葉は常套句でも有る。やたら金を持っていると言えば泥棒に付け狙われる。


「今回は手始めとしてお安くしておきます。一応品物をご覧なって下さい」

 隆太はリュックからお菓子類、茹で卵、海苔、そして砂糖を取り出す。

 どれも庄屋に採っては目新しい物ばかりで、欲しくなる。


「何だ、その白い物は?」

「砂糖です。甘いですよ」

「そんな貴重な物まで売ってるのか」


 確かにこの時代の砂糖は大変貴重な物。しかし、隆太の時代、現代では一袋2~3百円で買える。決して高価な品ではない。


「嘗めさせてくれるのか?」

「だめです。この袋を開けたら持ち運び出来なくなるので」

「幾らするんだ?」

「銀2匁ですか」

「やはり高いのう。そんな金、無いわ」

「それでは物物交換しませんか? 例えば掛け軸とか壺とか。もし浮世絵何て言うのとも交換できますよ。私どもの品々と釣り合う品物を何て欲は言いません。今回は始めてなので、これらの半値価値で良いです」

「そうか。少し待ってろ」

 庄屋は奥の部屋から幾つかの品を持って来た。


 さて困ったのは隆太だ。偉そうに物物交換を持ち出したが、庄屋が持参したその品物を骨董屋に売ったら幾ら位の価格になるのか、その価値が分からない。

 いかにも査定する振りをして見せるのだが、何となく分かるのが浮世絵。勿論本物浮世絵なので、見る人が見れば相当の価値を付けてくれるかも知れない。


「分かりました。今回は涙を呑んでこれで交換しましょう。庄屋さんさえ宜しければまた寄らせて貰いたいのですが。他にも色々持って来ますよ。出来ればお金でもお願いしたいのですが」

 隆太は、今日の所はこれで引き上げることにした。 


 庄屋とは再びの取引の約束をとり、隆太とイチは庄屋の家を出た。

「どうだったの? 上手く行ったの?」

「正直、本当は俺にもよく分からない。これを父さん達が幾らで売れるか。とにかく父さんに引き渡してみる。最も、こっちも大した金額の品物を売ったのでは無いので、騙されたとしても損はしないよ」

 隆太の言葉に、イチはにっこりする。


 イチにとってはとても良い日になった。イチに与えられた疫病神のレッテルを剥がしてくれた。庄屋はそのことを村人達に伝えてくれる。

 これで、棒持った子供達に追いかけられなくても済む。村人達への大きな不満や不安が解消する形になった。

 


新たな出会い


「イチ、宿場町へ行く道はどれ?」

 隆太はイチに訪ねる。

「宿場町に行くの? 遠いよ」

「今日は行かないさ。でも、少し時間があるので、どんな感じの道なのか知っておきたいんだ」

「あたい、行ったこと無いから分からないけど、その道を行けば宿場町へ出られるっておっとうが言ってた」

 

 イチの指さす道を二人は進む。道と言っても幅は広くなく、土の道路。ただ、農作業で物品や荷車が通るので、一応村による最低限の管理はされているようだ。


 村外れからは片面は田んぼや畑、反対面は雑木林という感じの景色が続く。古代から長い時間を掛け、林を開墾して田畑にしてきたのだろう。

 田畑の端を連なる道に雑木林が増える。偶に分かれ道が現れるが、宿場町への方向がイチにも分からない。

「今日はこの辺で進むのを止めよう。よく分からずに進んだら迷子になる」

 二人は引き返すことにした。

「その前に、腹ごしらえをしようか」

 隆太は腰を掛けるに都合の良い場所を探す。


 二人は道から少しだけ離れた場所に腰を下ろす。道沿いで休憩していて通行人に怪しまれるのを避けたい。姿格好からして二人はこの時代にそぐわない。


 風呂敷を広げた上に、握り飯とサバ缶とキュウリや大根の糠漬けを出す。握り飯には振り掛けが掛かっている。

「この振り掛けと言うのも、腐らないし売れるんじゃ無い?」

「そうだな、でも今回は止めにした。確かに白いご飯に振り掛けると旨いだろうが、村の人達は白いご飯で無く雑穀だろ? どれだけ旨く感じられるか分かんないから」 

 イチは納得したのか黙ってしまった。

「それにしても、イチの作った糠漬けは旨いな。お袋の糠漬けと変わらない」

「ぬか床、隆兄ちゃんのお母さんに分けて貰ったの」

「そうだったのか。でも、味を維持しているなんて矢っ張り凄いよ」


 隆太の母はぬか床に、季節の野菜・キュウリ・ナスや人参とかウリ系の実も入れる。両親が野良仕事で居ない夏休み、子供達はお茶漬けに糠漬けで食べることも度々あった。隆太にとって糠漬けは美味しいおかずの一つだった。


 二人がのんびりと食していると、何やら彼らの後ろで音がした。隆太は振り向く。その時、イチの脇に置いてあったリュックが藪の中から手が出て来て何者かに盗まれた。

 一瞬だったがその者の姿が見えた。猿では無く人間だった。しかも小柄である。


 隆太は、背丈ほどに生えている雑草の中を盗まれたバックを取り返す為に追って行く。やはり子供だった。

 隆太の山で鍛えられた体力は難なくその子を捕まえる。

「お前、女か? 村の子なのか? こんな所まで来て泥棒しているのか?」

 畳みかけるような隆太の強い言葉に、女の子は俯くだけだった。

「ちょっと来い!」

 隆太は女の子をイチの前に差し出す。


「こいつは村の子か? イチを苦しめた仲間か?」

 隆太はイチに向かって聞く。

「あたい、その子見たことが無い」

「じゃあ、村の子では無いんだな。お前どこから来た?」

「ごめんなさい。お腹が空いて。何も食べてないので・・・」

 少女は隆太の問いにやっと答える。

「名前は?」

「お、お文」

「何処の者だ? どうしてここに居る?」

 隆太の口調は強すぎると見て、イチが助け船を出す。

「隆兄ちゃん。話は後でゆっくり聞こうよ。お腹空いているんだよね。これ食べな」

 イチはそう言って、手を付けてない握り飯をお文に差し出す。


 つい数ヶ月前まで、イチも食べ物にありつけず、ひもじい思いをして来たばかりである。食べ物を腹に入れられない悲しさは嫌と言うほど味わっている。

 握り飯にむしゃぶりつくお文の姿は、以前の自分の姿を見ているようで、とてもではないが、この女の子を責める気にならない。

 

 水も飲み、お腹が膨れた事で落ち着いたのか、お文という女の子は、此処に至るまでの事情を話し始める。

 

 お文は城下町の外れの寺町という場所に住んでいた。寺院と関係する職人や商店もあり、そこそこの賑わいがある。

 父親はその場所で寺子屋の師匠をしていた。決して豊かな暮らしでは無かったが、それなりの生活をしていた。

 所が、不運にも妻の長患いで薬代が嵩み、とうとう借金まで作ってしまった。寺子屋師匠の立場で払える額を超えてしまい、妻の死と同時に、その薬代の金を取りに借金取りが遣って来た。

 とうとうお文を人買いに売る羽目になる。


 お文は内心悲しむも、弟や妹のため自ら売られて行く。お文の行く先は女郎屋。その女郎屋へと、お文と人買いは旅立つ。

 途中、二人は追い剥ぎに会う。人買いは多少武術を学んで居たようで、追い剥ぎ連中と戦う。

 人買いは奮闘するも多勢に無勢。必死に戦うが形勢が悪くなる。そうなるとお文の事など構っていられない。

 お文は、人買いや追い剥ぎが戦いに夢中で自分の事を見てないと悟ると、一目散に山の中に逃げ込んだ。

 必死で山の中を歩き回り、辿り着いたのがこの場所だった。


 疲れ果て、お腹も減って動けなくなって物陰に隠れていたところに隆太とイチが現れ、旨そうな握り飯を頬張り出す。

 食べ物をリュックから出していたので、そのリュックを奪えば食べ物にありつけると、盗んだのだった。


「ふみはこれから行く当て、あるのか?」

 隆太が訪ねる。するとお文は顔を横に振る。

「父さんや弟妹のところに戻るんじゃ無いのか?」

「今ウチが家に戻ったら、人買いが探しに来ているかも知れない。帰りたくても帰っては駄目だと思う」

 お文の言葉にイチが、

「だったらあたい達の所に暫く居れば? 隆兄ちゃん、良いでしょ?」

「まあ、一人ぐらい増えても何とかなるけどな。でも、居る間は、俺たちの仕事を手伝って貰うからな」

「ウチ、何でもする」


 話は決まった。隆太とイチはお文という少女を連れて山奥の洞窟へと向う。


 住居としている洞窟へは夕方着く。山奥なので既に辺りは薄暗い。

 お文はイチと大きく違っていた。洞窟に着いた途端目を輝かせ、物珍しさからか「これは何?」と様々な文明機器を指さし、訪ねる。

 洞窟には、お文が未だ目にしたことの無い器具や道具がそこいら中にある。


「頼むからイチが説明してやってくれ」

 お文の質問攻めに隆太は閉口する。

 一日の長である。イチは使い方から何故あるのか迄説明していく。それを聞いていて隆太は笑う。

 使い方に関してはほぼ間違ってないが、何故どうしてそうなのかと言う部分では未だ説明し切れてない。

 イチの説明が結構いい加減な場合もあった。


「俺、透明な壁の所に行ってくる。父さんが何か持って来てくれてるかも知れないから。それから、今日庄屋さんの所で仕入れた品物もそこに置いてくる」

 隆太はリュックから品物を取り出し、壊れないように自転車の荷台に積んだ。自転車は折りたたみの小型で荷台など無かったが、父親が工夫して取り付けてくれた。


「俺がそこに行ってる間、イチはフミに手伝って貰って夕飯の支度をしてくれ。今日は疲れたから袋詰めのインスタントラーメンで良いぞ。野菜タップリと卵を入れてな」 隆太はそう言い残すと透明な壁に向かった。


 透明な壁に着いた隆太は、父が持って来てくれたであろう食材を受け取ると、紙にメモを書き始める。

 今日の出来事と、仕入れた品をお金に換えて欲しいと書き記す。そして最後に、弟の良太に、何時でも良いから顔を出すようにとメモる。

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