二章
連兵
二人が連兵を組んで一ヶ月が過ぎた。その間も訓練は滞りなく行われ、シロガネの吹雪に対する調査も大した進展はない。精々がこれまでの連兵たちの報告書を読んで、妙に好意的な評価であるのを理解したぐらいである。
一人目、二人目はともかくとしても、不吉と噂され始めた三人目からも吹雪の能力や態度、それらに批判的な文章は見られない。もちろん報告書である以上は中立の内容で書かれるのは前提だが、読む人間が読めばそこにこめられた好悪は簡単に見抜ける。それを加味しても評価は概ね好意的となっている。
レオンやクリスの言う通り、その辺りは不可解といえなくもない。
あるいはリンクしている連兵だけが分かるなにかがあるのか。だが、一ヶ月経った今でもシロガネには吹雪に対する変化は見えない。
多少陰気で無表情ではあるが、態度そのものには薄暗いものを感じることはないというのを理解した程度だ。だが、まさかそれが好評価に繋がるものでもあるまい。謎は深まるばかりである。
「そろそろ出動がかかるかもしれないな」
書類を整理しながら吹雪がぽつりと告げる。普段は実務的な会話しかかわそうとせず、こうして話を振ってくるのは珍しい。
意外に思いつつも首を傾げる。成人した女性であるにも関わらず、その仕草は小鳥のような可愛らしさがある。ある意味、吹雪とは正反対の反応だ。
「そうなの?」
「ここ数週、統合軍の調査隊がいくつかの船舶の積み荷を執拗に追跡している。君も知っていると思うが、こういった場合は大抵魔術結晶の違法取引を調査だ。そしてそこにアーバン・レジェンドの関与が確認されたとの報告がさっき挙がってきたようだ。となれば俺たちに声がかかる可能性が高い」
なるほどと頷く。違法取引の主がアーバン・レジェンドなら、連兵を組んだばかりの自分たちが試験的に投入される可能性が高い。
じわりと不安が忍び寄る。この連兵ユニットは訓練も事務も滞りなく行われている。黑金吹雪という兵士の人としての態度も同じく真っ当である。
だが、実戦はまだ経験していない。そして吹雪にまつわる不吉な噂を払拭もできていない。もし、その噂の元が実戦でしか現れないものだとしたら。彼が実戦において何事か変化が起こる人間だったならば。
いや、それならばこれまでの連兵が記した報告書に記載があるはずだ。そう思って首を振る。だが、一度感じた不安は消えることはない。気をつけて、という義姉の言葉を思い出す。
本来ならばそういった不安や懸念を解消するのがリンクであり、こういった執務室での時間である。シロガネ自身も前任のベルタとは事務作業の合間によく雑談をしていたし、時には菓子さえ口にしながら談笑していた。女同士でしかできない話をしたのも、一度や二度ではない。
だが、吹雪とのリンクで伝わってくるものはなにもない。リンクを意識しても常に真っ白な空間を覗いているような、怖気だつ感覚が沸くだけだ。
訓練の時などにはきちんと情報や確認の意思は伝わってくるが、逆にいえばそれだけだ。ベルタの時に感じた喜び、哀しみ、不安、同調、そういった感情が全く伝わってこない。
それはある意味異常なことだ。人間は生きている上で様々な感情を持つ。表面上は取り繕えたとしても、内心に沸き上がるものまでは抑制できない。
もちろんシロガネもそうであるし、大多数の人間がそうであるから時としてリンクを閉じ、相手に感情を伝えないということも必要になる。いくらなんでも四六時中相手の感情が伝わってくれば、どちらも疲弊してしまう。
だがそういったこととは無関係に吹雪からはなにも伝わってこない。ゆえに、黑金吹雪という人間の内面を全く理解できないでいる。
他人と感情を共有した時の、背徳感にも似た魂まで伝わってくるもの。共振という言葉が相応しい意識のやりとり。自分の意思が相手を震わせ、相手の意思が自分を震わせる。それがない。動きのない表情とも相まって、まるで機械と繋がっているような錯覚にさえ陥ってしまう。
それらの事実が彼女の心を酷く怖気立たせる。
「不安か?」
不意にそう問うてくる。リンクを閉じているのに、こちらの心中を見透かすような言葉は心中を真っ直ぐに言い当てていた。
だがその表情に他人を見透かした嘲りはなく、ただただ真剣にその問いを発しているのが知れた。言葉にされずとも、その眼差しがはっきりと意思を示している。普段は表情がないだけにわずかでも現れた感情が強く焼き付く。
真剣な瞳を見て、シロガネの思考が加速する。吹雪に関する調査はこれまで周りだけを調べていたが、単純に本人に聞くのが一番手っ取り早い。この一ヶ月でそういったことを直接に訪ねても怒り狂いはしないだろうという程度の推測はできる。
それになにより、生真面目な彼女にとってこれ以上暗躍のような調査は向いていない。これも祖母の教えだが、真実はそれを調べる人間の心意気と同じものが跳ね返るという。
ならば、自分がここで真っ直ぐに問えば吹雪も応えてくれるのではないか。そう思うのは相手が純粋な桜国人であるという事実も根拠になっている。
自身と同じ源流なのだからという思考は、シロガネの純粋さを示す心意気でもあった。
意を決して一つ頷き、自分も真っ直ぐに吹雪を見据える。
「そうね、不安だわ。君とのリンクを意識しても私にはなにも伝わってこない。君のことがなにも分からない。私にはそれがなぜだか途方もなく恐ろしいことに思える。私は統合軍の軍人であり、戦場における死を覚悟している。だけど、進んで死にたいわけでもない。リンクとは連兵に必須の術であり、リンクを高める方法が相互理解でしょう? それが全く行われないことに不安を感じないわけはないわ」
なにか理由があるのなら聞きたい。その意思を瞳にこめて吹雪を見やる。年下の大尉は何事かを喋ろうとして思いとどまり、首を振って立ち上がる。あまりの態度に腰を浮かした瞬間、存外に柔らかい声が押し止める。
「少し長い話になる。とりあえず茶を淹れよう」
私物のポットから急須と湯飲みにお湯を注ぎ、充分に暖まった所でお湯を捨て、急須から煎茶を注ぐ。正しい淹れ方によって注がれた茶からは慎ましくも爽やかな茶葉の香りが漂う。
「本当なら、電気ポットなどは邪道なんだがな」
「いえ、悪くないわ。もう少し温度が高ければ味も香りも際立ったんでしょうけれど」
湯飲みを持ち上げて香りを吸い込み、そのまま少しだけ口に含む。自分と全く同じ仕草で茶を楽しむシロガネに少しだけ首を傾げた。
「名前から血縁がいるのは分かっていたが、桜国の文化も知っているのか?」
「桜国人の祖母が健在だから、小さい頃から桜国のことを色々と教わってきたの。両親はそれほどでもないけれど、私は桜国の文化は気に入っているわ。祖母なんかは両親より孫の私の方がよっぽど桜国人らしいと褒めてくれるほどよ」
そう言って笑うと吹雪も少しだけ顔を笑みへと象る。今までの雰囲気と相反した若者らしい素直な笑みは、しかし注視する前にあっさりと収まってしまう。
一口茶を啜って息を吐く。まるで先程の笑みが幻だったかのような、いつもの無表情から本題が紡がれる。
「君は俺の噂を当然知っているだろう?」
なんとなく声に出すのが憚られて、頷くだけで肯定する。吹雪は当然とばかりに瞑目した。
「これまで俺は常にリンクをできるだけ繋いできた。事務の時も、訓練の時も、違法術者と戦う時も。大多数の魔術機動歩兵がそうであるようにな」
つい、と湯飲みを指でなぞる。桜国の雲龍方式特有のくねった模様に沿って指が動く。国土が多様な人種に浸食されている今となっては細々と、それでもしっかり生きている桜国の文化を表す模様だ。
「だが、俺にはそれが正しいことなのか分からなくなった。リンクを介して互いを理解し、その結果として五人の人を喪った。ならば、リンクは意思の伝達のみに使うべきではないかと、そう思う。この魔術はただ純粋な道具、技術要素として使うべきではないかと」
そんなはずはない、と言おうとして吹雪の顔に口を噤まされる。泣いているような、笑っているような、恐れているような、哀しいような。得も言われぬ顔が青年の顔を支配している。初めて見る青年将校の感情の表れ。それになにを言うべきか、なにが言えるのか。
だが、それでもシロガネの心は吹雪の言葉を全力で拒否している。
ベルタと交わした心の交流が魔術という未知数のものからもたらされたものであっても、あの温かさは真実だった。喜び、哀しみ、楽しみ、憂い、誇り、それら全てを通わせあったものが正しくないはずはない。ただの道具や技術であるはずはない。
「戦いにおいて、俺はずっとリンクを最大限に開放し、感情を渡し、受け取っていた。彼らの全てが俺に流れ込み、俺の全てが彼らに流れ込んだ。だがな、だが――」
拳を握る。それが痛みの証であるかのように、強く強く。
「俺はいつもそれらを受け取った上で前へ前へと進んでしまう。俺が生き残れるからという理由で連兵を激戦に引っ張って行ってしまう。俺ができるという理由で下がることをしない。そして、気が付けば一人きりで立っている」
ゆらゆらと、湯飲みから湯気が立ちのぼる。シロガネは吹雪の言葉を必死に反芻し、その意を汲もうとしていた。
「人を喪うのは哀しい。絆を喪うのは怖い。だが、それでも俺は軍人は戦うことが任務だとごまかして、その感情を相手に流し込んで闘争の渦へと巻き込んでしまう。そうして刀を振るい、戦いへと引きずって人を喪う。思えば、死神という呼び名もあながち間違いじゃあないな」
不意に唇を引き結ぶ。自嘲的な言葉とは裏腹に迷子の子供が強がるような顔だ。
その表情を見て気付く。今までの機械的とも言える顔や仕草、そして何も伝わってこないリンクは彼の仮面であったのではないかと。そして今、この話をきっかけに少しずつその仮面が剥がれてきているのかもしれないと。
思えば二十歳というまだ年若い青年が、連兵を五度も喪失して影響がないはずはない。平然としているなどというのは周りが勝手に言っているだけだ。
そうして自分もそれを信じてしまっていた。おそらくはいつもの無表情も、なにもないリンクも、防衛的な行動なのだろう。
それの意味する所はすなわち、自分を六人目にはしたくないという意思だ。あるいは誰一人として死なせたくないという心だ。リンクを意識していないのに、それだけはなぜかはっきりと伝わってくる。
「君が俺のことをどう思っているのかは分からない。だが、少なくとも俺は君という連兵を喪いたくはない。それには感情を共有するより、できるだけ互いを客観視できるようにした方がいいと思う。俺は俺の感情に君を引きずるのが怖い。だから、不安だろうがリンクはこのままにしたい。少なくとも、一度戦いを経験するまでは」
一呼吸、二呼吸、そして茶を含み、飲み下す。そうした後に顔を上げて見えるのは、この一ヶ月で見慣れた鉄面皮だ。
なにも言えない。言うべき言葉がない。半端な言葉で吹雪の思い込みを解く事はできないだろう。
そして訓練による連携が上手くいっている現状、覆すべき反論もない。軍隊という場所は常に理想を現実が凌駕する所だ。銃弾、あるいは魔術が飛び交う戦場で理想論を唱えた所で弾除けにすらならない。
だが、それでも聞いておかなければならないことはある。それは人としてではなく、軍人としての言葉だ。
「黑金大尉、君の考えは分かったわ。しかし、逆にそれによって私たちが戦いで危機に陥った場合は?」
その問いに吹雪はシニカルな笑みを浮かべる。鉄面皮がつり上がり、道化の顔へと変化する。
「その時は、俺が命に替えても君だけは後方に逃すさ」
今度こそ何も言えなかった。
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