連携訓練

 魔術機動歩兵は軍人であり、それが一個の軍隊ともなる。正確には連兵した一ユニットが一部隊相応の戦力として扱われる。それほどに魔術機動歩兵という兵種の火力は高い。

 だが、いかな魔術を行使しリンクを擁する連兵といえど、訓練なしには互いの呼吸は合わない。魔術機動歩兵の兵装が十人十色であるし、リンクから伝わる指示のやり方もそれぞれに違う。それになにより新たな兵装や戦術、そしてリンクを通じた意志の疎通を試すために訓練は行われる。

 それとは別に定期的な訓練を行うユニットも含め、訓練場は常に喧噪と怒号、そして戦闘の音楽で賑わっている。

 だが統合軍西部練兵所の片隅において今だけはそれが適用されない。


「では今から訓練を始めよう。準備は?」

「問題なしよ。いつでもどうぞ」


 訓練所の土の上、大きく距離をとって吹雪とシロガネが向かい合う。連兵殺しの死神と噂される男と、それと連兵を組む女。その二人の初訓練を誰ともなく察した周りの兵たちが己の手を休めてまで見学に徹しており、その中にはレオンやクリスの姿も見える。

 常に騒がしいはずの訓練場において、真空のようにぽっかりと空いた静寂が支配する。吹雪はそれを気にした風もなく手を挙げる。

 吹雪の合図を契機に魔術結晶を活性化させ、魔術神経が活動を始める。

 シロガネが腕を真っ直ぐに振り上げ、掌を空に向ける。

 そこにあるなにかを掴み取るかのように。


「私は私を押し上げる……白騎士しろきし!」


 吹雪が自身の顔を覆うように、掌で顔を隠す。

 己の変貌が他者の目に触れぬようにするかのように。


「吼えたてろ……黒狗くろいぬ


 互いの起動ワードと共に辺りの魔力が凝縮し、身体に付着しはじめる。それは衣服ごと身体の構成を変え、人を単独兵器足りうる存在へと昇華する。

 すなわち――魔術機動歩兵へと。

 黒と白、二つの光がまばゆく輝く。

 一瞬の後、訓練所には対照的な魔術機動歩兵が姿を現わす。

 白地に蒼で装飾された装甲を持つ、眼にも煌びやかな騎士を呈した個体の白騎士。

 黒地に紅で装飾された、刺々しさを纏ったような個体の黒狗。


 威風堂々とその勇姿を晒す白騎士とどこか陰鬱さを思わせる姿勢で佇む黒狗は、姿が対照的であるように立ち姿そのものもそうだった。

 シロガネの中に黒狗の兵装データが流れ込み、同時に自分の兵装データも黒狗へと送る。白騎士の武装は一般的な魔術機動歩兵から逸脱するようなものはない。騎士の名が示す長槍、左腰に吊した騎士剣、逆側に吊したボウガン。両肩の放射式の射撃武装と構成はごく一般的である。

 防具自体も至って真っ当な作りで、中世の鎧を思わせる装甲と左腕に展開式の大盾となっている。背面と足裏には魔力を放出して推進するブースターがあるが、特筆すべき特徴はない。本人の生真面目さを表したような、真っ当な兵装となっている。

 もちろんそれらは普通の素材ではなく、全てが魔力を使用する魔術兵装であるのだが。


「何……これ?」


 だがリンクを通じて明確になる黒狗の兵装を確認して、シロガネは思わず声を漏らす。

 武装は桜国独特の近接武器である刀が一つきり。それ以外はなにもない。近接戦闘用の武装が一つというのはまだ分からないでもないが、近距離以外の武装が一つもないというのはおよそ正気の沙汰ではない。

 さすがに違法術者を拘束するための術式は装備してあるが、これは攻撃能力もなく相手の魔術機甲を解いた上で生身にしか打ち込めないものだ。

 そうしてもう一つ異常なのがブースターの多さである。背面と足裏はもとより、脇腹、両肩、ふくらはぎ、そして両腰と至る所にブースト用の噴射孔がついている。


 魔術機動歩兵はその名の通り機動力も売りにしている。兵装に取り付けたブースターで滞空し、人間サイズという利点によって武装ヘリよりも柔軟で機敏に動き回る。

 それらを可能にするブースターは大気中に偏在、あるいは己の所有する魔力を魔術結晶に取り込み、噴射孔から放出して推進を得る。

 これはブースターに限った話ではなく、武装にもその仕組みは当てはまる。シロガネの長槍も魔力を取り込み、魔術によるプラズマを発生させて敵を殲滅する術式となっている。

 だがそれを至る所に装備するという吹雪の意図が理解できない。推進だけなら背面だけで事足りるし、ブースター自体の稼働領域にある程度の自由さを持たせれば回避行動もできる。

 個々に合わせたカスタマイズはどの魔術機動歩兵も行っているが、吹雪のそれは明らかに過剰な装備に思えてしまう。

 しかもそんな数のブースターを装備するため、装甲もかなりの部分で削られている。これでは違法術者の攻撃に晒された時に長くは保たない。

 どこまでも機動性に特化した兵装というのは理解できる。だが正直いってこの兵装から吹雪の戦術を予測するのは不可能に近い。


 これほどまでに兵装に個性が出るのも、魔術機動歩兵という兵科の特徴の一つではある。というより、全ての魔術機動歩兵において同一の兵装は一つとしてない。

 その理由は兵装が個々人のイメージによって決定されるからである。最初に教本で提示される基本の型はあれど、それぞれが抱くイメージは細部から異なってくる。ゆえにそういった事態が容認されている。

 さらには時間をかけて術式を弄れば兵装の変化も行えるため、戦場を経れば経るほど魔術機動歩兵の兵装は本人の扱いやすいように、生き残りやすいようにカスタマイズされていく。吹雪の黒狗はその極端な例の一つだろう。

 ある意味で汎用性が効き、ある意味では全く融通が効かないのが魔術機動歩兵という兵種だ。


『白騎士の兵装を確認。こちらの兵装は届いているか?』

『え、ああ、うん。黒狗の兵装を確認したわ』

『了解。では状況を開始しよう』


 吹雪の呼びかけで我に返る。同時にリンクが閉じられ、中空へと飛んだ信号弾が弾けた瞬間に白騎士と黒狗の闘いが始まる。

 お互いに地面を蹴り、ブースターを噴かして空中へと飛び上がる。

 シロガネは長槍を構えて穂先をぴたりと黒狗へ定め、隙があれば突撃に移って相手の装甲を一気に削る狙いを見せる。

 一方の吹雪は獣の吐息のように刀の切っ先をゆらゆらと揺らしながら、こちらを窺うようにじりじりと距離を詰めてくる。

 数瞬の沈黙。

 何がきっかけか、推進の魔力光を残しながら黒狗が大きく回り込む。ギャンギャンと、ブースターがまさしく狗の吼え声のような音を上げて素早い突撃を図る。だが白騎士の穂先がそれを捕捉すると突撃を留め、詰めた分だけ距離をとる。

 黒狗の構えが変わり、腕を引き絞って牙を突き立てるような刺突の構えを見せる。そのままブーストを仕掛け、真っ直ぐに突進してくる。

 ブースターの鳴き声を響かせながらZ字の機動に変化する黒狗に、白騎士は構わず突撃を仕掛けて交錯する。

 甲高い音を立てて互いの防具が削れ、距離をとってお互いに振り返る。先程と位置を反対にして対峙し直す。


(遠距離攻撃を持たない向こうが攻撃をするには、近づかなければならない。ならば――)


 一度、二度、足裏のブースターを噴かして後方へと距離を稼ぐ。黒狗は再度の刺突体勢を取ってこちらを窺っている。

 長槍を保持したまま左手でボウガンを構え、魔術の矢を黒狗へと浴びせかける。ボウガンの形をとっているとはいえ、魔力が矢弾であるので連射が効く。

 黒狗がその名さながらの空中を走り回るような機動で回避し、動きを予測して偏差射撃を仕掛け続ける。

 回避行動を続けながらも黒狗が距離を詰めてくる。迎え撃つ白騎士はボウガンを捨て、長槍を構えて背面のブースターから魔力を噴射する。

 文字通り爆発的な魔力を得た突撃は白騎士の持つ必殺の一撃である。糸を引くような噴射光と共に突き進む一撃は凄まじい速度で正中線を捉え、常識なら回避不可の技だ。

 だが黒狗は片足を振り上げ、肩口と足裏のブースターから空に向かって魔力を噴射する。まるで地面に引きつけられるような、曲芸を思わせる回避機動で長槍を回避してのける。

 すぐさま胸とふくらはぎから魔力を噴射し、体勢を立て直して側面から刀を振るう。黒の魔力光をまき散らし、まるで飾り独楽のような目まぐるしい動きが白騎士を襲う。

 自分に迫る黒刃の煌めきにすぐさま長槍を捨てて騎士剣を抜刀し、黒狗の刀を防ぐ。狗という名前を現すような、噛み付くが如き苛烈な連撃に装甲が削られる。

 両肩の放射式武装から拡散攻撃を放つが、黒狗はいくつものブースターを噴射させてその全てを回避する。甲高い吼え声と共に行われる、まるででたらめな異様な機動に戦慄を抱く。


(なんて機動。まったく予測ができない!)


 いかな魔術機動歩兵といえどそれを操るのは人である。

 ゆえに人の常識の範疇外の行動はできない。しばしば魔術機動歩兵が一般人に恐れられるのは、魔術といういまだ曖昧な技術が理解しがたいからだ。

 魔術を使う者には当然のことが一般人には非常識に思えるため、魔術というものが一般人を超越したものとして恐れてしまう。

 その事実はそれだけ魔術や魔力という要素が未知数である事を示しているが、それを扱えない人間からすれば恐怖にもなり得る。

 その恐怖を体現しているのが黒狗の異様なまでの機動である。

 無軌道なようでいて戦闘に最適化された機動は、常人には理解できない。およそ物理法則を越えたような魔術的な機動は一般人だけではなく、その場にいた魔術機動歩兵にすらそう思わせるものだ。

 とはいえ、実際に相対しているシロガネはもう少し冷静でいる。黒狗に刀以外の武装がないのは作らないのではなく、作れないのだということを直感で理解していた。

 おそらくはその魔力のほとんどをブースターの制御と肉体の強化、そして感覚の強化に使用しているのだ。ゆえにあのような無茶な機動ができるのだろうと予測を立てている。

 ある意味、魔術機動歩兵の特殊さを現すような一例が黒狗の兵装である。


(ではこちらの打つ手は一つ)


 脳が冷静に計算を始める間にも黒狗が再接近してくる。

 剣と刀の噛み合う音が響く。常に魔力を噴射して白騎士の死角へ回り込もうとする黒狗に対して剣を大きく薙ぐ。回避で距離が空いた隙に長槍を再構築する。

 させじと突撃してくる黒狗へ騎士剣を投げ付けて妨害する。回避行動を取っている間に長槍の構築を終わらせて構え直す。

 魔術を起動させると、プラズマの光が空気を灼き始める。同時に背面のブースターにも魔力を注入し、爆発の時を待つ。

 黒狗が回り込むような機動を仕掛けてくるが、その動きは予測済みだ。冷静に穂先を向け、魔力を排出すると一気に距離が縮まる。

 交錯。

 互いに損傷はなし。再度の突撃を仕掛ける。

 交錯。

 またも損傷はなし。さらに突撃を仕掛ける。

 交錯。

 二人の魔術機動歩兵がぶつかるたびに白黒の魔術光と削られた装甲が飛び散る。


 つまる所シロガネのとった戦術は押しの一手のみだ。吹雪が奇抜な機動性をもって攪乱を仕掛けてくるのならば、自分はただ正道な一点のみにおいて攻撃を仕掛ければいい。黒狗が追随できないほどの速度で攻撃を仕掛け続ければ、いつかは打撃を与えうる。

 その思考はある意味正しいと言っていい。だが黒狗を相手にするには常識的に過ぎた。何度目かも分からない突撃の瞬間、黒狗が上方に飛ぶ。穂先を上げて迎撃する白騎士に対して空中で軌道を変え、落下機動から鋭角に切り返して懐へと接近する。物理法則を無視した機動はまさに魔術機動歩兵という兵科の体現だ。黒狗の全身のブースターが吼え猛り、黒の刃が閃く。

 迎撃の槍は、一手遅い。


「勝負あり、だな」


 シロガネの喉元、装甲の隙間に刀の切っ先がぴたりと据えられる。長槍の穂先は黒狗を捉えることなく、中空に留まっている。


「ええ……参りました」


 シロガネ・グリューネヴァルトと黑金吹雪の初訓練は、彼女の敗北という形で幕を閉じた。






「ここはどうしてボウガンを撃ったんだ?」

「回避した先に突撃を仕掛けたかったんだけれど、読まれていたわね」


 訓練の後、二人は記録された映像を元に検討を始める。平時における軍隊の訓練というものの役割は痛みを伴った苛烈な学習以外に他ならない。

 ゆえにそれが終了すればすぐにお互いに気付いた点を報告し、学ばなければならない。強くなるために。忘れないために。勝利するために。そしてなにより生き延びるために。


「定石通りの攻めだったからな。じゃあ最後の連続突撃は?」

「黒狗の兵装から変則的な機動をするのは理解ができた。だから私は一直線に動いて捉えようと思ったのよ」

「ふむ。俺としては白騎士が守りを固め、肩の放射式で牽制され続ける方がやり辛かったんだが。そもそも、今回は盾を一度も展開していないな」


 映像を戻しながら吹雪が問うと、悔しさと自省を等分に混ぜた眼で頭を振る。


「捉えられると思ったけれど、見極めが甘かった。黒狗の装甲が薄いのは理解していたのだから、君の言う通りに牽制し続けた後に突撃を仕掛けた方がよかったわね」

「まあ、黒狗の兵装が特殊だというのは自分でも理解しているしな。これでグリューネヴァルト大尉にも分かってもらえたと思う」


 誇るでもなく卑下するでもなく、淡々と告げる。今回の訓練は黒狗の特殊性を見せつけられた形だが、それを使いこなすからこそプラティナム3という序列を与えられているのだと実感する。

 たとえ白騎士を黒狗と同じような兵装にしたとして、あれほどまでに扱えるとはとても思わない。

 ただ、それに対して悔しさを表せるシロガネはいい兵士の素質を保有している。負けて悔しがれない人間に成長の余地はない。


「先の戦いで分かると思うが、俺の戦い方は機動で相手を攪乱し、その隙に一撃を加えるというやり方だ。理論はともかく、機動が他の魔術機動歩兵では見られない類だというのも分かっているが、どうにも変えようがない」

「武装が刀一本だというのも?」


 問われて頷く。特殊な戦い方ということに気負いも衒いもない、ただ事実を認識している動作だ。表情と同じように無機質な認識である。


「何度か試してもみたが、正直言って機動制御しつつ射撃を当てるのは難しい。俺の場合、意図的に不可測な機動をしているしな。それらに魔力を割くよりは強化と制御に使用して、その上で近接の一撃で仕留めた方がいいと判断したんだ」

「それはつまり、一撃を加えて離れるというやり方?」


 再度、頷く。それで回避と一撃というヒット&アウェイが黒狗のスタイルなのだと理解する。ただ、それが極端なまでに振り切れているのだ。一点特化という言葉がどこまでも相応しい兵装である。


「私の白騎士は黑金大尉とは対照的に標準的な兵装であり、戦術もそれに沿っているわ。連携ではその辺りを考慮した動きにしたいわね。具体的には――」

「俺が突撃、攪乱した後に大尉が殲滅、かな?」


 シロガネが髪をさらりと揺らして肯定する。魔術機甲は個体差が異様なまでに激しい。遠距離に特化したのもあれば、黒狗のように近接だけのもある。軍が抱えているものでは都市専用や野戦用、偵察特化など様々な仕様になっている。当然、それぞれに戦法も違ってくる。

 そうした敵に対応するには連兵のユニットとしての連携を確立させるのが最も確実な方法だ。たとえ相手が全く知らない術者で今までにない方法で仕掛けてきても、こちらの定石を崩さずに対応する。

 そして、相手によってリンクを使用しながら柔軟に対応も行う。リンクを有し、意思の伝達が円滑に行われる魔術機動歩兵ならではの理論だ。


「了解した。取り敢えずはそれで連携を組み立ててみよう。細かい所は順次修正していくということで構わないか?」

「ええ。私も黒狗の全てを理解したわけではないからそれでいいわ」


 その他にもいくつか互いの気になった点を指摘し合う。何度も画面を再生し、検討が終わった時はすでに一時間も経っていた。

 一区切りということを示すように水を飲む。ぬるくなってはいたが、訓練と会話で渇いた喉には染み渡る。


「黒狗の特殊性はある程度理解してくれたと思う。俺も白騎士の戦い方はいくらか飲み込めた。次は連携の訓練に入りたいと思うが、どうだろうか?」


 異議はない。水筒を置いて共に訓練場へと歩き出す。

 歩きながらこの訓練自体は真っ当に執り行われている事に気が付く。黒狗の戦い方は奇抜であるが、連兵を五度も喪うようには思えない。吹雪が提示してくる戦術も真っ当なものだ。訓練中の態度にしろ、暴走するという気配はない。

 ならばなぜ、あのような事態が引き起こされているのか。全てが普通であるがゆえに、余計に経歴の不気味さが浮き彫りになってくる。

 連兵を五度も喪ったのは偶然なのか、必然なのか。吹雪が隠しているなにかがあるのか。今の自分には判断が付かない。


(ともかく、油断しないようにしなければ)


 そう決意を新たにし、規定の位置に立つ。

 沸き上がった疑念を余所に、その後の訓練も滞りなく執り行われた。






 戸を閉めて鍵をかけると、施錠の金属音がやけに大きく響く。鞄と外套を投げるようにして置き、一息を吐くと溜息すら木霊するような静寂が全身を包み込む。出迎えてくれるような人間はいない。

 部屋の主である黑金吹雪はソファーに座り、ゆっくりと身体を弛緩させる。生活感はあるが物の少ない部屋で、まるで家具の一部になったかのように動かない。

 この部屋は官舎ではなく、賃貸の物件である。

 過酷な職業である魔術機動歩兵には官舎への入居が優遇されるが、吹雪が官舎に入るとその経歴から忌避されることや侮蔑の視線を向けられる事も多く、そういった煩わしさから逃れるために自分の部屋を持っていた。賃貸であれば少なくとも家賃さえ払っておけば誰も文句を言わない。もし殉職したときの遺言状はすでに大家に預けてある。

 視線を動かすと五つの写真立てが眼に入る。物が少ない部屋において、綺麗に手入れされているそこだけは他と違った存在感を表している場所になっていた。

 それは今までの連兵の写真であり、今となって全てが故人のものとなってしまった肖像だ。ぼんやりと眺めてから天を仰ぐようにして眼を閉じる。


 右も左も分からなかった自分を年上らしい謹厳な態度で教育してくれたオットー。

 オットーを喪い落ち込んでいた所を引っ張るように元気づけてくれたデリック。

 三度目の正直だと静かに笑んだセシル。

 不吉な噂など気にしないと断言した秋貴。

 陰にこもった自分を殴りつけるように笑い飛ばしたヴァレリー。

 皆、いい人だった。噂に惑わされずに自分の本質を見抜き、それでも受け入れてくれた強い男たちだった。さらには自分の願いさえ聞いてくれるような、正しい男たちだった。

 だった――全ては過去形だ。

 彼らを喪わせたのは自分だ。吹雪にはその自覚がある。だが、改善の方法が分からない。

 軍人の仕事は戦うことだ。統合軍憲兵隊の目的は戦って魔術犯罪を阻止することだ。

 そして第一憲兵隊は世界最大の魔術犯罪組織、アーバン・レジェンドとの矢面に立つ部隊である。自然と激戦が多くなる。


 戦って、戦って、戦って、戦って、戦い続けて。

 そうして大切な人を喪った。右腕に巻いた喪章がその事実を重く締め付ける。

 それが哀しいのに、二度と引き起こしたくないのに、それでも五人もの絆を喪った。己の目的を果たすために激戦に足を進め、闘争の渦に自ら飛び込んで刀を振るう。

 そうして気付けば一人で立っている。後にはなにもない。違法術者も、己が追い求めた目標も、大切な連兵の姿も。手にしたのは魔術犯罪を制圧したという功績のみ。軍服の袖に縫い付けられた略綬が虚しく光る。こんな勲章で彼らが蘇ったりはしない。なにも慰められはしない。

 吹雪とて自分が陰でどう呼ばれているかは理解している。そしてその連兵殺しという名前が相応しいこともまた誰よりも認識している。

 あるいはこの喪失は自分の生い立ちによるものなのか。そう思うこともあった。己の出生、そして第一憲兵隊の最重要目標であるアーバン・レジェンド。

 その二つに関わる黑金吹雪という軍人には明確な目的がある。


 自分の戦闘スタイルの特殊性は確実に生い立ちが関係している。

 だが、それは果たして魔術の事柄だけなのだろうか。自分が他人と違う点が戦い方だけだと誰が言えるのか。己の特殊性、いや異常性が彼らの命を喪わせていないと誰が言い切れるのか。

 軍隊において異端といわれる魔術機動歩兵において、黑金吹雪はさらに異端の存在だ。そして自分自身がそれを自覚している。

 闘争の最中で頭の中に連兵のリンクがあるはずなのに、確かに意思を繋いでいるはずなのに、気付けばそれを喪っている。訓練通りに自分の力を発揮してなお避けられない事態が起こり、それでも戦いへと足を向ける自分への嫌悪が苛む。

 まともな人間ならば五度の喪失で狂っているかも知れないのに、平然と耐えられている自分はすでに狂っているのではないか。何度も何度もそう思う。

 喪うことは哀しいのに、恐れてもいるのに、いざそうなれば狂うこともなく、日常を送れている。果たして自分は常人なのか、狂人なのか、あるいはそのどちらでもない中途半端な存在なのか。それすらも分からない。

 連兵の一人、セシルはそんな吹雪を考えすぎだと笑ってくれた。だがこうまで人を喪い、不吉が続くとそういう風に割り切れない。


 シロガネ・グリューネヴァルト。

 女性の魔術機動歩兵と組むのは初めての体験だ。。

 その名の通りに白銀色の髪を揺らし、凛とした態度でこちらを見据えていた。この世にある理不尽、それを己の力で撥ね付けようとしている瞳は好ましいものだ。やや生真面目で堅苦しい感はあるが、好感の持てる人だろう。

 死なせたくない。そう思う。自分の不吉に巻き込みたくない。そうも思う。だがそのやり方が分からない。五度目の喪章を外し、六度目を付けるようなことにしたくはないのに。

 あの人を返してという女性の声が蘇る。母親を守る子供の瞳がまぶたに焼き付いている。

 あの人たちに不幸をもたらしたのは間違いなく自分だ。何度も何度も自慢されたヴァレリーの家族、その初対面が彼自身の葬儀の場になるなんて。

 刀を置けばいい。そう思ったこともあった。だが自分が今ここで戦いから離れてもどうにもならない。それだけの目的が吹雪にはある。それは正常異常を越えた、吹雪の中に存在する厳然たる目的だ。しかし、その感情こそが彼らを殺したというのもまた非常な現実である。


 様々な感情、思考が巡り、頭の中を引っかき回す。出ない答えが溜息となって口から漏れる。

 結局、自分にできることといえば戦うということのみ。同僚からは忌避され、することは刀を振るうだけ。それがかけがえのない人たちを死地に追いやった原因だとしても。

 おそらく自分はどこか壊れているのだろう。大切なものをいくつも喪い、それでも普通に生きて行けている。敵と戦うことを喜び、敵を屠ることを悦び、闘争の場に歓ぶ。

 哀しいだとか憎いだとかいう感情も湧き出ているのか、それともそれが常識だからそう思っているだけなのか。

 生まれが特殊だとか魔力の生成量が異常だとか、そんなことには関係なく尋常な人間ではない。死神と呼ばれることがその証拠ではないか。

 ならば戦い続けて、刀を振るって、違法術者を制圧して、そうしていつか戦場で死ぬ。塵も残さずに。それが己に最も相応しい死に様だと、二十歳の青年である黑金吹雪は信じ切っている。

 そして哀れなことにそれを否定してくれる人はこの場に誰もいない。

 並べられた五つの写真立てのどれよりも昔の日々を思い出す。まだ魔術機動歩兵ではなかった頃の時間はいまだに色鮮やかに思い浮かべられる。

 そしてそれは吹雪にとって忘れ得ぬ記憶だった。

 辛くとも、楽しくともあった日々が瞼をよぎる。


「すずめ……俺は……」


 決して折れない、鋼の心を。

 彼女はいつもそう言っていた。

 自分が今、そう在れているのか。

 黑金吹雪にはそれが分からない。

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