魔術機動歩兵 シロガネ・グリューネヴァルト

「シロガネ・グリューネヴァルト大尉、第四憲兵隊からの異動で参りました」

「うむ、ご苦労」


 痩身の男はそう言うとじろりとシロガネを一瞥する。敵意があるわけではなく、そういう風に見える顔だちの男だ。

 フレデリック・佐々木。

 肩に光る階級章は大佐を示しており、元魔術機動歩兵である事を示すように右側の袖は空虚に翻っている。

 リディアといい、将校に傷痍軍人が多いのは魔術機動歩兵を擁する部隊の特殊さが関係している。その火力ゆえに魔術機甲を装備した者同士の戦いは激戦となりやすく、重傷者が出やすい。特に世界規模の魔術犯罪組織といわれるアーバン・レジェンド相手ならばそれが顕著だ。

 そして重傷を負っても魔術機甲を纏っている状態ならば撤退が容易なため、死者は少なくなり、代わりに傷痍軍人が多くなる。


「グリューネヴァルト大尉は祖母が桜国人だったのだな。両親はジャーニアの出身らしいが、将来ジャーニアに帰国することを考えているのか?」

「いえ、自分はこの国が気に入っておりますので。できることならばこの国に骨を埋めたいと考えております」

「結構。ただでさえ少ない統合軍の魔術機動歩兵がこれ以上減ってはかなわん。私は二世だが、これでも桜国の現状を憂いているのでね」


 シロガネにせよ佐々木にせよ、軍に限らず桜国と他国の混血児は多い。第二次魔術大戦から八十年の時を経て、二世や三世が急増しているためである。

 組織という点で見れば純血の桜国人だけで構成されているものを探す方が難しい程だ。それほどに桜国という国には様々な国籍が混じっている。

 そしてそれは時に弊害を生む。彼らは源流が桜国でないために、たやすく桜国から故国へと戻ってしまう。統合軍の内部状況も数年の従軍をした後に帰還する者は多い。桜国の存在は重要だが、それと本国を天秤にかけた時にどちらが傾くかはいうまでもない。

 ゆえに桜国の憲兵隊は常に数が不足し、魔術犯罪を取り締まり切れていない。企業も利率が芳しくなければあっさりと撤退してしまう。統合政府というシロアリに屋台骨を食い荒らされながらその場限りの稚拙な補強を施されているのが、現在の桜国の現状である。

 蛇のようなぬらりとした視線を向けた後、佐々木は椅子に座り直す。几帳面な性格を示すように丁寧に撫でつけられた黒髪がわずかに照明を反射した。


「君も知っているとは思うが、黑金大尉は連兵を五度も喪っている」


 喋りながらも視線は外さない。己の言葉に彼女がどう反応を示すか余さず観察しているのが分かる。


「は。ですが自分は求められた時に求められた結果を示せるように尽力するだけです」

「それが己の命を賭すことになっても?」

「もとよりそれが軍人という職業の宿命であり、行うべき職務ではないのですか? 失礼ながら、大佐の右腕もそれを示していると思います」


 この言葉においてはシロガネに虚偽はない。たとえ死神と言われている者と組まされ、それが理不尽だと思いはしても自分のできることは行う。それが魔術機動歩兵を選んだ自分の矜持の一つだ。

 それは生真面目さとは関係のない、軍人としての誇りでもある。だからこそ、上層部の不興を買ってでも誰もが手を出さなかった事件を解決した。

 不吉であり、辞令に至るまでの過程も気に入らないのは確かだ。あの表情の出所も気になる。

 しかしそれでも、今は何が起こったわけではない。ならばそう努めるしかない。その点でいえば彼女は噂に惑わされながらも、軍人として必要最低限の現実主義を保ってはいる。それは四年の間に積み上げてきた経験と無縁のものではない。

 その返答をどう受け取ったのか、佐々木は黙ったまましばし視線を据え、やがてゆっくりと頷く。


「ふむ、いいだろう。君がれっきとした桜国の軍人で安心したよ。六人目にならぬよう気をつけたまえ。しばらくは共同訓練をできるだけ業務に組み込むこと。内容は黑金大尉と相談しろ。報告書はその日の内に私に届けたまえ。なにか質問はあるか?」

「はい隊長。ありません」

「うむ。ならば退室してよろしい」


 軍隊に特有の返事をすると佐々木は満足したように扉を示す。敬礼を捧げ、背を向けて歩き出す。


「魔術機動歩兵をやっていると見えないものが見え、見えるものが見えなくなることが往々にしてある。戦いで生き延びるこつは、そのどちらも逃さずに見極めることだ」


 振り返る。佐々木は空の袖である右手を掲げ、初めて笑って見せる。人生の全てを受け入れたような、諦念と知悉が等分に混ざった笑みだ。

 さきほどの吹雪のものとは、まるで違う笑みだった。


「もっとも、私もこうなるまでは気付くことはなかったがな。君も気をつけるのだな」


 どう返事したものか迷い、結局は再度敬礼を捧げるだけで退室した。






「や、グリューネヴァルト大尉。初めまして」


 隊長室を出た所で唐突に話しかけられた。二人組の男女は共に大尉の階級をつけ、シロガネに親しげな笑みを浮かべている。


「……どうも、初めまして。なにか?」

「君はこちらに異動になったんだろう。俺はレオン・オースティン。それでこっちが――」

「クリスティン・キャンベル。クリスでいいわ。共に第一憲兵隊所属で彼とは連兵よ。序列は彼がゴルディオ8位で私がシルヴィア4位。これからよろしくね」


 にこやかに一礼する。二人の仕草に仕事仲間だけではない親密さを見て取って、少しだけ表情を和らげる。


「シロガネ・グリューネヴァルトです。よろしく」


 男女の連兵が恋仲になる事は珍しくない。平時にはリンクを閉じられるとはいえ、よほど鈍くなければ戦いにおける意思の疎通、あるいは感情の流れだけで相手を理解できてしまう。ある意味で以心伝心という言葉を体現したようなシステムが連兵である。

 命がけの戦場においてリンクしたまま過酷な体験を生き抜いたとあれば、それが互いへの慕情に発展しても不思議はない。そうすればリンクが強まるため、軍としても半ば黙認している。

 無論、その感情が任務に阻害するとなればその限りではないのだが。


「なあ、君は黑金大尉と連兵を組むのだろう? 少しあちらで話さないか?」


 レオンが食堂を示し、クリスも頷く。立ち話以上の会話をしたいらしいと察して了承する。なにより、自分の連兵となる吹雪の話なら聞かないわけにはいかない。

 時間が中途半端だからか、食堂はまばらに人がいるだけだ。そんな中、席に着くなりレオンは打って変わって真剣な眼でシロガネを見据える。


「正直に聞くけどな、君は黑金と組む事をどう思っているんだ?」

「どう、と言われても」


 曖昧な質問がシロガネは好きではない。人の評判に関わることならなおさらだ。それは桜国人である祖母の教えと自身の潔癖さが由来している。他者に対する敬語なども祖母の厳しい躾がそうさせている。

 曖昧な質問に対する返答は時に人を酷く誤解させる。それも修復がかなわないほどに。桜国人らしく実直な祖母はそれを熟知しており、可愛い孫娘にそうならないように教育を施していた。

 そして祖母を愛しているシロガネはその教えを忠実に守っている。


「ぶっちゃけると、俺達は黑金のことをよく思っていない。理由はもちろん、五度にわたる連兵の戦死だ。他の部隊のことは分からないが、噂をしているのは知っている。そうだろう?」

「本当なら噂やら評判に振り回されるのは好ましくはないんだけど、さすがに五度ともなると……ね?」


 クリスが人数分のコーヒーを持って戻ってくる。頷きつつも、二人が何を言いたいのかが分からない。


「つまりだな、君にあいつの落ち度を見つけてもらいたいんだ。そうすれば第一憲兵隊、あるいは軍そのものから追い出せるかも知れない」

「あなたたち、それは――」


 シロガネの顔がさっと変わる。その表情を見たクリスが慌てて言い繕う。


「違うの、違うの。別に無理矢理陥れるとか、そんなことを言っているのではないの。ただ、彼の連兵はどこかおかしい。それは分かるでしょう?」

「……そうね」


 間を保たせるために半ば無理矢理コーヒーを含み、沸き上がった激情と共に呑み込む。けっして豆だけではない苦さを味わいながら頷く。


「言うまでもなく、二年という期間で連兵を五人も喪失するなどというのは異常だ。中央軍にあるどんな記録を遡っても存在しない。なら、あいつにはなにかがあるはずだ。そのなにかを君に探って欲しい」

「しかし、そういったものはこれまでの戦闘報告を閲覧すれば分かるのでは?」


 実際、シロガネ自身も手が空けば閲覧しようと思っていた所である。だがクリスは憂鬱そうに首を振る。


「不思議なことに彼の連兵は五人共が彼に好意的な報告しか残してないのよ。彼が連兵を喪った時の戦闘報告を見ても、大きな齟齬は認められないし」

「ではあいつが普通かというと、そうではないよな? 俺だって軍の同僚を追い出すなんて真似はしたくない。それでも五度も相手を喪って平然としているなんて、俺には想像もつかない」


 それには同意だったので大人しく頷く。ベルタとの連兵を解除した時の喪失感、それよりも深いものを五度味わってあのようにしていられるのは想像もつかない。

 レオンはクリスの肩を抱くようにして引き寄せ、寄り添う。仲睦まじいという言葉を体現したような二人を、しかし一歩引いた思考で眺める。


「もしも俺がクリスを喪えば狂うほどに哀しむだろう。彼女も同様だ。だからこそ、あいつの平然とした様子が俺には信じられない」

「戦闘、訓練、あるいは日常の生活。なにか、どこかが彼はおかしい。それは間違いないと私たちは思っている。だからあなたに観察して欲しいの。六人目にならないように」


 わずかな間、シロガネは黙考する。言われるまでもなく吹雪の異常さは理解している。自分で調査と警戒をしようとしていたのも確かだ。

 だが、この二人の頼みを受けてというのは少し違うように思える。吹雪と連兵するという自分の事柄と、彼らの頼みという事柄が混ざってしまう。公私の物事をきっちりと区別する潔癖な性格が返事を躊躇わせている。

 そんなシロガネをレオンが懇願するように見つめてくる。


「なあ、頼むよ。俺は怖いんだ。今のあいつは自分の連兵を喪っているだけだ。だが、もしかすると今度はこちらにまで被害が波及してくるかもしれない。もちろん俺だって軍人である限りはクリスの命、あるいは自分の命の喪失は理解している。でも、それが理不尽であって欲しくないと思うのは不自然だろうか?」

「レオン……」


 クリスがレオンの手を包み、レオンはそんな恋人に笑って見せる。ちりちりと肌を刺す違和感が大きくなってくる。

 この二人はシロガネのためと言いながら、吹雪を糾弾している。誰かのためということを免罪符に、自分たちの安全圏を確保しようとしている。そう思えてしまう。

 もちろんそれは二人の意思の全てではないかも知れない。だが、一度そう思ってしまったシロガネには自分の考えを容易に覆すことはできない。

 そしてその類の行為は自分にとって最も唾棄すべきものだ。


「戦いというもの、特に魔術機甲同士の戦闘は理不尽と無茶が肩を組んで行進しているようなものだと思う。軍隊における死、それに納得することの方が少ないでしょう。悪いけど、私には君たちが自分のことしか考えてないように見える」


 そう言うと二人はいくらかばつの悪そうに黙り込む。その表情に自分の考えが間違いでないことを確信する。


「黑金大尉のことは尋常ではないと思っているし、警戒するつもりではいる。でもそれは貴方たちに言われたわけじゃなく、私の問題だから。それは勘違いしないで欲しい」

「それでいいさ。けど、これだけは心に留めて置いてくれ。うかうかしていると、君が六人目になるということをな」


 これ以上は逆効果だと悟ったのか二人が立ち上がる。一人残されたシロガネはゆっくりとコーヒーを含み、飲み下す。

 自身と相反する色の飲み物は先ほどよりも苦い味がした。


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