一章
魔術機動歩兵 黑金吹雪
魔術といううさんくさい技術が中世より永の時を経て蘇ったのは二百年程前になる。それはヨハン・デューラーという一人の博士が提唱した魔術機甲論という理論から始まった。
きっかけは世界各地から産出される結晶である。今まではただの装飾品としてしか加工されなかったそれに、生体との親和性がある事が発見されたのが端緒になった。結果、その結晶が生物に新たな力をもたらすことも同時に発見された。
その物質は魔術結晶と名付けられ、それが埋め込まれた人間には魔術神経という新たな神経組織が生成される。その神経は大気中に存在する魔力を取り込み、機甲を精製する。そして、魔力によって精製された機甲兵器は従来の戦術を一変させるものとなった。
従来の火器が全く通用しない装甲と魔力をもって放つ攻撃は、全世界へ絶大な威力を知らしめる。しかもそれは多種多様さを誇り、定型にはまらない。戦車、戦闘機、ヘリ、そして生身の歩兵たち。それらをまるで歯牙にかけない火力と防御力。
当然のごとく各国はその技術に飛びつき、こぞって魔術結晶の埋め込みへの志願者を募った。そうして選別の結果、適応者が次々に結晶を埋め込まれ、魔術機動歩兵と呼称される者たちが誕生していった。
火器と物量のぶつかり合いだった戦争という概念の変革である。
武力とはすなわちどれだけ魔術機動歩兵を抱えているかを指し、魔術結晶の産地はそれだけで他国と一線を画した国力を有することとなった。魔術結晶への適応者がそう多くは存在しないということも、その傾向に拍車をかけた。
だが、変化はそれだけに留まらない。技術の革新は即ち人々の生活をも変えていく。そして生活が変われば、犯罪も変化する。人々に浸透していった魔術機甲理論は、同じく魔術犯罪というものを生活に浸透させることとなる。
魔術結晶の埋め込み手術はさして難しいものではない。闇医者と適応者、そして非合法の魔術結晶。その三つが揃えば違法術者が誕生し、彼等は大いに犯罪を謳歌した。使い方さえ弁えれば一個人が軍隊に匹敵する火力を有するにも等しいのが魔術機甲だ。その恐怖は人々を大いに震撼させた。
それは魔術結晶が産出される国であるほど、凶悪なまでに顕著になっている。この
桜国は多くの魔術結晶を産出し、それがために多量の結晶を巡る争いが発端となった八十年前の第二次魔術大戦の主戦地となった。激戦は国を大きく疲弊させ、復興支援を口実とした他国の介入を防ぎきれなかった桜国は今、各国が創設した統合政府によって管理されている。
敗戦した国家の安全管理とは謳っているものの、実質は魔術結晶の産地の囲い込みと利益の分配だ。
その結果、他国からの企業や移民が大量に流れ込み、今や桜国は世界でも多種多様な民族が住まう国となっていた。実に全人口の五割が他国民族の帰化であり、混血が繰り返された今となっては純血の桜国人の数は減る一方となっている。
そして多様な民族の流入は犯罪を誘発し、魔術結晶の産地であるがためにたやすく魔術犯罪へと繋がり、安全のための管理国家でありながら魔術犯罪率はトップという矛盾した存在となっていた。
そんな国であっても当然ながら官憲は存在する。
犯罪に魔術が使われるのなら、取り締まるのもまた魔術である。国際法は魔術犯罪を最上級の違法行為である一級犯罪と位置づけ、その制圧に魔術機動歩兵を投入することを定めている。
そうして作られたのが、魔術機動歩兵による憲兵隊だ。その火力の大きさから警察組織ではなく軍の憲兵組織として結成され、彼らは苛烈なまでの武力で魔術犯罪を駆逐する。
ヨハン・デューラー博士の発見から二百十三年たった現在も、魔術による戦いは終わることを知らない。
かつかつかつ、と足音も高く廊下を歩く。目的地へと歩みを進めながら先程渡された資料を頭の中で反芻する。
黑金吹雪。
その名が示す通り桜国の純血統である。復興介入から流入した他国民族が多数を示すこの国において、戦後の世代における若く純粋な桜国人は珍しい。
かくいうシロガネ自身も祖母が桜国人であり、シロガネという名前は自分の銀色の髪色と桜国の文字である『白銀』から来ている。その点では多少の共通点がある。おそらく年齢が近いというのも連兵への考慮に入っているだろう。
吹雪は五歳で魔術犯罪によって両親を亡くし、その後は孤児施設にて過ごす。そこで行われた適性試験によって十二歳で軍施設に入り、士官学校を経た後に十八歳で初陣を迎える。そこから二年で大尉まで昇進、序列もプラティナム3まで昇格した。
以上がシロガネが調べた吹雪の経歴だ。
丁寧に刈り揃えた髪を揺らして、頭を振る。第四憲兵隊の隊長室でのやりとりが脳裏に蘇る。
「ともかく、気をつける事だ」
リディアは言い、椅子から立ち上がる。こつこつと義足が床を叩く音が近づき、自分の身体が柔らかく抱かれる。
「私には黑金大尉の経歴にどんな意味があるのかは分からない。だが、あの人を喪い、貴女まで喪うことに私は耐えられない。貴女の生真面目さも知っている。努力を怠らない性分も知っている。けれど、人は決して不死身ではない。いいね、本当に気をつけて。シロガネ、私の可愛い義妹」
軍人から私人への変化がシロガネを優しく包む。婿入りした兄の嫁であり、優しい義姉でもある女性はしばらくの間義妹を抱きしめ、その体温が溶け合う頃になってようやく離した。
「義姉さん……」
「どこまで力になれるかは分からないけど、軍規に反しない限りはバックアップはする。シロガネも溜め込みすぎないように。貴女はあの人に似て、背負い込もうとする癖があるのだから」
廊下の角で立ち止まり、深呼吸を一つする。そうだ、自分には理解してくれる義姉がいる。それは素晴らしいことであり、同時に自分の戦う理由の一つともなる。たとえ相手が周りから連兵殺しと呼ばれる不吉な存在であっても、上層部の懲罰で異動させられているとしても、負けなければならない理由にはならない。
その思いを胸に歩き、辿り着いた目的地のドアをノックする。一瞬の沈黙が廊下を支配した。
不安で自分の鼓動が早まっているのに気付いた瞬間、中からどうぞと声が聞こえてくる。
「失礼します。シロガネ・グリューネヴァルト大尉、辞令によりこちらに着任しました」
凛と響いた声に部屋にいた青年が顔を上げる。経歴通り、若い。旧世代の軍隊の常識からすれば、若すぎるほどともいえる。
一般的に魔術結晶は若ければ若いほど適応性が高いと言われているので、統合軍においてこの年齢の従軍は珍しくはない。
ただ、二年で大尉というのは若年が多い魔術機動歩兵の中でも実績を挙げているという証拠であるし、だからこそ精鋭部隊である第一憲兵隊に所属しており、序列の高さがその優秀さを示していた。
統合軍の魔術機動歩兵には一般的な階級とは別に、魔術機動歩兵としての序列が定められている。これは現役の魔術機動歩兵にだけ適用されるもので、下から順にブロッゾ、シルヴィア、ゴルディオ、プラティナムとなる。
つまり吹雪のプラティナム3は、桜国統合軍において上から三番目の序列となる。従軍から二年という短さ、二十歳という若さから見ればかなりの実力だ。
今回シルヴィア1位に昇格したシロガネが士官学校を出てから四年、異動の元になった事件を除けば順調に序列を上げていたのを鑑みると、その若さに比した序列の意味が知れようというものだ。
全体的に魔術機動歩兵の平均年齢が低いことは人権の面から問題視されている。だが魔術結晶の適応者は常に不足しており、対して魔術犯罪は増加の傾向があるという事実は覆しようがない。そしてなにより、魔術犯罪は生半可な手段では制圧できないということも抗えない事実である。
特に桜国は統合政府の管轄であるためにどの国も自前の魔術機動歩兵を提供したがらず、常に兵力の不足に悩まされている。その事実が魔術犯罪の誘発という悪循環になってすらいる。
ゆえに統合中央軍に限らず、どの国家も常に一人でも多くの魔術機動歩兵を欲しているし、シロガネ自身も士官学校を卒業した十八歳の新品少尉の時から即座に最前線で従軍している。軍隊という組織は現実が良識を凌駕する世界だ。
そして吹雪はその二年という期間で連兵の相手を五度も失っている。その事実が彼女の心を重くさせる。魔術犯罪の多い桜国の憲兵隊といえども、その数は異常としかいいようがない。
「ああ、聞いています。自分は黑金吹雪。階級は同じ大尉なので楽にしてもらって構いません」
顔立ちに反して声はどこか幼さを残した高い声がシロガネに向けられる。澄んだガラスのような硬質の声がいくらか値踏みするように張りついてきた。
軍服の袖に縫い付けられた略綬には激戦を戦い抜いたものにだけ与えられる魔術機動兵章の印が鈍く光っている。
普通ならば、それを与えられた魔術機動歩兵は無条件で周りからの信頼を得られる。それは激戦を戦い、なおかつ生き抜いた証でもあるからだ。だが、吹雪にまつわる噂はそれを押しのけてまとわりついている。それほどに連兵を五度の戦死で喪うということは重い事実となる。
そして、なにより目立つのは腕に巻かれた黒い喪章だ。一つ前の連兵が殉職した証であるその存在に、自分と変わらないはずの軍服姿が途端に不吉を示しているようにシロガネには見えてしまう。
それともその思い込みは吹雪の経歴を知っているがゆえの先入観なのか。
「机はそちらを使って下さい。基本的に第四憲兵隊と変わる所はないはずです」
「ありがとう大尉、世話になります。それと、自分に敬語は不要です。この部隊に関してはあなたの方が先任なのですから」
「ああ、ならば俺にも不要です……だ。階級は同じだからな」
「了解。まあその方が面倒はないわね」
「そうだな。この仕事をしていると面倒だらけだ。せめて身近な面倒はなくしておきたい」
言って肩をすくめる。その動作はまるきり普通で、連兵殺しなどと呼ばれるような人間だとは思えない。身構えていたシロガネとしては拍子抜けするほどに真っ当な対応をされて少々気が抜ける。とはいえ、軍隊組織で傍若無人な振る舞いをしてただで済むはずはないと思い直す。
だが、緊張とはまた違う、吹雪の表情の変化がないのには気になる。自分を迎えた時も敬語がどこか上滑りするような、妙に感情の窺えない無表情だ。あるいはそれも噂の原因の一つなのかも知れない。
その不審を悟られないように鞄を置き、荷物を机の上に広げる。とはいっても私物はそれほど多くはなく、綺麗な机の上にいくつかの文具が置かれていくだけだ。
「大佐……佐々木大佐によれば、しばらく俺たちの出動はないだろうとのことだ」
「そう……まあ、最初は二人の連携を確認しなければならないでしょうしね」
魔術機動歩兵は常に連兵というシステムによって二人一組で行動する。それは軍官舎内においても徹底されており、事務仕事から訓練、捜査や出動の全てが二人一組で行われる。効率の悪さを無視して、事務室ですら二人だけの部屋が用意されている。もっともそれにはちゃんとした意味がある。
魔術結晶を埋め込んで魔術神経を生成できた人間は同じく魔術神経を持つ者とのリンクが可能になる。魔力を介在して互いの魔術神経に干渉し、意思の疎通が可能となる。
その疎通は言葉ではなく、互いの意思そのものがフィードバックされる。ゆえに受け取った瞬間に真意が理解でき、互いの行動へと反映されることとなる。
魔術機動歩兵は単独でも凄まじいまでの火力を誇る。だが、リンクによる意思疎通、それによる連携は相乗効果によって何倍にも跳ね上げる。リンクによって魔術機動歩兵は真の運用を果たし、それが連兵という言葉の意味となる。
親和性の高さが仇になって三人では脳処理が間に合わず混乱し、かといって単独では時として違法術者に敗北する。そのため、連兵は二人一組のユニットと定められている。
リンクには専用の魔術が必要となるが、それだけでは不足する繋がりを深める方法がリンクを通じた相互理解だ。相手を理解すればするほど、その疎通は容易になる。
二人一組の束縛はそれを高めるための処置である。その辺りは魔術という曖昧でありながら確立された技術の特性といえる。
そして連兵の喪失が忌み嫌われる理由の一つもこのリンクにある。リンクは意思の疎通だけではなく、ある程度の感情も共有してしまう。喜び、哀しみ、怒り、憂い。お互いが何に対してそういうものを感じるのか、意図せずともそういったものが互いに流れ込んでしまう。でなければ相互理解はできない。
そして繋がりが深くなれば、互いの記憶すら共有する。それは突き詰めれば感情移入というレベルではなく、感情の同化といっていいほどだ。
それがために、連兵を喪失すれば残された方は恐ろしいほどの喪失感に苛まれる。それは深く繋がっていればいるほど、顕著になる。連兵の相手を喪って魔術機動歩兵を引退する者も少なくない。
だからこそ、それを五度も経験して平然としていられる黑金吹雪という存在は、シロガネの理解の範疇外だった。吹雪の連兵殺しという仇名も、あながち的外れなものではない。そうさせるだけのなにかが吹雪にあると、そう思わせてしまうのだ。
実際、前任のベルタが引退する際にリンクを切った時ですら、シロガネは大きな喪失感を味わっていた。しばらくはなにも手につかなかった程だ。それが死別となれば、想像もつかない。
これらは魔術機動歩兵の運用における弊害でもあるが、しかし連兵をしなければ魔術機甲を纏った違法術者に対抗できないのもまた現実だ。たとえ直接の力で劣っていても、個に対して連兵であたればまず負けることはない。
「差し支えなければ今からリンクを繋げたいんだが、どうだろう?」
「あ……了解。どうぞ」
のっぺりとした表情のまま、整理の終わりを見計らって吹雪が聞いてくる。気は進まないが、行わない訳にはいかない。頷いて手を差し出して互いに指を絡めあうが、どうしても腕の喪章へと視線が誘導されてしまう。
そんな不安を見透かしたようなひやりとした指先を感じながら、深呼吸を一つ。己の中に埋め込まれた魔術結晶に意識を流し込む。胸に埋め込まれた魔術結晶が熱くなり、次いで全身に鈍い刺激が這い回る。
魔術神経の活性化と身体に新たなものが産まれる感覚が身体を支配する。
「息を吸って……吐いて……吸って……吐いて……俺たちは繋げる、繋がる、繋がっていく」
吹雪の声が聞こえてくる。互いの身体に行き渡る魔術神経が魔力を錬成し、術式を起動する。それに伴って肌にうっすらと魔術神経の紋様が浮びあがる。
まるで中世に信仰された呪術師の入れ墨のようなそれが、呼吸するかのように明滅する。一度は科学の発達によって切り捨てられた魔術というものが今になって現実の物となるとは、当時の識者たちには思いもよらなかったに違いない。
リンクの術式自体は難しいものではなく、補助具があれば一般人でさえ行える。とはいえ魔術結晶を持たない一般人が起動した所でリンクができるはずもないので、無意味ではあるが。
やがて鈍い刺激の中に差し込まれる小さな異物感が管となって体中を駆け巡り、徐々に
それが収まった瞬間に頭の中で電気信号が走るように繋がりを感じ取る。
自分の中に黑金吹雪という青年が入ってくる。同時にシロガネ・グリューネヴァルトという女性も黑金吹雪の中に入り込む。
まるで身体の交わりのような感覚が広がる。とはいえシロガネはまだそういった行為は未経験ではあるが。
だが、それだけだ。ベルタの時にはあったその後に続くものがない。
『グリューネヴァルト大尉、こちらの意思が伝わっているか?』
『伝わっているわ黑金大尉。そちらは?』
『同じく伝わっている。では一端リンクを閉じよう』
指先が離れて繋がりが消える。あっさりとしすぎる感覚にどこか違和感を覚えてしまう。
通常、リンクを繋げる時はいくらか相手の感情も流れ込んでくるものだ。多くの場合は不安や戸惑い、あるいは歓喜といったもの。それは初めての接続の際の距離感という感覚に近い。互いの距離を測りかねるためにそういったものが流れ込んでしまう。
だが、吹雪とのそれは何もない。ただ繋がったという実感があるだけ。全く動かない表情と同じ、その事実だけが認識されている。リンクを絞られたというのではない。あくまでも向こうの意識は見えており、その上で何もない。
まるで草木も何もない氷の平原を覗き込んだような寒々しさにシロガネは知らず心を震わせる。そしてその寒々しさも吹雪からリンクを閉じられることで消えてしまう。
ベルタの時は同性同士ということもあって気安かったとはいえ、それでもどこか不安なものが互いに流れ込んでいた。そしてだからこそ繋げてすぐにその不安を話しあい、解消できた。それによってリンクの素晴らしさを理解したし、互いのことを理解した。
それに彼女自身、リンクには多少の思い入れがある。他人の感情や意思を共有するということは、すなわちその人間の領域に踏み込むということでもある。であるならば、機械的にこなすべきではない。もっと厳かで尊厳のある行為であるはずだ。
もちろんこれは勝手な思い込みであるから、あっさりと済ませた吹雪に文句が言えるはずもない。だが、やはりどこか自分勝手な不満を感じてしまう自分を自覚する。
おそらくはそう、五度もリンクをしている吹雪にはその辺りの距離感が見極められているのだろう。そう結論づける。
「では、これからよろしく。あなたは努力の天才だと聞いている。そんな人と組めるのは、光栄だよ」
「努力の天才だなんて、買いかぶりよ。私は常に結果を出そうと全力で努力してるだけ」
「全力の努力、か。確かにそうかもな。だが、皆が皆それができるわけじゃない。その点において、君はそうできるだけの稀有な才能を持っていると俺は思うよ。でなければシルヴィア1になるまで生き残れない」
シロガネは首を振る。努力を苦に思ったことはない。自分に足りないところがあればそれを補うための努力をするべきだと心の底から思っているし、それができるだけだと思っている。
それはある意味で驕りではあるが、そう思えるだけの結果を出していることも確かだ。
「序列なら君はもっと上でしょう? 君は生え抜きの第一憲兵隊所属でもあるわけだし」
「連兵を五度も喪っている俺が誰かと同じだなんて言えば、気味悪がられるだけさ。俺はただ生き残っている。それだけだ」
他でもない吹雪自身から出た言葉にシロガネは口を引き結んだ。窺うように自分を見る彼女に吹雪は笑ってみせる。だがそれはおおよそ笑顔と呼ばれるものからかけ離れたなにかだ。
どう違うのか問われれば、首を振るしかできない。だが、それを笑顔ということはできない。楽しげでもない、哀しげでもない、愉快不愉快を越えたものが吹雪の表情には秘められている。出会って初めて目にした吹雪の変化がそれだった。
たった二十歳の人間がこんな表情ができるものなのか。少なくとも二年ばかり年上のシロガネにはできない。できる程の人生を歩んでいない。ならば、それができる吹雪は一体なにを見てきたのか。
「俺の噂は知っているのだろう? 俺から言えることは一つ。死なないように全力で努力して欲しい。連兵殺しの死神なんて呼ばれている俺が言えた義理じゃないけどな」
そう言って小さく敬礼を掲げる。そうした仕草はやはり二十歳という若者らしくあり、シロガネも思わず答礼をするほどに邪気のない仕草だ。
全く動かない無表情と、無邪気な挨拶。
五度も連兵を喪った不吉な経歴と、あっさりとしたリンク。
どちらが黑金吹雪という人間を強く現しているのかは判別がつかない。
「ああ、佐々木大佐から着任の際に挨拶しろと言伝があった。隊長室で待っていると」
「ん、分かった。では行ってきます」
今見たものを振り払うように足早に部屋を出る。扉を閉める際に見た顔はやはり陰鬱で、来た時と同じように陰を孕んでいた。
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