Black Dog White Knight~黒狗と白騎士~
大正望
序章
喪失
「帰って下さい」
それだけを告げられ、青年はその場に立ち尽くす。腕に巻いた喪章がその内心を表わすように寒々とした風に揺れている。
「帰って下さい。私は貴方の顔を見たくありません」
再度そう言われ、俯く。俯くことしかできない。
悪意として拒絶されているのではなく、目の前の女性はただ単純に辛さから逃れようとしているだけだ。そしてその辛さの原因は自分にある。
「……せめて香典だけでも――」
「いりません! 帰って下さい! お願いだから帰って! 帰らないならあの人を返してよ!」
ばしん、と胸を叩かれる。幾多の戦いをくぐり抜け、それでも生き延びてきた身体にその力ない一撃は何よりも沁みた。胸を叩き続ける細い手に、自分がこの人から最愛の夫を奪ったという事を再認識する。してしまう。
「母さんを虐めるな!」
「テオ……」
母の激昂を聞いて家から飛び出してきたのだろう。テオと呼ばれた子供が靴も履かないまま、青年から母を護るようにその背に庇っている。
父親の死の意味も分からないような年端もいかない子供が、今にも噛み付きそうな眼で青年を睨み付けている。
父親の面影を宿したその顔に胸が締め付けられるような痛みを覚える。
いつか写真で見せてもらった顔だ。可愛い子供だと、成長が楽しみだと。彼はそう言っていた。
その子供が、自分を睨み付けている。
それが、どうしようもなく哀しい。
「母さんを泣かせるな! あっちいけ!」
青年から母を引き剥がすように割り込み、そのまま両手で押してくる。その小さくも強い姿に青年が軍帽をかぶり直し、腰を折って深々と一礼する。
軍人が行うもっとも深い礼は貴人か死者に対してしか向けられない。
「申し訳……ありませんでした」
それだけを言い、背を向ける。ひゅうひゅうと冷たい風が顔を撫でる。だが、その冷たさも青年にはなんら痛痒を感じさせない。
己の
そしてその辛さは自分より遺族の方が大きい。
「ごめんよ、ヴァレリー……ごめん……」
『転属辞令 統合政府中央軍
魔術機動歩兵中尉 シロガネ・グリューネヴァルト
当日付を以て中央軍第五憲兵隊、ベルタ・エンゲルスとの連兵任務を解き、中央軍第一憲兵隊、黑金吹雪との連兵に任ずる。
尚、転属にあたって貴官を大尉に昇進、序列をシルヴィア1へ昇格とする』
ぐらりと視界が傾ぐ。しっかりと持っているはずの目の前の書類がふらふらと定まらない。揺れる文字を追って何度も何度も辞令を読み直す。だが、当然のごとくそこに書かれている文言が変わることはない。
「これは……どういう事ですか?」
シロガネ・グリューネヴァルトはともすれば荒げそうな声を必死に抑える。それでも対面に座る上官は小さく頭を振るだけだ。
「文面にある通りだ、グリューネヴァルト中尉。いや、もう大尉か。君は第一憲兵隊への転属となる。序列もシルヴィア6から1へと格上げだ。おめでとう……と言うべきなのだろうな。本来ならば」
「第一憲兵隊、対アーバン・レジェンド専属部隊への転属は望むところです。ですが連兵の相手があの黑金大尉とは……っ!」
抑えきれない感情が爆発して秀麗な顔立ちが憤激に歪み、形のいい柳眉が逆立てられる。現実を否定するように首を振ると、その名を現すような白銀の髪が揺れた。普段は冷静なシロガネにしては珍しく、荒ぶった感情を隠そうともしていない。
「私とて不本意だ。だが、軍における命令は絶対だ。従うしかない」
昔は彼女と同じ魔術機動歩兵でありながら、右足を喪った現在はその指揮官として軍役に就いているリディア・ブロウズ中佐は切り捨てるような口調で言い放つ。その言葉の冷厳さとは真逆の表情がシロガネを冷静にさせる。
「あ……申し訳ありません」
「いや、いい。私もこの命令に納得しているわけではない。どうにかして君を取り戻したいが……すぐには不可能だろうな」
資料を投げ出すように机に放る。謹厳な性格として知られる彼女にしては珍しくぞんざいな仕草を見せながら、とんとんと書類を叩いて溜息を吐く。
「昇進が示すように第一憲兵隊への転属は基本的には栄転だ。魔術犯罪結社であるアーバン・レジェンドに対する捕縛数は専属の第一憲兵隊が群を抜いてトップだからな。その点に関しては、君の能力が生え抜きとして素直に認められたと解釈できるだろう」
「ですが――」
「そうだな。連兵の相手が問題だ。一度の戦死なら同情されるだろう。二度目もまた同じく。だが三度目からは能力を疑われ、四度目は最早忌み嫌われる。黑金大尉は連兵の相手を五度も戦死によって喪っている。これは黑金大尉の能力云々ではなく、不吉の象徴とも言えるな」
「そこを突いて取り消させるわけにはいかないのですか?」
シロガネの期待を打ち砕くようにリディアは大きく頭を振る。そこには手を尽くしきった後の諦念が見て取れた。
「私なりに調べたのだが、黑金大尉が連兵を喪った状況は全て激戦に類される戦い――つまり我々の最重要目標であるアーバン・レジェンドとの抗争においてであり、なおかつ彼自身は事件の鎮圧及び違法術者の捕縛に成功している。つまり、彼は連兵を喪いながらもその任務を遂行しているのだ。ゆえに第一憲兵隊から転属させられることもなく、プラティナム3の序列から下げられることもなく魔術機動歩兵として戦い続けている」
「しかし、五度の喪失は無能の象徴とも言えるのでは?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える。繰り返すが、彼の任務自体は遂行している。その事実が彼を降格させないのだ。連兵を喪失したのも結果であれば、術者を捕らえたことも結果である。軍隊とは常に結果を重視する。いやな言い方ではあるが、魔術機動歩兵一人の損害と事件を鎮圧して治安を回復したという事実、その天秤の傾きは上層部のさじ加減で決まるということだ」
今この場における反論が尽きたのを理解してシロガネが唇を噛み締める。軍人として国に仕える以上、多少なりとも理不尽な命令に従う覚悟はある。だが、連兵殺しとあだ名されている者と組まされるとは思いもしなかった。
「それにおそらくは君に対する牽制の意味合いもある。務めを果たした軍人に対して上層部が妨害を行うなど、情けない限りだがな」
統合中央軍とて理想の組織ではない、と溜息と共に吐き出してリディアは書類に目を落とす。
「あの事件ですか……」
シロガネの呟きにリディアが頷く。
つい最近、複雑な政治事情から手出しを控えさせられていた事件を強引に解決した。生来が生真面目な彼女には、どうしても見過ごされていることによる影響を放置することができなかった。
もちろんそれは暗黙の了解を破ったに等しい行為で、一部の上役から酷く不興を買っていることも理解しているし、先日までの連兵であったベルタが軍を辞めたのもそれが理由の一つとなった。
おそらくこれは懲罰人事の一種なのだろう。出さなくてもいい手を出した、思い上がった魔術機動歩兵への戒めだ。
別段、自分が特別な兵だとは思っていない。こつこつこつこつ、与えられた力を元に努力を重ねてきただけだ。
そしてその力でもって世の中の理不尽を打ち砕いた。そう信じている。魔術機動歩兵という力の使い方はそうあるべきだと、そうも思っている。
だが、それを疎ましく思う人間がいるのも確かだった。しかもそれが取り締まる側である軍部の人間となれば、リディアの言う通り情けない限りというより他ない。
シロガネ・グリューネヴァルトという女性を他者から評するとすれば、真面目というものが来るだろう。次いで正義感が溢れている、あるいは凛々しさが満ちているという言葉もある。
そして彼女はその評判通りの人間であり、社会を知る人間として聡明でもあった。であるからして噂というものに必要以上に振り回されるような人間でもない。
だが、そんなシロガネですら黑金吹雪という名前が持つ不吉さは得も言われぬ嫌悪感を沸き立たせてしまう。それほどに連兵を五度も喪うという事実は重い。
やりどころのない怒りと理不尽さを押さえ込んで、踵を合わせて敬礼をする。
「拝命しました。シロガネ・グリューネヴァルト大尉、これより第一憲兵隊へと向かいます」
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