第5話 氷の騎士様、家庭菜園に降臨
あの歓迎パーティーでの一件以来、俺の周りで奇妙な現象が起こり始めた。
なぜか、隣国の騎士団長であるサイラス・エインズワースと、やたらと遭遇するようになったのだ。
王宮の廊下を歩いていれば、向かいから彼が歩いてくる。父の使いで騎士団の訓練場を訪れれば、なぜか彼に手合わせを申し込まれる(もちろん丁重にお断りした)。王宮の書庫で調べ物をしていれば、いつの間にか隣の席に彼が座っている。
「……気のせいだろうか」
最初は偶然だと思っていた。しかし、こうも続くと、さすがに何か意図的なものを感じざるを得ない。だが、俺に何の用があるというのか。
俺はただのスローライフを夢見る、しがない公爵令息だ。こんな大物に関わられる覚えはない。
俺は彼の存在を意識しないように努め、もっぱら自分の計画に没頭していた。
その計画とは、俺のスローライフ計画の根幹をなす、「家庭菜園プロジェクト」である。
公爵家の広大な敷地の片隅、あまり使われていない日当たりの良い一角を父に頼んで譲ってもらい、俺はそこに小さな畑を作っていた。前世で培った知識を活かし、この世界ではまだ珍しいトマトやジャガイモ、ハーブなどを育てている。
いずれは、この畑で採れた野菜を使って小さなカフェでも開いて穏やかに暮らすのが俺の夢だ。
その日も、俺は従者もつけず、一人で畑の雑草を抜いていた。泥だらけになるのも気にせず、土をいじっている時間は、俺にとって何よりの癒やしだった。
「ここで何を?」
突然、背後からかけられた声に、心臓が飛び出るかと思うほど驚いた。聞き覚えのある、低く冷たい声。
振り返ると、そこにいたのは、漆黒の騎士服に身を包んだ、氷の騎士様ことサイラス・エインズワースだった。
場違いにもほどがある。ここは公爵家の裏庭で、彼は隣国の騎士団長だ。なぜこんなところに。
「サ、サイラス殿!? なぜここに……」
「散歩をしていたら、面白いものが見えたのでな」
彼はそう言うと、俺が耕した畑に視線を落とした。その無表情からは、何を考えているのか全く読み取れない。
「これは……なんだ?」
彼が指さしたのは、ちょうど赤く色づき始めたトマトの実だった。
「トマト、という野菜です。焼いても煮込んでも美味しいんですよ」
「ほう」
短い返事と共に、彼はこともなげに俺の隣にしゃがみ込み、おもむろに雑草を一本引き抜いた。
「……は?」
「面白そうだから、手伝おう」
「いや、あの、お手を汚させますし、騎士団長殿がするようなことでは……!」
俺の制止も聞かず、サイラスは無言で、しかし的確に雑草だけを抜いていく。
漆黒の騎士服で無表情に土をいじる氷の騎士。あまりにもシュールな光景に、俺はただただ困惑するばかりだった。
結局、その日は畑の半分ほどの雑草を、二人で黙々と抜いて終わった。
帰り際、彼は泥のついた手袋を外しながら、ぽつりと言った。
「また、来てもいいか」
「えっ」
「この、トマトというものが、どうなるのか興味がある」
断れる雰囲気ではなかった。
その日を境に、俺の家庭菜園には、時折、氷の騎士様が降臨するようになった。
彼は何も言わずにやってきて、黙々と畑仕事を手伝い、そして静かに帰っていく。
もちろん、この奇妙な交流は、すぐに屋敷中の噂になった。
「あのサイラス様が、なぜアシェル様のもとに?」
「毎日訓練場にしか姿を現さないお方が、畑仕事とは……」
周囲のざわめきが、俺の耳にも届いてくる。
まずい。非常にまずい。俺は目立たず、騒がれず、穏やかに生きたいのだ。
それなのに、この国で今一番注目されている人物と言っても過言ではない男に、なぜかロックオンされてしまっている。
俺が望む穏やかな日常が、少しずつ、しかし確実に脅かされ始めていた。
俺は、家庭菜園で瑞々しく育つトマトを眺めながら、深いため息をつくことしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。