第4話 氷の騎士とのエンカウント
リリアナとアルフォンス王子の関係が良好になったことで、俺の心にはかなりの余裕が生まれていた。スローライフ計画は順調そのもの。このまま平穏な日々が続くものだと、すっかり油断していた。
その男は、そんな気の緩みきった俺の前に現れた。
その日、王都には隣国ガルニアからの使節団が訪れていた。両国の友好を深めるためのもので、夜には王宮で盛大な歓迎パーティーが開かれることになっていた。俺もヴァイス家の長男として、リリアナと共に参加していた。
きらびやかなシャンデリアの下、着飾った貴族たちが談笑している。こういう場所は、元社畜の俺にはどうにも落ち着かない。
当たり障りのない挨拶を繰り返し、早くも疲れを感じていた俺は、少し休憩しようとテラスへ向かうことにした。
その途中だった。粘つくような声が、俺の足を止めた。
「これはこれは、ヴァイス公爵家のご子息、アシェル殿ではないか」
振り返ると、そこにいたのは、いかにもな取り巻きを連れた肥満気味の若い貴族だった。確か、最近成り上がった子爵家の息子だったはずだ。彼は、俺が父の威光を笠に着ているとかで、以前から一方的に突っかかってくる面倒な男だった。
「……ごきげんよう」
関わりたくないオーラを全開にして会釈するが、男はにやにやと嫌な笑みを浮かべて道を塞ぐ。
「まあ、そう邪険になさらず。貴殿は妹君の七光りで王子殿下に取り入っているそうではないか。我々のような実力でのし上がってきた者からすれば、見ていて滑稽でな」
あからさまな侮辱。カチンときたが、ここで騒ぎを起こすのは得策ではない。ヴァイス家の評判に傷がつくし、何より面倒だ。
俺はぐっと怒りをこらえ、冷静に対応しようと口を開いた。
その時だった。
「――そこまでにしておけ」
低く、冷たい、それでいてよく通る声が、その場に響いた。まるで、真冬の澄み切った空気のような声。
俺と子爵家の息子が同時に声の主を振り返ると、そこに一人の騎士が立っていた。
漆黒の騎士服に、銀糸の刺繍。腰に下げた長剣。
そして、すべてを見透かすような、凍てつくほどに冷たいアイスブルーの瞳。
その姿に、俺は息を呑んだ。間違いない。
隣国ガルニアの騎士団長にして、ゲーム『君光』の攻略対象の一人。「氷の騎士」として名高い、サイラス・エインズワースその人だった。
サイラスは、その冷徹な性格から誰にも心を開かない孤高の存在として描かれていた。関わると絶対に面倒なことになるタイプの人間だ。スローライフを目指す俺にとっては、天敵とも言える。
子爵家の息子は、相手が隣国の騎士団長だと気づくと、顔を青ざめさせた。
「こ、これはエインズワース団長! 失礼いたしました!」
慌ててその場を去っていく彼らを見送り、俺は内心で舌打ちした。(最悪だ、一番厄介な奴に絡まれた……)
俺はサイラスに向き直り、貴族として完璧な笑みを浮かべて頭を下げた。
「お助けいただき、感謝いたします、騎士団長殿。私はアシェル・フォン・ヴァイスと申します」
「……」
サイラスは何も言わず、ただじっと俺を見つめている。その氷のような視線に、居心地の悪さを感じた。何か粗相でもしただろうか。
しばらくの沈黙の後、彼は静かに口を開いた。
「なぜ、言い返さなかった」
「……は?」
予想外の質問に、俺は間の抜けた声を上げてしまった。
「彼は、お前と、お前の家を侮辱した。なぜ、その場で叩き伏せなかった」
「いえ、事を荒立てるのもどうかと思いまして。それに、相手のプライドを無闇に傷つけても、遺恨が残るだけですから」
穏便に、波風立てずに済ませる。それが俺の信条だ。面倒事はごめんである。
俺がそう答えると、サイラスの氷の瞳が、ほんのわずかに揺らめいたように見えた。
彼は俺の顔をじっと見つめた後、ふいっと視線をそらし、一言だけ呟いた。
「……なるほど。お前は、そういう男か」
その声には、侮蔑でも怒りでもない、何か別の感情が混じっているように感じられた。
そして彼は、静かな、しかし確かな興味を宿した目を、俺に向けてきたのだ。
その視線に、俺は得体の知れない悪寒を感じた。
スローライフを目指す俺の平穏な日々に、暗雲が立ち込めてきたような、嫌な予感が。
この時俺は、この氷の騎士が、俺の運命を大きく揺るがす存在になることなど、知る由もなかった。
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