涙に消える一つの悲しみ

月日音

涙に消える一つの悲しみ

 二か月前、地球に衝突する隕石を消したのは私の流した涙だったのかもしれない。


 そんな荒唐無稽こうとうむけいなことを愛犬に抱きつきながら私はぼんやりと考えていた。

 というのも、この愛犬は昨晩に亡くなったはずだと私の記憶が告げるのだ。


「わんっ、わんっ!」

 私は昨晩どれほど泣いたか分からないのに、また涙を流した。


 隕石の衝突と愛犬の死、無関係のようで私にとっては共通点があった。

 記憶と現実のずれ、そして私の涙だ。


 二か月前、地球へ衝突すると発表された超巨大隕石は、翌日にはその姿を消した。皆に隕石衝突で騒いだ記憶だけを残し、どこにも隕石は見当たらなくなり、観測されたはずの記録も消えた。

 観測機器の異常による誤報だったとされたが、人類全体が何者かから集団催眠を受けたのではないか、という話まで広まった。


 ――愛犬の死、衝突してくる隕石、どちらも私が涙を流した日の翌朝にその出来事が消えている。


 愛犬が亡くなった昨日に私は泣いて、今朝に亡くなったはずの愛犬に起こされた。そして、隕石が地球へ衝突すると発表された日に私は泣いて、翌朝には誤報だったと伝えられた。


 ――今までどんな時に泣いたっけ。


 大学に落ちた時、両親が離婚した時、学校で嫌がらせを受けた時、私は泣いた覚えがある。そして、翌日には私の泣いた原因が消えていた。

 落ちたというのは勘違いで合格だったし、両親の離婚の原因となった金銭トラブルが消えたし、嫌がらせしてきた奴がいなくなった。


 私は涙を流すことで、泣くことの原因となった何かを消してきたようだ。

 やはり私の涙が地球に落ちてくる隕石を消し去ったのだろう。


 ――どうやら私の涙には世界を救う力があるらしい。


 その日から私は消すべき存在を思い浮かべ、毎日のように泣いた。


 一日に一回、私が最も強い気持ちで泣いたことが一つだけ消えた。

 事故も災害も、戦争や犯罪者だって消えた。


 ある日、私の婚約者が亡くなったのでその死を消した。その日も大きな災害があったけれど遠い国のことなので婚約者の死に比べれば泣けなかった。

 なのに、その婚約者が浮気したので、浮気相手ごと婚約者を消した。


 私は気づけば、上司も仕事も両親も消してしまっていた。


 ――全部、私の涙で消えちゃうせいだ。


 そんなことを思って泣きながら寝た翌朝のことだった。


 愛犬が死に、隕石が現れた。

 どれほど泣いて翌日になっても、愛犬の死も隕石の落下も消えはしなかった。


 超巨大隕石が落ちるのは今日の夕方らしい。


(了)

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涙に消える一つの悲しみ 月日音 @tsukihioto

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