下 願望
第5話 差し迫る「何か」
午前二時。
家の中は、死んだように静まり返っていた。
美咲は、布団の中で耳を澄ませていた。
誰も動いていない。誠の部屋の電気も落ちている。
――今しかない。
右手には、小さなLEDライト。
ドアを静かに開け、廊下に出る。
誠の部屋は、突き当たりにある。
昼間は常に閉ざされていて、誰も入ったことがない。
母ですら、「あの子の空間だから」と言って触れなかった。
足音を殺しながら近づく。
ドアノブにそっと手をかける。
カチャリ。
鍵は――かかっていなかった。
ゆっくりとドアを開ける。
生ぬるい空気が、鼻先を撫でた。
異様な臭い。血と鉄と腐敗が混ざったような、獣臭い匂い。
美咲は一瞬、吐き気を堪えた。
部屋の中は、想像以上に整頓されていた。
机、棚、本――きちんと配置され、埃ひとつ見当たらない。
だが、清潔すぎる空間の中に、不自然なものが混ざっていた。
棚の奥、鍵付きの木箱。
少し扉が開いている。
美咲は震える手で蓋を開けた。
中にあったのは――
真空パックされた肉の塊。
薄くスライスされたものもある。
どれも、赤黒く変色していて、生臭い。
「……何これ……」
見たことのないラベル。
冷蔵庫から持ち出した可能性は低い。
パックには日付が書かれていた。
それは、1年前から今月までの、連続した日付。
1週間ごとに、1パックずつ。
まるで――計画的に保存されていたように。
その時、背後で風が揺れた。
「見ちゃったね」
声が、頭の中で響いた。
だが、それは誠の声ではなかった。
自分自身の声だった。
『見ちゃったね、美咲』
頭の中で、誰かが囁く。
「……誰……?」
答えはない。
『誠は狂ってる。弟を守らなきゃ』
「……そうだね」
美咲は答えていた。
無意識に。
さらに部屋を調べる。
クローゼットを開けた。
中には、衣類の奥に、小さなプラスチックケースがあった。
開けると、中には――小さな指の骨のようなもの。
白く乾き、指輪のようなものが絡まっている。
「うそ……」
それは子供のものか、動物のものか、見分けがつかなかった。
でも、直感が告げていた。
これは、人のものだ。
物音がした。
階段の軋み。
誰かが起きた――
美咲は、パニックになりながらも手にしていた証拠を戻し、足音を殺して廊下に出た。
部屋の扉を閉める。鍵を戻す。
心臓が口から飛び出しそうだった。
「守らなきゃ……悠人を……」
自分でも気づかないうちに、口が勝手に動いていた。
部屋に戻った美咲は、鏡の前に立った。
暗闇の中、自分の顔が映っている。
だが――その目は、自分ではなかった。
鏡の中の自分が、ゆっくりと微笑んだ。
「大丈夫。私が全部やってあげる」
美咲は、その声に抗えなかった。
「守りたい」
その一心が、理性を追い出した。
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