第7話

 ああ、夢の跡……。

 もう、おしまい。

 これで本当に何もかもを失ってしまったわ。


 私は栗男さんの家を出て、都会を後にした。


 郊外の小高い丘の上まで来たときには、もうすっかり夜。


 お空には、赤々とした大きな満月がのぼっていた。


 丘のてっぺんに生えている、木の根元に腰掛けて、遠く街の明かりを眺めた。



 くすん、くすん。


 涙で滲んだそれは、まるでどこか遠い国のお伽話に出てくる、幻の光のようだった。


「私を見ているのは、お月様だけだわ」


 ふと、思い立って、私は服の袖で涙を拭って、立ち上がった。


「お月様。今、あなたのところへ行きます」


 ピョーン、ピョーン。


 私は天才トランポリン少女。

 お月様のところまで、トランポリンで、ピョーン、ピョーン。

 飛んでいくわ。



 ピョーン、ピョーン。

 ピョーン、ピョーン。


 ……はあ、はあ。

 ……だめ。

 ……無理だわ、絶対無理。

 お月様のところまでなんて、絶対届きっこない。


 はああ。

 私は力無く、再び木の根元に座り込んだ。


「にゃーん」


 ふと見ると、一匹の猫が、こちらに近づいてきているのに気づいた。


「あら、猫。まあ、今宵のお月様と同じような、赤い顔。悪魔みたいで不気味ね。尻尾の先がマツタケみたいで、いやらしいわ。あっちへお行き。しっ、しっ」


 追い払おうとすると、猫は少し離れたところまで下がったが、そこで寂しそうな目でこちらを見ていた。


「お前も一人ぼっちなのね。わかったわ、こっちへいらっしゃい」


 猫はおずおずと私のところにやってきて、痩せた体をぎこちなく擦り寄せてきた。


 私は猫を抱き寄せ、優しく背中を撫でてやった。


「悪魔みたいだ、なんて言ってごめんなさい。私、本当は優しい子なの。嫌いにならないで」


 猫は「にゃーん」と答えた。


 赤い光が二人を照らした。

 見上げると、お月様は、さっきよりさんざっぱら大きくなっていた。


「満月って、こんなに大きかったかしら?」


 それは今にも、私を食べてしまいそうなほど、大きかった。

 じっと見上げていると、ある考えが浮かんできた。


「お月様」


 私は月に向かって叫んだ。


「私を食べてしまいなさい」


 叫んだ。


「私を食べなさい、お月様」


 叫んだ。


「私を食べなさい!」


 きっとその言葉に答えてくれたのだろう。


 真っ赤なお月様は、ブヨブヨと膨らんで、私を覆い尽くさんばかりになった。


 ガツ、ガツ、ガツ。

 お月様が私を食べている。

 ガツ、ガツ、ガツ。

 ガツ、ガツ、ガツ。

 月……。


 ああ。

 痛い。

 食べられるのって、痛い。

 痛、痛、痛、痛、痛……!


 お月様が溶けていく。

 真っ赤な血を、ダラダラ滴らせて、溶けていくわ。


 生温かい、真っ赤な血が、私に滴る。

 内臓や、頭蓋骨の中まで、滴っていく。


 ああ!

 熱い!

 熱、熱、熱、熱、熱……!

 まるで体の中を、天の川が流れていくみたい……!


 どうしてこうなるの。

 どうしてこうなるの。

 どうしてこうなるの。

 ………………………。


 にゃーん……。

 …………………。




 ピョーン、ピョーン。

 ピョーン、ピョーン。


 気づいたら、私はお月様の中にいた。


 お月様の中は、真っ白で、とても気持ち良かった。


 私はお月様の中でトランポリンをしていた。


 ピョーン、ピョーン。

 ピョーン、ピョーン。

 ピョーン、ピョーン……。

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天才トランポリン少女 いもたると @warabizenzai

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