しま、飲み会に行く
私は今、人生最大のピンチに陥っている。
目の前には見たこともない料理と知らない人たち。
そして知らないテンション。
周りはがやがやと騒がしく、笑い声とグラスのぶつかる音が絶えない。
私はひたすら笑顔を貼りつけて、頷くだけの置物と化していた。
――数時間前。
金曜日の午後。
やっと授業が終わり、帰って洗濯でもして、YouTubeでも見ながらダラダラするつもりだった。
そんなとき、後ろの席の子が声をかけてきた。
「ねえ松田さん、今日このあと飲み会行かない?一年の交流会ってやつ!」
その瞬間、脳内に警報が鳴った。
行きたくない。
というか、知らない人が大勢いるところに自分を放り込むなんて、ほぼ拷問だ。
本当は「すみません、ちょっと……」って断りたかった。
でも、口が動かなかった。
それに、こういう誘いを断り続けたら、この先ずっと「話しかけにくい人」になってしまう気がして。
だから私は、ほとんど反射的に「うん、行く」と言ってしまっていた。
そして今、居酒屋の片隅で水だけをすすっている。
いずらい。
とにかく、いずらい。
周りの会話はテンポが早すぎてついていけないし、笑うタイミングもわからない。
やたらと話を振られるけど、「あ、そうなんですね」で終わってしまう。
私が話題を転がせるはずもなく、会話のボールはすぐ他の卓へ転がっていく。
そんなとき、授業終わりに私に声をかけた女が声をかけてきた。
明るい茶髪にオシャレな服装。
まさに東京って感じの子だ。
名前も知らない彼女は笑顔で私に話しかける。
「松田さんって青森出身なんだよね? 方言とかあるの?」
「あ、うん。あるけど、あんまり使わないかな……」
「えー、聞きたい!なんか言ってみてよ!」
「……んだの」
彼女とその周りにいた数名が笑った。
「かわいいー!」と笑って、それからスマホを取り出した。
「LINE交換しよ」と言われて、私は慌てて画面を出す。
私の個人情報が電波に乗って拡散されていく様を、私は何も考えられずにぼんやりと眺めていた。
そしてまた周りがまた盛り上がり始め、私はその波に飲み込まれた。
次に意識が戻ったのはアパートに着いたときだった。
もう体力ゲージは空っぽ。
記憶もほとんどない。
とりあえず玄関の明かりをつけると、誰もいない部屋がまた迎えてくる。
靴を脱ぐ気力もなく、私はそのままベッドに倒れ込んだ。
「づがれだ…」
声に出すと、思っていたよりもしんみりして聞こえた。
もう二度と行かない。
私はそう心に誓った。
ベッドで横になり、スマホを顔の横に置いて目を閉じる。
そのとき、通知音が鳴った。
画面を見ると、さっきの彼女かららしいメッセージ。
私はそのときはじめて、あの女性が"谷原"という名前であることを知った。
《今日は来てくれてありがとう☺️また話そうね!》
そして、くまのキャラクターが手を振っている可愛いスタンプ。
私は思わず、ふっと笑ってしまった。
――まあ、ちょっとだけ悪くなかったか。
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