しま、散歩する
休みの日。
朝起きて、天井を見つめながら思った。やることがない。
いや、正確にはある。
課題もたくさん出ていたし、まだ家具もぜんぜん足りていない。
カーテンがなくて夜、電気をつけるのもしのばれるし、
本棚代わりにしてる段ボールはそろそろ限界で重さに耐えられず、幾何学的な形をしていた。
だけど、やることが多すぎるとやる気がなくなるという、人間のよく分からない習性がちゃんと私にも備わっていた。
布団の中で30分くらいだらだらとスマホをいじってから、一念発起して起き上がる。
ため息をついて、適当にパーカーを羽織り、スマホと財布だけ持って家を出た。
散歩というより現実逃避。
東京の空気は休日でも人だらけで、駅に向かう人、カフェに入る人、犬を連れて歩く人、謎に走っている人。
どこに行っても誰かがいて、私がどこにいようと世界は普通にざわざわしている。
大通りを避けて細い路地に入ってみても、誰かの生活音や話し声が聞こえてくる。
洗濯物を干す主婦、子どもをつれたおじさん、自転車で駆け抜ける若者。
人の気配が完全に消えることはなかった。
建物は高く、道は狭く、空は細く切り取られている。
歩きながら、ふと地元のことを思い出した。
家の裏にあるあぜ道。
田んぼの間をゆっくり縫うように伸びていて、どこまでも続いていきそうな平らな世界。
遠くの山も、風で揺れる草も、全部見渡せて、周りには誰もいなかった。
でもその誰もいない感じが、なぜか安心できた気がする。
家に帰れば家族がいて、そこには少し手を伸ばすだけで届く。そんな静けさ。
今の自分にはその静けさが一粒も落ちていない気がした。
横断歩道で立ち止まって、ポケットからスマホを取り出す。
ロックを解除してアルバムを開くと指が勝手にスクロールして、ある一枚で止まる。
実家で飼っている黒柴のハヤテ。
つぶらな目と、ちょっとへの字の口と、全体的に雑な毛並み。
THE・田舎の犬。
こいつは都会の犬が着るようなオシャレな服とは無縁の人生を送っている。
「ハヤテ、元気かな」
言葉にすると、ちょっとだけ胸の奥が緩んだ。
東京に来る前日、荷物をまとめてる私の横にぺたっと座り込んで、なんとなく空気を読んだような顔をしていた。
あれはたぶん気のせいだけど。
気づけばだいぶ歩いていて、見たことのない公園にたどり着いた。
ベンチに座って伸びをする。
春の風は都会の匂いがして、土のにおいはほとんどしなかった。
遊具で遊ぶ子どもの声と、遠くを通る車の音と、工事現場のドリルみたいな音が、途切れなく耳に入ってくる。
そのままぼんやり空を見上げていたら、いつの間にか夕方になっていた。
時間を確認すると18時半。
空はまだ少し明るかったけど、街灯と看板と建物の窓の明かりが先に夜を始めている。
眠らない街・東京。
ここでは夜のほうが人が多くなるんじゃないかとすら思う。
もう少し歩いてみようと思って立ち上がって、ビルとビルの隙間から夜空を除く。
やっぱり星は見えなかった。
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