第12話 農業って何?

 山の麓に僕の家はできあがった。

 小さい家だけど、僕の……僕だけの家。


「みゃーん!」

 口に出していないのに、僕の思考を読んだのか、黒猫から抗議が上がる。

 ごめんよ……僕とバエルの家だった。

 とにかく、邪魔される者のいない家。それだけで心が温かくなる気がする。

  

 しかし、一方で僕の目の前には手付かずの荒れ地が広がっている。生きていくためには、食料を自分で確保する必要がある。つまり、畑を作らなければならない。


 翌日、僕は村で借りてきた一本の鍬を手に、家の前の土地で途方に暮れていた。

 土を耕す。言葉で言うのは簡単だが、具体的にどうすればいいのか、僕には全く見当もつかなかった。貴族の教育に、農作業の項目などあるはずもない。


「……ええと、こう、かな?」


 僕は見様見真似で鍬を握りしめ、力任せに地面へと振り下ろした。

 ガツッ、と硬い音がして、手には鈍い衝撃が走る。鍬の刃は土の表面をわずかに削っただけで、僕の体はバランスを崩してよろめいた。


(全く、様にならないわね。見ていてこっちが恥ずかしくなるわ)

 近くの木の切り株の上で丸くなっていた黒猫。バエルから、辛辣な念話が飛んでくる。


「うるさいな……! やったことがないんだから、仕方ないだろう!」

 僕が声に出さずに悪態をついていると、背後から明るい声がかかった。


「エランさーん! 何してるのー?」


 振り返ると、そこには籠を片手にしたミラが立っていた。彼女は僕のぎこちない姿と、ほとんど手付かずの荒れ地を見ると、合点がいったというようにこくりと頷いた。


「もう、やっぱり! 畑仕事なんて、やったことないんでしょう?」

 ミラは呆れたような、それでいてどこか嬉しそうな顔で僕に近づくと、僕の手からひょいと鍬を取り上げた。


「だめだめ、そんな持ち方じゃ! いい、見てて。腰をこう、しっかり落として、腕の力じゃなくて体全体で振り下ろすの!」


 そう言うと、彼女は軽やかな、しかし無駄のない動きで鍬を振るった。ザクッ、という心地よい音と共に、土が柔らかく掘り起こされていく。その手際の良さは、僕の無様な挑戦とは雲泥の差だった。


「さあ、やってみて!」

 自信満々に鍬を返され、僕は少しだけ気後れした。だが、僕の頭の中には、既に膨大な知識が眠っている。

 与えてくれたのは地獄の大侯爵、序列四番目の悪魔ガミジン。

 必要なのは、それを引き出すきっかけだけだった。


 僕はミラの教えを思い出しながら、ゆっくりと鍬を構えた。一度、彼女のフォームを脳内で再現する。すると、僕の体は自然と最適な重心移動を行い、まるで何十年もそうしてきたかのように、滑らかに鍬を大地へと振り下ろした。


 ザクッ、ザクッ、ザクッ――。


 僕が振るう鍬は、面白いように土を掘り起こしていく。リズム、深さ、角度、その全てが完璧だった。


「え……?」


 隣で見ていたミラが、ぽかんと口を開けている。


「う、上手……! すごいじゃない、エランさん! 一度教えただけなのに!」

「……やってみたら、意外とできたみたいだ」


 僕はしれっと答えたが、内心ではガミジンの力に改めて驚嘆していた。

 ミラは目をきらきらと輝かせ、今度は種が入った袋を僕に見せた。

「次は種まきね! 畝を作って、そこに……」


 彼女が説明を始めようとした時、僕は自分の口から、意図しない言葉が滑り出るのを感じた。

「ああ、この土地は少し粘土質だから、畝はもう少し深く掘って、水はけを良くした方がいいかもしれないね。それと、この種の野菜なら、日当たりの良いあちら側に植えた方が、甘く育つと思う」


「…………え?」


 ミラの動きが、ぴたりと止まった。彼女は、僕と種袋とを交互に見比べ、完全に混乱している。


「な、なんでそんなこと知ってるの……? 本で読んだとか……?」

「うん、まあ、そんなところだよ」


 僕は曖昧に笑って誤魔化した。まずい、ガミジンの知識が思考を介さずに溢れ出てしまった。

 その後も、僕はミラの助けを借りるまでもなく、まるで熟練の農夫のように黙々と作業を続けた。昼過ぎには、昨日まで荒れ地だった場所が、見事な畝が並ぶ美しい畑へと姿を変えていた。


「……すごい」

 やり遂げた僕の顔を見て、ミラは心からの感嘆の声を漏らした。


「家を一日で建てちゃうし、畑仕事も完璧だし……エランさんって、本当に不思議な人ね」


 彼女の瞳に宿るのは、疑いではなかった。それは、未知の存在に対する、純粋な好奇心と、かすかな憧れ。

 僕の正体は誰にも明かせない。だが、この少女が僕に向けてくれる真っ直ぐな好意は、僕の凍てついた心に、小さな温かい灯火をともしてくれるようだった。


 こうして、僕の「不思議な人」認定は、村で噂になりつつあったのだけど、僕はまだ気が付いていなかった。

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ゴエティアと七十二柱の悪魔 ~偽りの魔術師は辺境スローライフを楽しむのか?~ くろねこ教授 @watari9999

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