第4話

 果たしてその夜、美奈子のダークゾーンは源にあてがわれた個室に現れた。

「ごめんなさい、お父さん。大変な目にあっちゃったわね」

 部屋には監視カメラがあるはずだが、誰もやってこない。

 このまま普通に二人の会話を観察した方が、何か掴めると判断したのだろう。

「お前の方はどうなんだ? こう言っちゃなんだが、元気なのか?」

 闇が笑う。

「ええ、元気よ。そろそろあの人たちの用が終わるから顔を出したの」

「あの人たち……というのは、あのスターマイトたちのこと、か?」

「お父さんたちがスターマイトと呼んでいるものは、あの人たちの一部なの。恒星間天体の〈エウリュディケ〉も、その中の空間もすべてあの人たちそのものだし、その一部に過ぎないとも言えるわ」

 源はベッドに身を投げた。

「わけが分からんな。そもそもその『あの人たち』はお前に何をしたんだ。何の用で地球に来た?」

 この段になって気楽に口にした、究極の問いだった。

「私が月で遭った事故が、たまたまあの人たちの量子の目に引っかかったのね。目というのもあくまで例えだけど。それであの人たちはいつものように、いつものことをするためにやって来たの」

「いつものこと、とは?」

「私を食べに来たの」

 源は起き上がって娘と向き直った。

「やっぱり驚くわよね。でも、お父さんが考えているような意味ではないの。本当に私たちの言葉って不自由……こんなに伝えたいことが伝わりにくいんだから」

「でも……聞きたいな。意味を理解するのは後からでもできるだろう。多分」

「そうね」

 闇が座り直すように少し身じろぎした。

「誤解を恐れずに言うと、あの人たちは〈情報〉を食べているの。人間はあの人たちにとって、〈情報〉の一つの形なのよ」

「〈情報〉というのは……遺伝子情報のことか?」

 闇がかすかに身じろぎした。否定のジェスチャーらしい。

「違うわ。量子レベルの情報。ブラックホールに入った物質の情報が事象の境界面に記録されるっていうホログラフィック原理なんかで扱われる〈情報〉よ」

 だとしたら問題はかなり複雑になる。

 量子レベルの〈情報〉であるなら、そこには時間を超越した全ての状態の変遷についての履歴も含まれる可能性がある。そんなものをどうやって食べるというのか。

「その……〈情報〉を食べて、あのスターマイトは生きているのか?」

「それも違うわね。やっぱり言葉では説明しきれないわ。あの人たちは〈情報〉を食べることで、それを別の位相に昇華して自由にしてくれているの。そうすることであの人たちにどんなメリットがあるのかわからない。多分、自分たちの〈情報〉としての位相を増やしていっているのだと思う」

 源は娘の言うことをほとんど理解できないまま、とにかく思いつく疑問を口にした。

「では、あの洞窟の中にいる美奈子は何なんだ?」

「あれも私の〈情報〉としての一つの位相。あの人たちが食べ終わればただの影になってやがて消えてしまう」

「じゃあ……今、目の前にいる影のようなお前も〈情報〉の位相の一つということか? なぜ別々に存在しているんだ?」

「これも大雑把な例えなんだけど、あっちの私はプログラム本体のソースコードみたいなものなの。そして、こっちの私はそのプログラムの振る舞いを決めるデータ、と言えるわね。別々にあっても不自然じゃないでしょう? でも、どういうわけかこっちの私は〈情報〉としての履歴が長く存在した場所に帰って来た。お父さんのそばに、ね」

「それで、あいつらは困らないのか。データが勝手にこんなところに来て、手元になくても」

「あの人たちにとって、三次元空間の位置情報なんか意味がないの。私もだいぶ昇華が進んだからもう時間や空間に縛られなくなってきたみたい。正直、こうしてお父さんと話しているのも辛いわ。なんていうか……とても長い糸電話で、限られた言葉でしか話せないような……不自由な状態なのよ」

 源は、娘がもうとてつもなく遠い存在になっていることを実感した。

「もっと自由になれるのに、お父さんたちにはその自由を手に入れる術がない。生と死という限られた位相の狭間で、人をどちらか一方の状態であるとしか認識できない。でもね〈情報〉は位相が変わるだけで消えはしないのよ。この宇宙の全ての〈情報〉は増えもしなければ減りもしない。はじめから決まった量しかないんだから」

 つまり、美奈子の死は一つの位相の変化に過ぎない。

 それは源にとって、理屈ではわかっても納得しかねることだった。

「お前は〈情報〉として宇宙のどこかで存在し続けるわけだ」

「どこかでじゃないわ。いつもお父さんのそばにもいるのよ。それが見えないだけ」

「だがな……やっぱり、俺にはそんな捉え方はできないよ。不自由な人間の、生と死という観念の中でしか美奈子のことを考えられない。この世界のほとんどの人間がそうだろう。生と死は厳然として生と死なんだ。俺はそこで、自分の中の欠落は欠落として。空漠は空幕として、抱えたながら生きていきたい」

 美奈子の闇からかすかな笑い声が聞こえた。

「わかるわ。お父さんが大切にしたいものもよくわかる。その気持ちは否定しない」


 不意にダークゾーンが消えた。

「美奈子?」と呼びかけたが返事はない。

 源の娘は今度こそいなくなった。


 オルフェウスが洞窟に入ってゆく。

 輸送ドローン〈オルフェ2〉は恐るべき力を孕んだ荷を抱えて〈エウリュディケ〉の奥へと進んでいった。

 〈エウリュディケ〉を構成する物質は全く未知の物質だったが、既知の鉱物として頑丈な部類であるという仮定の元、五〇キロトンの核爆弾で破壊可能であろうという結論に至っていた。

 源はNASAの管制室で爆破のカウントダウンを見つめながら、何の感情も浮かんでこない心中の軽さに少し驚いていた。


 国際社会は〈エウリュディケ〉の破壊を決定した。

 源と美奈子の最後の会話は余すところなく完全に公開され、誰もが内容を知ることができた。

 ごく一部の知識層はさらなる徹底的な観測と研究の続行を主張したが、それ以外の人々に湧き起こった恐怖の感情を抑え切ることはできなかった。

 エイリアンに食べられる、という恐怖を。

 

 なぜ美奈子はあんな言葉を選んだのか。

 もっと他に人々の恐怖を煽らずに済む言葉もあったのではないか。はじめは源もそう思ったが、やがてこういう結果を望んでのことだったのではないかと考えるようになった。

 理解を超越した異星生物による混沌よりも、つかの間の安心の方が必要だと判断したのではないか、と。

 そして何より、源自身が〈エウリュディケ〉の破壊を承諾したことが世論を大きく動かした。人々は、エイリアンの魔手から娘を解放することが彼の望みであると思ったのだ。

 とにかく、これで源は美奈子を完全に失うことになる。生き死にの間でどっちつかずの状態にけりがつく。

 

 亡き妻、エウリュディケを黄泉から連れ帰ろうとして失敗したオルフェウス。

 禁じられた妻の顔を見るという望みを抑えきれなかった彼は、振り向いてよかったのだ。恐らく、その望みを我慢できる者はいないだろう。

 エウリュディケの洞窟から死者を連れ帰れる者はいないのだ。


「あと十秒です」

 付き添いの遠山が声をかけてきた。

 やがて〈オルフェ2〉ともども五〇キロトン核爆弾は炸裂した。

 だが、源は見た。

 爆発の一瞬前に〈エウリュディケ〉は自ら青い閃光を放ち、その光に飲み込まれるようにして宇宙空間から消え去ったのを。

 後には爆弾だけが残され、ゴーグル越しにささやかな閃光を放って散った。

 すわ、失敗かという空気が管制室に広がりかけたが、あとには〈エウリュディケ〉も何も残っていなかった。

 とにかく目的は達成された。その事実が浸透するに連れ、まばらで弱々しい拍手が管制室のあちこちから湧き起こり、ようやく人々に安心感をもたらした。

 だが、源にはこれですべて終わったとは思えなかった。

 美奈子が言っていた「あの人たち」は、また地球へやってくるだろう。次の瞬間にはもう、無数の〈エウリュディケ〉が地球の衛星軌道に現れても驚かない。

 地球人類はすべて捕食され、新たな量子の地平へ旅立つことになるかもしれない。

 だが、美奈子についてはもう終わった。あの娘はもういない。つかの間でもそのことをはっきりと感じられることが、源にとっては救いだった。

 自分が「あの人たち」と出会うまでは……。

 

「ミスター・ミナモト、感謝します。あなたの英断によって人類は救われたのです」

 差し出されたマコーミックの手を、源は微笑みながら握り返して言った。

 

「よかったです。これで私の心にもちゃんと穴が開きました」


 完

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エウリュディケの穴 沙月Q @Satsuki_Q

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