後編:彼のフォロワー

「ここですか。怪異に襲われた、あるいは散策したのは具体的にどの辺りですか?」

 事前に聞いておいた場所。

 そこは街の一角で忘れ去られ、時の止まったような、最早説明の必要もないほど、ごくありふれた四、五階建ての廃ビルであった。


「ええと、一階から順に回って……三階、かな? に着いてすぐの部屋を出たところで、あの子が急に『寒い、寒い』って凍え始めて……冗談だと笑ってた皆もやばいって気づいてすぐ引き返したんですけど、それから一週間は家で寝たきりです。お医者さんに見せても、原因不明だって」

 思わず、ぎゅっと、ジャージのズボンを握りしめる。

 いざという時に備えて動きやすい格好に着替えて来い、との指示に従い、一度家に帰って着替えてきたのだ。


「それにしても、よく私の店を見つけましたね」

「学校で噂になってたんです。原因不明のこういう怪異には、専門家がいるって」

「あまり、面白半分で広めないでもらいたいんですが……ひとりで尋ねてきた勇気は認めます。では、入口の前で待っていてください。その中には簡素ですが『お守り』も入っているので、安全なはずです」

 せっかく纏めた荷物を少女に投げ渡し、男はさっさと入っていこうとする。


「えっ、せっかく着替えたのに……」

「プロが依頼人を危険に晒すわけがないでしょう。本当にいざ、という時の準備です。それに――用意した道具でははらえそうにない。ちょっと荒っぽくなります。三十分ほど経って戻らなかったら、私のスマホから同業者に電話してください」

 スマホの画面でこれです、と番号を示し、押しつけるように手渡す。

 少女をひとりその場に残し、ギイ……と錆びついたドアの向こうに消えるのだった。


 ◆


「思ったより怪異の残穢ざんえが濃ゆいですね。正式に上から依頼が来る手前、と言ったところでしょうか。このタイミングで対処できたのは、運がいいのやら、悪いのやら。自業自得とは言え、彼女たちにとっては不運としか言いようがありませんが」


 三階を目指し、呪いの痕跡をたどっていく。

 道に迷う心配もないくらい、はっきりと痕跡が残っている。

 いや、痕跡という表現は正しくないのかもしれない。

 どちらかと言えば、『へその緒』のように繋がり、現在進行形で被害者の少女をむしばみ続けているのだから。

 そんなことを考えながら、壁の石膏せっこうが剥き出しになった部屋へと、たじろぎも、恐れることもなく踏み込む。


「真夏だと言うのに、少し、冷えますね」


 一歩踏み入れた瞬間、冷房を効かせ過ぎた部屋のような悪寒が、トドオカの背筋を撫でた。

 彼は慣れているので、びくりとも反応しなかったが。

 ガサゴソと天井にうごめくものを、室温にも負けない冷たい目で睨みつける。

 サソリとタランチュラが合わさったような、巨大なバケモノ――否、ゲテモノ。

 その時点でどう見ても普通の昆虫ではないのだが、極めつけに、人語のようなものを発した。


「じじ、女子高生って、ばばば、バカな生き物で、でで、すよネ……」


 怪異の発する言葉に、意味はないと言い切ってよい。

 下手に言葉を交わすのは却って危険なのだが、トドオカは敢えて言い返した。


「――あなたよりはマシだと思いますよ。あの子はたしかに、年相応に未熟な面もありましたが、友達思いで、勇気もあります」

「あ、ああ、足手まとい、なのニ……?」

 トドオカが、ばっと振り返る。

 怪異の言葉に感化されたわけではない、自分以外の『人の気配』を感じたからだ。

 部屋の入口に女子高生が立ちすくんでいた。


「どうしてついてきたんですか!」

「だって……私にも、手伝えることがあるかもって……」

「ちっ――」

 怪異が口から冷気の吐息を放つ、トドオカではなく、少女に向かって。

 彼は彼女を庇うように、間に割り込んだ。


「トドオカさん! そんな、私のせいで……!」

 少女は荷物を両手で抱えたまま、へなへなと座りこんでしまう。

「どど、どんな気持チ……? きき、君のせいだヨ……?」

 ゲテモノ怪異は、表情こそうかがえないが、彼女を嘲笑あざわらっている。

「どうしよう、どうしよう……私が余計なことしなければ……」

 怪異は心の隙間につけ込む。

 次は彼女を呪ってやろうと、氷のトゲをぷっと吐き出す。

 その時だった――。


「こいつの言うことに、耳を貸すな!」


 力強い声とともに荷物に入っていた『お守り』の効果で、トゲが弾かれた。

 冷気の霧が晴れて、と言うか、ものすごい速度で蒸発していく。

 炎が揺らめいている、温かいなんて生易しいものじゃなくて――熱い。


「トドオカさんが……『』してる!」


 頭に〈燃えるさかずき〉を乗せた魔人を筆頭に、彼を取り囲む者たちが、あろうことか次々と火を点けている。

 たしかに、冷気は凌げそうだが……異常な光景であった。


「〈炎上結界〉――私が第三者に攻撃されると、『彼ら』が私に火を点けることで防壁を展開します。私は炎に耐性があるので、結果的に防壁になっているだけですが。あなたが触れると火傷やけどするので、近づかないでくださいね」


 へたり込んだまま、少女がこくこくと頷く。

「これって、『伏黒恵の式神』とか『ジョジョ』の『スタンド能力』みたいなもの……ですか?」

「はあ、そんな格好いいもんなら、よかったんですけど。彼らは敢えて言い表すなら『生き霊』――私の〈フォロワー〉です。あの、ニート先生。そろそろ、炎を弱めてもらえませんか?」


 ニト、と聞いて少女の脳裏に、ニトクリスという単語が連想された。

 第六王朝末期エジプトを統治したとされるファラオの女王。

 彼女の兄弟を謀殺した者を宴に招き、泥酔させてからナイル川の水を飲ませて溺死させたという豪傑ごうけつ

 炎はアヌビス神としての冥府の炎、または彼女がその後、練炭で自ら命を断った逸話に由来する能力だろうか。


「あっ、後ろ……!」

 話のあいだに、ゲテモノ怪異がサソリの尾を突き立てようとした、が。

 ばつん、と噛み切られた。

「ぴのこさん、それは美味しくありませんよ。本人はグルメなんですけど、『生き霊』のほうはなぜか悪食あくじきなんですよね」

 ピノコ、とは、まさかアスクレピオスの略称だろうか。

 言わずと知れた医術の神である。

 蛇の巻き付いた杖、と聞けば、誰もが思いつくだろう。


「さて、私の〈フォロワー〉が『冷笑』を倒してしまう前に、片を付けないといけませんね――ぴのこさん、〈針〉をください」


「やっぱり、アスクレピオスだったんだ……!」

 トドオカの手に、医学の神が手術用の針を渡す。

 まあ、その形状は針というより『』にしか見えないが、柄から糸が伸びているので、おそらく手術針だろう。


「――『縫い付け針(NiTukebaRi)』」


 サソリのはさみを易々と躱しつつ、目にも止まらぬ早業で怪異をはりつけにした。

「倒した……んですか?」

「いえ、『とどめおいただけ』です」

「あれだけの力があって……倒さないんですか?」

 彼の行動の意味が理解できずに、少女は困惑している。


「呪力は抑え込みましたから、被害者のお友達はもう夏風邪と変わりません。安静にしていれば、元気になりますよ」

「えっ、でも倒しちゃえば、すぐ治るんじゃ……」

 あのですね、とトドオカは語る。

「こいつは悪い怪異です。が、あなたたちが無暗に『肝試し』なんてしなければ、たたられることもなかったんですよ。私はあなたにも非があると思います」

「……すみませんでした」


「それに悪だからという理由だけで退治はしません。私はトドオカ――『留めおく者』、相手を理解しようとせず、一方的に打ち倒すのは、良しとしない。かと言って、存在も容認しない。ゆえに『留めておく』。まだ懲りずに害を為すというのなら、同業者に退治されるでしょう。反省して成仏するなら、それに越したことはありません」

 普通の怪異は自然消滅しないらしいが、縫い付けるのに使った針と糸には、浄化作用があるのだとか。


「助けてもらっておいて、こう言うのもあれですけど、手抜きじゃないんですか?」

「違います。あなたの依頼だって、ご学友を助けたかっただけで、怪異の退治が本懐ほんかいではなかったはずです。報酬分の仕事はしました――」

 有無を言わせぬ迫力で、彼はこう締め括るのだった。


「――最後まで、キッチリとね」


 あなたがもし怪異に困っているなら、その店を尋ねるといい。

 望んだ答えが返ってくるとは限らない、むしろ正論でとがめられる可能性が高いが……。

 もしかしたら、あなたも〈フォロワー〉の一員になっているかもしれない。


「あまり、面白半分で広めないでほしいんですが」


 後日談。というか、今回のオチ。

 女子大生となっていた彼女は、不運にも世にありふれた詐欺のひとつに騙され、遊びどころか、日々を暮らすお金にも苦心していた。

 そんな、とある日。

 自身の口座に大金が振り込まれており、また新手の詐欺かと仰天したが、同時に届いた手紙を見て、思わず微笑んだという。


『依頼人を危険に晒してしまったため、お詫びとして全額お返しします』

「限定ガチャ……引かなくてよかった、かも?」


(後編・了、おわり)


※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、アカウントとは関係ありません。

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トドオカさんは怪異を退治しない 菅田江にるえ @nirue_sudae

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