トドオカさんは怪異を退治しない

菅田江にるえ

前編:留めおく者

「ええ、本当にこんなところに人が住んでるの……?」

 大都市の雑居ビルの合間、という名の天然の迷路――はたまた人工の迷路に、およそ似つかわしくない制服を着た女子高生が革靴の足音を響かせる。

「お、終わる……今度こそ、私の人生ここで終わる……」


 角を曲がった先に暴漢がいた瞬間に即終了。

 やばい薬物の取り引きでも目撃したら即終了。

 その足取りは恐る恐る、しかし、確実に前へと進んでいく。

 彼女に引き返すという選択肢だけはなかった。

 こんな危険な場所に来たのは、それ相応の理由がある。


「あれ……か? 店名……は『質・門・匣』? なんて読むんだろう」


『ご相談はこちら』


 それらしき看板――主張のとぼしい、を見つけ、道を間違えてなかったことにまずは胸を撫で下ろす。

「すみませーん、このお店で合ってます? 怪異退治の専門家って聞いたんですけど」


「――それは周りが勝手に言ってるだけですね」


 雑然と物が並んだ店の奥の暗がりから、店主らしき男性の声が返ってきたことに、再び安堵した。

 口調からして、歓迎はされていないようだが。


「あ、あの!」

「はあ……非常識ですね」

「まだ何も言ってないんですけど!」

 大きめの嘆息を吐かれたので、思わず大声でツッコんでしまう。


「その服装です」

「学校指定の制服ですけど?」

 多少スカートの裾を詰めたくらいで、ほぼ無改造である。生活指導の教諭にだって注意されたことはないのが、彼女のささやかな自慢だ。


「はあ、こんな場所に制服を着てくるのが、非常識だと言ってるんです」

 いいですか、と怒涛どとうの理詰めが展開された。

 長いので割愛するが「まず女子だと――せめて女子高生だとわかる格好は避けるべきです」と言った内容であった。


「で、でも、大丈夫でしたよ……!」

「それは開いたワニの口に手を突っ込んで、たまたま閉じなかったから安全と言っているようなものです。二度とそんな服装で来ないでください」

「なにをお……頼まれても二度と来ませんけど!」

 なお普段の彼女は店員にも、丁寧に対応することを心掛けている。

 突き放すような言い方に、かっとなってしまったのだ。


「それで、ご用件は? はあ、前置きが長くなってしまった。ジャンプでも前置きが長い新連載は読者の確保に苦労するんです。必ずしも悪いとは限りませんが」


 八割ほどあなたのせいでね、と叫びたい気持ちは胸に仕舞った。

 口論してる場合ではないのは、こちらも同じだからだ。

「その、友達が……怪異の被害に遭って……」

「被害状況は、なるべく詳細に、ありのまま起きたことを報告してください。いくら怪異が危険な存在だからと言って、訳もなく善良な市民にあちら側から手を出したりはしません。あなたが本当に――善良な市民なら、ですが」


「……っ! き、『肝試し』に、廃墟に探検しに行っただけです! なんでそこまで言われないといけないんですか!」


「まず、住居侵入罪で立派な犯罪行為です。正当な理由なく他者の保有する建造物に入った場合、3万円以下の罰金もしくは10年以下の懲役となります。グレーゾーンなので、実際に法が適用されることは稀ですが、写真のひとつでも上げれば社会的責任の追及は免れません――いまどきの若者風に言うと、『炎上』します」

「うっ……そ、それは」


「ふたつ目に、単純に危険です。こういった建物はロクに整備もされておらず、倒壊の恐れがあります。勝手に建物に入られて、あげく勝手に怪我をされてはいい迷惑でしょう。もっと常識的に物事を考えてみてください」

「……はい、すみませんでした」

 彼女に非があるのは重々わかったので、言い返すことはできなかった。


「みっつ目に――」

「まだあるんですか……っ!」

 男が暗がりから姿を現す。その容姿は中肉中背、良くも悪くも普通。

 特段うさんくさいわけでもないが、アニメや漫画に出てくる怪異退治の専門家には見えなかった。せめて、アロハシャツとか着ててくれればいいのに。


「廃墟は反社会的勢力――マフィア、ギャング、日本風に言うとヤクザですね、の取り引きに使われることも多々あります。それらにうっかり鉢合わせてしまうとどうなるか。わざわざ言わなくても、おわかりかと思いますが」

 ごくり、と生唾を飲み込む。

 この裏路地を通る時に、嫌な想像は散々してきた。

 なんで、あの時は考えることができなかったんだろう――。


「お願いします! 友達を助けてください! 調子に乗って、廃墟探索とかしちゃうけど、根は悪い奴じゃないんです! もう二度とこんなことしません! 今度言い出したら絶対に私が止めます! だから!」


 気がつくと、頭を下げていた。

 男を完全に信用しきったわけではないが、理路整然と諭すような説教には、不思議な説得力――カリスマのようなものが感じられる。

「あなたは、あなたのご学友はその廃墟で、ヤクザより恐ろしいものに出くわしてしまった……ですよね? 症状をお聞かせください」

「じゃあ、助けてくれるんですか!」

 ぱあっと明るい顔を上げる彼女に、男はあくまで淡々と、粛々と、平然と、毅然とした態度でこう言った。


「――もちろん、料金はもらいます。あなたのお年玉貯金が空になっても足りない程度の額です。分割払いでも構いませんが、その代わり、バイトしてでも払ってください」

「へっ……お金取るんですか!」

 冗談や脅しではなく、このくらいです、とスマホの計算機を表示される。

 なんというか、具体的な金額は伏せるが、普通にバイトをして遊ぶのを我慢すればぎりぎり払えなくもない妙にリアルな数字であった。


「無償の行動に責任は伴いませんから、少年漫画のヒーローじゃあるまいし。むしろいまどきジャンプでも少ないですよ、『ヒロアカ』でも事務所があります」

「こ、こういうのって……怪異の遺体? 遺物? 自体が報酬とか……『呪術廻戦』での『宿儺すくなの指』みたいな」

「ないですね。ちなみに怪異に個人的な恨みもないので『鬼滅の刃』でもないですし、個人的にモテたいわけでもないので『チェンソーマン』でもないです」

「ないんだ……終わった、私の推し……」

 バイトはともかく、推しのピックアップガチャは泣く泣く諦めるほかないと、がくっと膝をつくのであった。

 閑話休題。


「――なるほど、症状を聞く限り、その怪異は『』ですね」


「霊障……?」

「霊障ではなく『冷笑』の怪異です。全身が凍えるように冷えて、真夏にも毛布を被っている。肝試しという行為。ほかにも候補はいるので備えは怠りませんが。比較的最近の、という観点から見ても、第一候補に据えていいでしょう」

 客に背を向け、がさごそと棚を漁り、荷物を纏めている。


「じゃなくて、あのインターネットの『冷笑』ですか! 伝統的な奴じゃなくて?」


 冷笑――使われる意味が広くなりつつあるけど、ざっくり言えば、他人の努力やそれこそ推し活なども含めて、嘲笑うこと。

 肝試しも、幽霊を小バカにしていると捉えられなくもないが。


「伝統的な奴が暴れてたらもっと大事になってます。それに最近の怪異だからと言って、あまり舐めないほうがいい。小学生でも使っている単語ですよ」

 そもそもの経緯を語ってくれた。

 相変わらず、背を向けながらだが。


「怪異とは――妖怪伝承まで遡れば、土地神信仰や噂話から広まったものが多い。現代の傀異がインターネットから生まれるのは、必定の流れでしょう」


「た、たしかに……?」

 納得できるような、できないような。

「それと、いまのうちに訂正しておきますが、私は怪異『退治』はしません。繰り返しになりますが、あれは周りが勝手に言ってるだけです」

「ちょっと! お金取るんですから、仕事はしてくださいよ!」

 推し活を諦めているのだ、そこは突っ込ませてもらう。

 しかも限定ガチャである。

 次に復刻する頃には、彼女は女子高生ではなく、女子大生になっているだろう。


「あの――っ!」

 荷物を纏め終えたかと思えば、どこかに電話をかけ始めたため、静かに待つ。

「さあ、今から向かいます。関係各所に許可は取りました。事後承諾に近いですが、早く対処しないと、命に障る」

「ええっ、今からですか? っていうか、退治してくれるんですね?」

 隣を素通りされかけたので、慌ててあとをついていく。

「留めおく者」

「は?」

 いったん足を止め、おもむろに呟いた。


「ですから、とどめおく者――『』と呼ばれています」


(前編・了、つづく)

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