第8話 嫉妬する彼女

――――【ゆき目線】


 哪吒くんは本当にいい人だ。


 彼とは家がご近所で、物心つく前から一緒に過ごしてた。


 何をするのも二人一緒。


 はっきり言って、私はその頃からなたくんと結婚するんだろうなぁ、って意識してた。


 哪吒くんといつもしていたお飯事ままごとではいつも私たちは夫婦だった。


『おかえり、哪吒くん』

『ただいま、ゆき』

『ごはんにする? おふろにする? それとも……』


 ちょっと哪吒くんを揶揄からかうつもりでスカートを捲りながら言ってみたんだけど、彼は……。


『哪吒くんはないよ。そこは名前で呼び合わないと』

『そう? 旦那さんになってもくん付けの家庭はあるよ』


 スルーされて拍子抜けしてしまった……。


『ゆきん家はそうなの?』

『違うけど』

『だったら哪吒って呼んでみて』


 うちはパパ、ママって呼び合ってるから、と言い掛けたけど思い止まる。


『な、哪吒』


 呼び捨てすると顔から火が吹き出そうなくらい恥ずかしい。私の顔はきっと熟れたトマトのように真っ赤だっただろう。


『どうしたの? ゆき』

『な、なんでもないよぉ!』


 心配そうに私の顔を覗いてくる哪吒くんから視線を背けていると、こちらに小さな女の子がたどたどしい足取りで向かってきた。


 哪吒くんは彼女に手を大きく振る。


『おーい、雛子!』

『お兄ちゃん!』


 雛子ちゃんは何の躊躇ちゅうちょもなく哪吒くんの胸に飛び込んだ。


 いつか雛子ちゃんのように哪吒くんへ……。


 そんな妄想に浸っていると、哪吒くんから離れた雛子ちゃんが私を無垢な目で不思議そうに見ていた。


『ゆきちゃん、こんにちは』

『こんにちは、雛子ちゃん』


 私が雛子ちゃんの視線に気づくと互いに挨拶を交わす。


 哪吒くんの妹という立場は正直うらやましい。私も彼の妹だったら……。でもそれだと哪吒くんと恋人には成れず結婚もできない。


 私が考え込んでいると、哪吒くんは雛子ちゃんに寄り添いながら訊ねる。


『どうしたんだ?』

『うん、ずっと家にいてるとね寂しくなっちゃった』


 哪吒くんのズボンを掴んで、ひしっと彼に抱き付く雛子ちゃん。


『ねえねえ、お兄ちゃん。雛子もままごとがしたい』


 雛子ちゃんは子猫がか細く鳴くように彼に懇願していた。哪吒くんは困ったような顔で私の顔色を伺う。私は願ったり叶ったりで二人の要望に何度も頷いていた。


『わあ、パパおかえりー。ねえねえ、ママ! 雛子、パパと遊びたいー。いいかな?』


 お飯事に雛子ちゃんが加わると彼女はいつも私たちの子どもを演じていた。


『いいよね? 哪吒』

『あ……ああ、いいよ、ゆき』


 何故かそのときは哪吒くんを呼び捨てで呼んでみたくなったのだ。


 私の思い切った行動に少しびっくりした様子の哪吒くんだったが、言った私の方が恥ずかしくなってしまって私はお飯事にも拘らず、そのときは哪吒くんを直視できなかった……。


 結局、私が『哪吒』と呼び捨てにしたのはそれきりでいつも通りくん付けに戻っていた。



 そんな仲睦まじい三人で幼少期から過ごしていたけど、中学生になったときに私たちの関係は一変する。


 雛子ちゃんが病気で倒れたのだ。彼女が病気で倒れてからというもの、哪吒くんと遊ぶ機会はすっかり減ってしまった。


 雛子ちゃんの体調が良くないと、哪吒くんは仕事で忙しいお母さんに代わり、病院へお見舞いに行ってしまう。


 そうなると私は寂しく一人で下校する……。



 私は幼馴染みなのに哪吒くんと過ごせないことが辛くて悔しくて……一念発起して彼を追い掛け、迷宮探索校に入学した。


 けれど状況は改善しなかった。


 哪吒くんがS級クラス、私はB級クラス……彼が優秀過ぎてクラスが違い、授業で彼の近くにという願いは叶わなかった。


 しかも迷宮探索校では原則パーティーを組むには同じクラスの者としか組めないから……。


 少しでも長く哪吒くんと時間を過ごせる方法がないかと思っていたときだった。


『哪吒の彼女じゃん。更科ちゃんだっけ?』


 哪吒くんのパーティーのリーダー、網代颯真くんから声を掛けられ、ドキッとした。


 女子なら誰もが憧れるような王子さまのような容貌に加え、迷宮探索においては学年一と来ている。アイドル事務所からも声が掛かっているとの噂すらある。


 更に彼の父親は東都大学の学部長を務め、母親は名家のお嬢さま、兄弟親戚からは優秀な研究者を輩出しており、非の打ち所がない。


 哪吒くんが颯真くんと同じパーティーになったときは本当に驚いたものだった。しかも颯真くんから直々に指名されたらしい。


 それに比べて私は……。


 努力に努力を重ねてB級パーティーに入るのがやっとだった。


 そんな私に颯真くんは……。


『良かったら、ゆきちゃんもオレのパーティーに入んねえ?』

『えっ!?』

『ほらさ、オレのパーティーに入りゃ哪吒と一緒に入れんだろ?』


 嘘!?


 私が颯真くんのパーティーに!?


 驚きのあまり口を手で押さえていた。その手に滴がぽろぽろと落ちる。


『ちょっ、何泣いてんだよ。まるでオレが女の子を泣かしたみてえじゃん!』

『ち、違うの……。うれしくて……』

『んじゃ決まりな! オレから園田に話しつけておいてやるよ』


 園田というのは私のパーティーのリーダーで人柄はいいけど、和気藹々と迷宮探索を楽しみたいといった雰囲気で、彼の下でレベルアップは望めなさそうだった。


『いいの?』

『オレの連れの彼女ならもう仲間みてえなもんだ』


 特別な措置としてパーティーのリーダーの権限で本人の希望さえあれば上位クラスのパーティーへの移籍も可能。


 まさかあの颯真くんから声を掛けてくれるなんて!


 そんな軽いやり取りがあり、私は颯真くんのパーティーへ加入することが決まった。


 哪吒くんもきっとよろこんでくれる!



 翌日、哪吒くんにパーティーを移籍したことを伝えると彼の言葉は意外なものだった……。


『俺はゆきに無理させたくなかった。俺がもっと休み時間にゆきに会い行けば良かったのかな……』

『もっとよろこんでくれると思ったのに……』


 哪吒くんは席に着いたまま手で目を覆うと深く息を漏らし考え込んでしまった様子だった。


 でもでも! 私はあの皇帝カイザーと渾名される網代颯真くんに認められたんだもん。


 きっと上手くやれる。颯真くんのパーティーに入れば、ずっと哪吒くんと一緒!


 だと思っていたのに違った……。


 頭を抱えていた哪吒くんの前に銀糸の美しい髪、透き通るような肌、足が長くて腰がくびれているのに出るところは出た信じられないくらいかわいい美少女が立っていた。


『日向くん、明日の迷宮探索で気になる点があるの。相談に乗ってもらえるかしら?』


 嘘っ!?


 学年一……いいえ、学校一の美少女と名高い御門アリシアさんが哪吒くんに親しげに話し掛けてきたのだ。


 驚く私とアリシアさんの目が合う。


『どうも御門アリシアです。よろしく』

『さ、更科ゆきです……よろしくお願いします』


 思わず緊張してしまって声が上擦ってしまう。これがS級パーティーメンバーのオーラだっていうの?


 私がアリシアさんとすれ違うとき、彼女はいつもクールな表情で近づきがたい雰囲気をまとっているが、哪吒くんの前ではまるで彼女が哪吒くんと付き合っているかのような柔和な笑顔を見せていた。 


『私は哪吒くんのか、かのじ……』


 ゾクッ!


 私は哪吒くんの彼女だと主張しようとすると背筋が凍ってしまうかのような青い瞳が私をじっと見ていた。


 哪吒くんは自分の顔を指差して、『俺?』と戸惑い気味だったが、御門さんははっきりと頷いていた。氷の令嬢と呼ばれている彼女が恥ずかしそうに頬を赤らめているなんて!


 そのとき離れた席にいた颯真くんが立ち上がり、こちらに向かってこようとすると……。


 アリシアさんは『ここでは話しにくいことなの。どこか別の場所に移りましょう』と哪吒くんを促していた。


 哪吒くんが席を立ち、教室を出ようとしている。私も一緒に行こうとすると、アリシアさんが振り返り、私に軽く会釈をした。


『ごめんなさい。彼と二人きりでダンジョン探索について大事な話がしたいの。申し訳ないのだけど席を外してもらえないかしら?』


 え? あ? そんな……。


 私が戸惑っているとアリシアさんの肩に手が置かれた。


『待てって、アリシア。日向はこれからあたしとトレーニングの予定なんだよ。いつもアリシアばっかでずりぃぞ!』


 え?


 その手はギャルサーのリーダーみたいな筧美里さんだった。御門さんとはタイプが違うけど、彼女も男子からの人気が高く、気安く声を掛けた男子が彼女に凄まれ逃げ帰ることは日常茶飯事……。


 筧さんは御門さんの前に出て哪吒くんと話そうとすると、御門さんが一瞬眉間に皺を寄せたような気がした。


 御門さんと筧さんが睨み合いを続けていると、哪吒くんの袖を引っ張る子がいた。


『なたくん! なんかアリリンとみさみさが忙しいみたいだから、れもんと遊ぼ!』


 ええっ!?


 下手をすれば小学生と間違われてしまうんじゃないかってくらいの身長の女の子が哪吒くんの袖を掴んで屈託のない笑顔を浮かべている。


 超有名配信者のれもんちゃん!?


 小柄ながらも彼女も信じられないくらい整った顔をしており、かわいく綺麗だった……。


『れもんさん、それは聞き捨てならないわ』

『はあ? レモンの砂糖漬けにされたくなかったら、すぐに手を離せ』


 美少女の三人は哪吒くんを取り合うように彼の手を引き、教室の外へと導いてゆく。


『ゆき、ごめん。あとで話そう』

『う、うん……』


 私は疎外感を感じて、哪吒くんについて行くことができなかった……。


『まったく……哪吒の奴は! ゆきって彼女がいるにも拘らず、他の女にうつつを抜かすとは信じらんねえよ』


 後ろから声がしたので振り向くと教室のドアの上枠を掴んだ颯真くんがいた。

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