彼女のお城で
「フローラにだって...これからなんてものはありませんのよ!」
彼女は、そう叫んだ。
「これから」がない...?
再起不能、余生が敗戦処理化、更には弱みを握られているオレはともかく、フローラも?
オレには想像もつかなかった。金持ちには金持ちなりの苦労があることは、よく聞く。経営者は資金繰りや部下からの突き上げ、株主の指示に頭を悩ませたり、株主は株主で持っている株の暴落に神経を持ってかれる、とか。もっと言えば、経営者や株主だからといって金持ちだとは限らない。会社の3年生存率は30%、5年生存率ならわずか10%。投資の成功率は、1割で良い方、だと言われる。
オレよりは金持ちであろう彼女の正体は分からないが、苦労を背負っていないとは思っていない。しかし、彼女に「これから」がないと思うほどの苦労や絶望は今まで見たことも感じたこともなかった。
だが、オレはあくまでも無関係、冷酷に徹した。
「そのことと、家に来て欲しいこと。二つに何の関係があるんだ?」
家で話を聞いてほしい、と考えれば筋は通るが、それだけなら家じゃなくても出来る。更には話を聞いたところで彼女の辛さを完全に理解できるとは思っていないし、なんなら背負いたくなんて絶対にない。
他の思惑として考えられることは...彼女の家に監視カメラがあるとすれば、それで罠にかけることだろうか。軟禁したオレが言えたことではないが。
「オレは「これから」なんてない人間ではあるけど、テメエの「これから」なんてない、って話を聞いたところで完全に理解できるとは思ってないぜ。それどころか、頭ごなしに否定するか、半笑いでバカにするか。大半はそれで終わりだ。それに、話を聞いてもらうだけならオレを家に上げる必要もない。何を企んでんだ?」
「...ハヤテ様に、一緒にいて欲しいの」
フローラは懇願するように言った。
オレは呆気に取られたが、一人のほうがマシだ。だから言い返す。
「無理だ」
誰かと一緒にいることは、嫌いではない。だが、そのツケで多くのものを失ってきた。これ以上失うのはもうウンザリだ。
「お菓子食べましょ?」
「これまででももう沢山食わせてもらったぜ」
「一日だけでも、今夜だけでもいいから」
「それはドツボにハメるヤツの常とう句だ」
「素性がバレてもいいのかしら?」
「さっきも言ったけど、バラしたいならさっさとやれよ」
そんなやり取りは10分近く続いた。
最終的に、オレのほうが折れた。フローラの執念とも狂気とも取れる執拗さには勝てなかった、というところか。
彼女の家に行ったことは一度もない以上、オレは付いていくしかない。
鶴見駅で下車し、徒歩で20分。あるマンションに着き、エレベーターで3階に着いた。オレのボロアパートとは比較にならないほどに小綺麗で、オレと同じくドアホンもある。
しかし、予想に反して部屋の中に監視カメラはどこにも無かった。拍子抜けだ。
部屋の広さは、オレの倍ぐらいはある。オレのがワンルーム7畳なので14畳ぐらい。家具はお城の一室のような、過剰なほどの派手さはなかったが、全体的にピンクでまとめられていた。ベッドも天蓋付きでは無かったが、フレームがあり、少女の憧れが詰まった感じのピンク色だ。
「姫の専用の一室、って感じだな」
オレが最初に抱いた感想はそれだった。が、洗濯機は別だった。流石にこれは姫っぽく出来なかったのだろう。しかし、一人暮らしでも必需品から外れることはまずあり得ない冷蔵庫はどこにもなかった。
それに、彼女に「これから」がないというのはやはりこの部屋からも感じることが出来なかった。
一緒にいて欲しいというのも、ホテルの一室、あるいはオレの家であっても良かったはずだ。ゴチャゴチャしているが。
そんな取り留めのない思考が、頭の中でグルグルしていた。
「シャワーを浴びてきますから、ハヤテ様は見えないところで待っててくださいませ💗」
「分かった」
フローラは、さっきまでの怒りや悲しみを見せていたのがウソだったかのように、元気を取り戻してバスルームに向かった。多分洋服やなんかはクローゼットにかけるのだろう。
彼女のあの着込みの量じゃ着替えるのも大変だろうな...とは思ったが、指示通り待ち続けた。
数分経ち、待つのにも飽きた頃、シャワーの音が聴こえてきた。どうやら浴び始めたらしい。
オレは手持ち無沙汰になった。腰まである髪や、そのケアの時間も考えるとシャンプーとコンディショナーの時間だけで短くても15分はかかるだろう。
ツーサイドアップを下ろしたら肩下30cmになるロングヘアのオレでさえ、雑めのシャンプーだけでも5分、ドライヤーともなればそれ以上かかる。彼女は腰まである以上、もっと長くなるだろう。
監視カメラがないということもあり、バレないだろうと思って部屋の調査を始めた。ただし、音が出そうなものや、プライバシーに関わるものは避ける。
まずは、この部屋では浮いて見える洗濯機。縦型であった。ドラム式ではないんだな、と。
他にはワードローブ、スペアのクローゼットが一つずつあった。どちらもピンク色だが、ロリータファッション好きともなれば服はかさばる。たくさん集めているなら服の収集場が増えるのも不思議ではない。クローゼットの上にはさっきまで彼女がかけていたランドセルとショルダーバッグ2色が置かれている。
カーテンもピンク色で、繊細なレースやフリル、リボンがあしらわれている。まさにお姫様という感じだ。
ベッドはシングルサイズで、フレームにはものを置ける棚があり、下には取っ手付きの引き出しがある。引き出しは音が出るので開けず、棚を見た。
そこには写真立てで一枚の写真が飾られており、二人が向かい合っていた。
一人は今よりも幼さが漂い、髪色も髪型も今と違う茶色のロングヘアだが、フローラだとすぐに分かった。袖無しではあるが、上品さと可憐さが漂うピンクのドレスを着て、地面に座っている一人にカーテシーを見せ、笑顔を浮かべている。
だが、もう一人の姿にオレは驚きを隠せなかった。
ピンクと黒のリボンで飾られた、黒髪のツーサイドアップ。耳たぶにはサファイアの星のイヤリング、首元には太陽のペンダント。グラサンをかけている。
上はピンクのキャミソール、下はデニムのショートパンツ。地面に片ひざを立てて座り、立てた膝には腕を乗せて顔に指貫をはめた手を付き、フローラと向き合っている美女...ではない。
オレはこのガラの悪い美女のような青年を知っている。
グラサン越しでも分かる。この青年は...オレの亡き親友、ユウキだ。
「何で...」
音を立ててはいけないのも忘れて、オレは叫んだ。
「何で、ユウキがフローラと一緒に写っているんだよ!」
その時、フローラがバスルームから出てきた。彼女はタオルを胸元に巻いていたが、その姿に違和感を感じた。
(胸がない...?)
貧乳ならまだ分かる。しかしオレが今まで見てきたフローラは巨乳という程ではないし、ロリータファッションである故にあまり目立たないが、ある程度の胸の大きさはあった。
パッドかなんかで盛ってたのか...?
しかし、その思考はすぐに遮られた。オレが写真立てを持って写真を見ていたのを捉えられた時、彼女の顔は赤くなっていったのだ。
「だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
こっちに走ってきたのだが、その際にバスタオルを巻いていたことを忘れていたのか、タオルがはだけて全裸になってしまった。
「これだけは...お兄様とフローラとの思い出だけは...!」
オレを押し倒し、写真立てを奪い取ったフローラ。しかしオレは写真立てを取られたことよりもフローラの身体そのもの、そしてさっきの言葉にまたしても衝撃を受けた。フローラには、女性だったら本来はないものがついていて、しかもパニック状態だったとはいえ関係を暴露したのだから。
「まさか...テメエはユウキの弟...しかも男だったのか!?」
フローラが亡き親友・ユウキと関係があったこと。
その関係とはお互い兄弟だったこと。
フローラが男だったこと。
3回も金槌で頭をぶん殴られたような感覚を伴うほどに、オレの頭はそのことに理解が全く追いつかなかった。
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