賢者失格
烏川 ハル
賢者失格
「お願いします、賢者様。今度の作戦には、是非あなたのお力が必要なのですよ!」
頼む側の立場でありながら、つい私は声を荒げてしまい、テーブルをドンと叩いていた。
そんな私の態度を咎めることもなく、目の前の老人はただ静かに、皺だらけの首を横に振る。
「そんな……。どうしてですか、賢者様……?」
なおも追いすがる私に、ようやく彼は口を開き、ぽつりと呟いた。
「堅苦しい呼び方は
――――――――――――
騎士学院を卒業して、
部隊を率いるゲヒムス将軍は、力押しの作戦ばかりで『脳筋将軍』と陰口を叩かれるほど。当然のように戦果も悪く、連戦連敗という有様だった。
……という噂も、新人騎士だった私が事前に知る
幸い死者は少ないものの、負傷者は大勢。いつ自分がその一人になるか冷や冷やする中、ゲヒムス将軍更迭の噂が下級騎士の間にも広がり始めた頃。
一介の下級騎士に過ぎない私が、なぜか部隊の本営に呼び出された。
「失礼します……!」
高官ばかりのテントに入ってみれば、白い長テーブルの上座に、がっしりとした筋肉質の中年騎士。『脳筋将軍』ことゲヒムス将軍だった。
彼は探るような目で私を一瞥してから、太い声で尋ねる。
「君は確か、モーリッツ村の出身だったな?」
「はい」
「では、大賢者アーベを知っているな?」
「大賢者アーベ……? ああ、アーベ爺さんのことですね!」
と答えてから、慌てて口を手で押さえる。
つい懐かしさから昔の呼び名を口走ってしまったが、そんな場面や場所ではない。場にそぐわない発言だったと後悔したのだ。
しかし私の失言は気にされるどころか、むしろ逆に、ゲヒムス将軍の顔には笑みが浮かぶ。
「そうか、『アーベ爺さん』と呼ぶほどの仲か……。ならば、やはり君が最適だな。モーリッツ村へ行き、隠遁している大賢者アーベを説得してきたまえ」
敗戦続きの中、王都から新たに届いた命令で、ゲヒムス将軍は「もっと魔法を活かして戦うように」と言われてしまった。
しかしゲヒムス将軍の部隊は、凄腕の剣士は多いけれど高度な魔法の使い手は少ない、という編成だ。まずは魔法の
ただし、そんな優秀な使い手は普通、既に他の部隊に囲われている。フリーで余っている者など見当たらず、ならば現役でなく引退した者を引っ張り出そう。
そこで白羽の矢が立ったのが、大賢者として名高いアーべ老。彼はモーリッツ村に隠棲しているという話だが、部隊の名簿を改めてみると、ちょうどモーリッツ村の出身者を発見。大賢者アーベを招き入れる使者としては、その者こそが最適だろう。
「……というような次第で、君に頼むわけだ。わかったな? 重要な任務だぞ、これは」
表情は笑顔のまま、鋭い視線を向けてくるゲヒムス将軍。
もちろん私が拒めるはずもなく、ビシッと敬礼しながら「了解しました!」と答えるだけだったのだが……。
――――――――――――
「賢者失格だなんて……。何を言ってるんですか、賢者様。いや、アーベ爺さん!」
懐かしき
情に訴える意味で、あえて昔の呼び名を持ち出してみる。
親戚でも何でもないけれど、かつて近所の子供たちは皆、彼のことを「アーベ爺さん」と呼んでいたし、そんな私たちを彼の方でも可愛がってくれていた。
当時を思い出したらしく、彼も表情を和らげて目を細めるが……。
それでも相変わらず、首は横に振る。
「覚えておるか? かつて語ったことがあったじゃろう。センダンは双葉より……」
いきなり話題が変わったように感じて、一瞬戸惑うけれど、それでもすぐに思い出した。覚えているというアピールも込めて、彼の言葉を遮る勢いで返す
「ええ、忘れていませんよ。確か『大成する人間は小さい頃からその片鱗を見せている』みたいな意味の……。あちらの世界の諺でしょう?」
彼が「大賢者」と呼ばれるのは、その魔法の才ゆえだけではない。それに加えて、豊富な知識を有しているからだった。
この世界の者が通常、知り得ないような不思議な知識の数々。前世の――異世界の――記憶を持ったまま生まれてきたという、いわゆる転生者の一人だったのだ。
そうした知識を活かして、王宮でも重く用いられていたという大賢者アーベ。しかしモーリッツ村に引っ込んでからは――少なくとも村の子供たちから見れば――ただの気さくな老人だった。
彼は異世界の話を、面白おかしく子供たちにも語ってくれた。中には「あちらの世界の諺」も含まれており、先ほどの「センダンは双葉より」云々もその一つ。特に「大成する人間は小さい頃からその片鱗を見せている」というのは、ちょうど大賢者アーベの「小さい頃」どころか「生まれる前」の知識が活かされる
「『センダン』というのは、あちらの世界の木の名前でしたよね。良い香りがする上に、加工がしやすい木材で……」
「ほう、本当によく覚えているのじゃな」
「ええ、面白い話でしたからね。その『センダン』の特徴は芽生えた頃から、まだ双葉の頃から既に同じで、その頃から既に加工がしやすくて……」
かつて聞いた話を思い出しながら口にすると、途中までは微笑んでいたアーベ爺さんが、再び首を振り始めた。
「そう、そこじゃ。魔法通信で最近、転生者の一人と話をする機会があってな。その者に笑われてしまってのう……」
「えっ、笑われたですって? 大賢者たるあなたが……?」
「うむ。わしは間違って覚えておったのじゃ。『センダンは双葉より
苦笑いしながら、彼は続ける。
「……まあ『大成する人間は小さい頃からその片鱗を見せている』という主旨は変わらんがのう。とはいえ、こんな間違いを流布してきたような者は、やはり賢者失格じゃろうて」
「どうでもいいでしょう! そんなの些細な間違いですから!」
と叫びたかったが、しかし口に出さずに思いとどまる。
こんな「些細な間違い」など、賢者云々の本質からは大きくかけ離れているけれど、それでもこだわってしまうのが彼の性格。
それを理解している私は、内心で大きくため息をつくしかなかった。
さて「大賢者アーベを招き入れる」という任務は、どうしたら良いのだろう……?
(「賢者失格」完)
賢者失格 烏川 ハル @haru_karasugawa
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