第24話 新たな行方不明者
霧が晴れてきた。振り返ると、その場でじっと固まっていたルベット老人と目が合う。
老人はぎこちなく笑い、冷や汗を拭うような仕草をした。
「ああ、びっくりした。ここの霧ときたら、いつも急に襲ってくるもんだからなぁ」
「何か、見ましたか?」
「うん?」
「いえ、…霧の中に、何か幻覚が見えていたのかと思って」
ユーフェミアに尋ねられて、老人は困ったように口元を歪めた。
「見えたか見えなかったかで言えば、まあ、見えたな。というより、いつも見えるものはだいたい同じだ。学位取得用の論文をめちゃくちゃに貶されて、半泣きで書き直していた時のこと。大きな学会で発表した内容に冷たい反応しか無かった時のこと。目をかけていた学生が事故で急死したと知らせを受けた時のこと…。つまりは、思い出したくもない、トラウマ的な出来事を思い出すものらしい」
「トラウマ…?」
「人間というものは、不安になると悪かった時代のこと、どん底だった頃の記憶を再生するように出来ているのだろう。いきなり周囲を真っ白にされて、何も感じなくなってしまったら、誰だって不安になるものだからな。さて、いまのうちにホテルに入ってしまおうか?」
「……。」
ユーフェミアは、黙ってルベットのあとに続いた。
この老人の言うとおりトラウマが見えるというのなら、霧に巻かれた時のローグの様子も納得出来る。ただ、それは自分の見ているものとは違う。
もし、他の人たちの見ている幻覚がいつも同じ、自分の記憶の中の思い出したくない風景だとするならば、自分だけが違うことになる。
(うーん…。どうしてなんだろう)
実際には、思い出したくないことくらい沢山ある。
そのことはともかく、霧の発生源が分かったことだけは大きな収穫だった。
屋敷から見ていた時、火山の麓のあたりから湧いてくるように感じていたのだが、実際には、火山の麓に近い湖が霧の沸き立つ場所だったのだ。
(こんな霧が湧いてくるんじゃあ、ここで暮らしていくのも大変だわ。…これを止めるか、防ぐ方法はあるの? というか、湖から霧って…。一体どういう仕組み?)
ふと足を止め、湖のほうを振り返ってみる。
晴れている時は美しく、ずっと眺めていたいくらいの風景なのに、この湖から発生する霧のせいで、近隣の住民たちは頻繁にトラウマを呼び起こされることになる。出て行きたくなるのも当然というものだ。
むしろ、よく、こんなところに屋敷を建てたものだとすら思う。霧の発生源に近いここでは、霧から逃れることさえ難しい。
「あの、ルベットさん。」
「ん?」
「さっき、お庭でのんびりされていましたよね。霧が出るかもしれないのに、建物の外にいるのは怖くないんですか」
そう尋ねると、老人はちょっと肩をすくめた。
「まあ、厄介は厄介だが…わしは、若い頃からもう五十年もここに通っているから少し慣れてしまったのかもしれないなあ。それに、昔はこれほど頻繁に霧が出ることもなかった。せいぜい、数年に一回だ。出会えたら幸運くらいの現象だったんだよ」
「えっ、そうなんですか? そんなに少なかったの…?」
ユーフェミアの知る限り、この島に来てからほぼ毎日のように霧に巻かれている。あまりにも頻度が違いすぎる。
「島の古老たちが言うには、霧が出るようになったのは、ここ百年ほどのことらしい。地質学者ではないから詳しいことは分からんのだが、どうも、火山の活動が活発化して、地下水とマグマが混じり合って蒸発して霧になっとるんじゃないかという話だ。霧が発生する時は、たいてい、地震も同時に起きるからなあ」
「……。」
「ま、言いたいことは分かる。このホテルに長逗留しておる物好きは、今や、わしくらいのものだよ。行方不明者が頻繁に出るようになったのは、霧の出現する頻度が上がってからだな。霧の中で何を見たものか、発狂してそこの先の崖から身を投げた客もいる。こんなところにはいられないと、予定を切り上げて帰っていった者もいる。まったく残念なことだ。フェンサリルは、本当に良いところなんだが…。」
(つまり、なんとかして霧の発生を止めるか、せめて霧の中で見える”幻覚”の原因を無くさないと、この土地は過疎化する一方ってことね)
やはり、この問題は無視できない。
他の住民が全員いなくなってしまっては、フェンサリルに住み続けることすら出来なくなる。それは困る。なんとかして、湖から発生する霧について調べなければ。
裏庭からホテルに入ると、すぐに通路に出た。通路の先は半地下に繋がる下り階段と、上り階段とに分かれている。
「ここの上は見晴らしのいいレストランでね。晴れた日には、湖の向こうに海も見える。」
ルベットは、霧のことなど忘れたように陽気に説明してくれる。
「で、下はフロントとバーだよ。薄暗い感じがまた、ムードがあって気に入っとるんだ。それから、ホテルの名前の由来の”黄金のチェス”はこの下のホールに…」
言いながら階段を降ろうとした時、ちょうど、向かい側から難しい顔をして上がってくる警官のオッタルとばったり会った。
ユーフェミアを見つけると、ほっとした様子で矢継ぎ早に喋り始めた。
「ここにいたかお嬢さん、探していたんだ。いやあ、まいった。困ったことになったぞ。ホテルに泊まっていた三人組が、昨日から帰ってきていないらしい」
「…えっ?」
「三人組?」
ルベットも反応した。
「あの、落ちこぼれ大学生三人組かね? 確かに、昨日は昼食の時にも夕食の時にも見かけなかったが…」
「はは、落ちこぼれとは手厳しい。そういえば、グンドゥル先生は
オッタルは、髭をしごいて笑ったあと、すぐに真面目な表情に戻った。
「――その三人なのだが、さきほどホテルのオーナー殿と話した時、どこかで迷っているかもしれんと相談を受けたんだ。昨日、遠乗り用の馬をここで借りてフェンサリル村へ出かけていったという。お嬢さん。あんた何か知らないかね」
言いたいことを察したユーフェミアは、すぐに答える。
「それなら私、村の博物館で会いました。お昼前です。雨が降り出したので私は家に戻りましたが、その時はまだ皆さん博物館にいたと思いますよ」
「ふむ。では、博物館で聞き込みをしてみよう。どこかで雨宿りしていただけと思いたいところだが、まだ戻っていないとなると…。」
警官は、ため息をついた。
「はあ…今日中にイーストポートへは戻れそうにないか…。」
「それじゃ、今日はここに泊まるんですか?」
「仕方あるまい。アトリの奴は喜ぶだろうな、まったく」
ユーフェミアは、ちらとルベットのほうを見やった。ルベットも肩をすくめている。
「若者たちは、とかく無茶をしがちなものだ。好奇心だけで危険に突っ込むこともある。若さの特権でもあるのだがね。危険な目に遭っていなければよいのだが」
「ええ。まったく」
真顔で同意して頷くと、警官のオッタルは、再びユーフェミアのほうに視線を向けた。
「そういうわけだ、申し訳ないがお嬢さん。本官は、これから村に向かうことにする。もし一緒に村まで戻るつもりなら、すぐに貨物馬車に乗るといい」
「じゃあ、そうします。――ルベットさん、今度またゆっくり話をお伺いしにきますね」
「うむ。わしは、ずっとここに泊まっているから、いつでも訪ねて来ておくれ」
老学者は目尻に皺を寄せ、笑顔で手を振っていた。
オッタルとともに階段を降り、ルベットの言っていた薄暗いホールを通り抜けてホテルの入口へと向かう。
入口近くにある掲示板には、オッタルの持ってきたばかりのローグの手配書が貼り付けられていた。他には、貨物馬車で運ばれて来たらしい新聞や、各客室向けのお知らせなどが貼り出されている。
ルベット以外の宿泊客の姿は見えないが、皆、どこかに出かけているか、部屋でのんびりしているとかだろうか。それとも、今はほかに宿泊客がいないのかもしれない。バーの手前にあるカウンターも空で、ホテルの従業員らしき姿も無かった。
ふと、頭上から、何かに見つめられているような気配があった。
顔を上げるのと同時に、カサカサ、キイキイという音が遠ざかっていく。聞き覚えのある音だ。とっさに、屋敷に泊まった最初の夜のことを思い出す。
(小人…? な、わけないわよね。普通は、ネズミだもの)
そう、普通なら、ネズミか何かが住み着いていると思うはずなのだ。普通なら。
暗い天井には、年代ものの太い木材で梁が渡されていて、そのどこかに生き物がいるような気がした。けれど、窓のほとんどない薄暗いホールでは、天井のあたりははっきりとは見通せない。
オッタルのほうは、もう、ホールの出口までたどり着いている。
玄関の重たい扉を押し開くと、外から、眩しい光が差し込んできた。
「アトリ! すぐに馬車の用意をしてくれ。村まで行くぞ」
オツタルの怒鳴り声が外に向かって遠ざかってゆく。
「…ええ? 帰るんじゃなくて村ですかい」
「事情が変わったんだ。行方不明者を探しに…」
ユーフェミアも外に出ようとしながら、出口のところでもう一度だけ、ホールを振り返ってみた。
床面が半地下になっているお陰で天井が高く感じられ、そのくせ窓は少なく、ほとんど光の差し込まない穴蔵のような大広間。骨董品の飾られた洒落たバーの奥には、たくさんのお酒が並んでいる。貨物馬車の運んできたお酒や、さっきルベットの飲んでいたワインも、もしかしたらあそこに並んでいるのかもしれない。
ふと、広間の奥の方に、憩いの場か談話室のようになっている空間があることに気がついた。
大きなソファと、ずっしりとした大きな卓と椅子が並べられている。
その卓の上に、金色のチェス駒が浮かび上がっている。窓から差し込む光は、卓の周囲にだけ落ちていた。
(――”黄金のチェス”亭…)
きっとそれが、ルベットの言っていたホテルの名の由来となる品なのだ。雰囲気からして、ユーフェミアの住む屋敷にある黄金の杯と同じ古い時代に作られたものかもしれない。
だとしたら、あのチェスにも、何か魔法の力があるのかもしれなかった。
そのあと、オッタルとユーフェミアを載せた貨物馬車は丘を下り、停車場を通り越してフェンサリル村まで一気に走っていった。
まだ、お昼を少しばかり回ったくらいの時間だ。太陽は空高く輝き、辺りには光が満ちている。
「私はここでいいです。送ってくれて、ありがとうございました」
ユーフェミアは馬車から飛び降りると、オッタルたちと別れて村の外にあるヘグニの小屋へ向かった。庭先にロバのスキムファクシが草を食んでいるから、先に戻ってきているはずだった。
「ヘグニさん」
小屋に入っていくと、中でパン種をこねていたヘグニが顔を上げる。
「おや、ユーフェミア様、どうされました」
「村に警官が来ているんです。ホテルに行ったら、昨日から戻っていないお客さんがいるって。私と同じ船で島に到着した三人組の若者なんですけど――昨日、フェンサリル村に来てたんです。見ていませんか」
それは、心配から、というよりは、早く見つけて警官に引き上げてもらいたいという気持ちからの質問だった。
ヘグニはちょっと首を傾げ、考え込んだ。
「三人組…。はて。見かけていないが、どうかされましたか」
「ローグさんの話では、その人たちは詐欺師で、遺跡荒らしみたいなこともするかもしれない、って。昨日はお屋敷に忍び込もうかって話をしてて、博物館の人に止められてたくらいなんです」
ヘグニは顔色を変え。小麦粉で真っ白な手のまま怒りに身を震わせた。
「なんと、お屋敷に?! 不敬にもほどがある! すぐに見つけ出して――」
「あ、あのっ。もちろん、早く探し出したいんですけど、心当たりはありませんか? 行きそうな場所、とか…」
「いいえ。ですが村の者には聞いてみましょう。不届きな若者たちが勝手にそのへんを探りまわっているなど、我慢がならん」
「……。」
ヘグニは傍にあった手ぬぐいで両手を乱暴にぬぐい、前掛けを椅子の上に放りだして、のっしのっしと小屋の外へでてゆく。ユーフェミアはそれを止めることも出来ず、唖然として見守るばかりだ。
(どうしよう、なんだか変な所に火をつけちゃった、かも…)
とはいえ、この辺りを知り尽くした村人たちなら、すぐに見つけられるはずだとユーフェミアは思っていた。いくら馬でやって来たとはいえ、村は一つだけで、他は広い牧草地ばかりなのだ。雨の中、そんなに遠くへ行ったはずもない。
今頃は、警官のオッタルも村で聞き込みをしているだろう。
(ひとまず、お屋敷に戻ってローグさんに、しばらく姿を見られないようにしたほうがいいって教えておこう)
ユーフェミアは、ヘグニの向かったのは逆方向の、森に囲まれた屋敷のほうへ向かった。
(まさか、昨夜のうちにガルムが食べちゃった、なんてこともない…はずよね。今朝、出かける時は普通にしてたし。)
不安にかられながら、森の中を見回す。
「ガルム? いる?」
適当に声をかけただけなのに、足音もたてず一瞬にして巨狼が目の前に現れた。思わず悲鳴を上げそうになってしまう。
(…びっくりした。そうか。犬みたいなものだし、耳はいいのね…)
走り出てきた影が実体化したかのように見えたが、気のせいだろうか。
ガルムは、何か用か、と言わんばかりの顔で、座ったままユーフェミアをじっと見つめる赤い瞳。そうしていると、大きさはともかく、忠実な番犬には見える。
「昨日ここに、誰か来たりしなかった? 他所から来た三人組が、村からどこへ行ったかわからないらしいの。この屋敷に近づいて来たりはしなかった?」
「…グルル」
巨狼は、静かに首を振る。やはり、こちらの言葉は分かっているらしい。
「そう。来てないのね。ありがとう、もし誰か知らない人が来ても、むやみに姿を見せないで。それと、私がいる時なら、私を呼んで」
「グルゥ」
頷いて、巨狼は静かに木々の間に消えてゆく。そう、文字通り「消えた」のだ。
ユーフェミアは、思わず目をこすった。
森の暗さと、狼の毛皮の暗い色が同化してしまったのか。それとも、不可視になれる存在なのか。ともかく、あの不思議な存在は、ただの獣ではないらしかった。
正体を知りたいところではあるが、今はそれどころではない。
「ええと、そう。…あとは、…ローグさんね」
”探し物”のルーンで居場所を探ろうとして、ふと、気づく。
(…そうだ。このルーンを使えば、あの三人の居場所も分かるかも)
いますぐ試してみようかと思ったが、その前にローグを探すことにした。
ちょうどお昼時だし、もしかしたら屋敷に戻ってきているかもしれない、と思いながら。
まだ太陽が輝いている時間帯なので、屋敷の中に小人たちの姿はなく、しん、と静まり返っている。
代わりに、先に戻ってきていたらしい子犬のフェンリスが、尻尾を振りながら勢いよく飛び出してきて出迎えてくれる。
「ワン、ワン!」
「ただいま、フェンリス。ローグさんは?」
言いながら食堂のほうに視線をやったユーフェミアは、まさにそこに探していた男の姿を見つけて、思わずほっとした。
ちょうど昼食中だったらしい。テーブルの下に皿が置いてあるところからして、フェンリスの分も準備してくれたのだろう。
「何だ。俺に用事か」
「警官が手配書を持って村に来てるので、それを伝えようと思って。…あ、せっかくだし私もお昼を食べていこうかな」
「はぁ? こんなところまで? …報奨金に釣られやがったのか。チッ、熱心なことだな全く」
舌打ちしながら、ローグは最後のパンの欠片を口に押し込んだ。
彼の方は、もう、ほとんど食事は終わっているらしい。
「ちょっと待ってて下さいね。まだ、お話があるので」
ユーフェミアは、台所から自分の分のパンとスープ皿を持って台所から引き返し、テーブルに腰を下ろした。ローグは、むっつりした表情のまま律儀にテーブルで待っている。
「それで? 話ってのは何だ」
「最初に一緒に船に乗ってた三人組、昨日からホテルに戻っていないそうなんです。警官が村に来てるのも、そのついでみたいな感じで」
「…何だって?」
ローグは眉を寄せ、不機嫌そうに頬杖をついた。
「まったく、ロクなことしやがらねぇな、あいつらは。ここにも来たのか?」
「いえ、ガルムは知らなさそうでした。でも、早く見つけたほうがいいと思うんです。本当に行方不明ってことになったら、警官が何人も来てしまいそうだし」
「……探しに行くのか」
「そのつもりです。」
スープを口に運ぶ手を止め、ユーフェミアは、ローグを見やった。
「一緒に来ます? ずっとここに籠もってちゃ、つまらないでしょ。姿隠しのルーンを使えば、他の人には見えないはずですし」
「…いや、俺は…いい」
「そうですか」
「話は、それだけか?」
「?…ええ、はい」
奇妙な沈黙が落ちた。
もしかしてローグは、別の話題を期待していたのかもしれない、とユーフェミアは思った。
でも、それが何なのか今は見当がつかない。…聞き返そうにも、ローグのほうはもう、席を立とうとしている。
食べ終えた自分の食器と、ローグの前にあったぶんの食器も取り上げて、彼女も立ち上がった。
「それじゃ、私だけで行ってきますね。ドゥリンさんには、帰りが少し遅くなるかもって言っておいてください。フェンリス、おいで」
「ワン!」
「……。」
ローグは、何か言いたげな顔をしながら、黙って食堂を出ていった。
休む間もなく、ユーフェミアはその足でふもとの村へと向かった。
村では既に大騒ぎになっていて、手分けして周辺を探しに行こうとしているところだった。
「海に落ちたってことは? 雨の後は滝ができるだろう。それを見に行った、なんてことは…」
「いや、そっちは今朝、ヘグニの爺さんが見てるらしい。」
「てことは、ナースレンド山のほうか? まいったなぁ。あそこには古い坑道もある。中に入られたら、探しようがないぞ」
人々の口ぶりからして、彼らがどちらの方角へ行ったのか、まだ見当がついていないらしい。
集まっている人々の中に目的の老人を見つけたユーフェミアは、子犬を連れて駆け寄ると、そっとヘグニの袖を引いた。
「ヘグニさん、ちょっと来てください」
「ん? どうされました」
「たぶん、探せると思います。探し物のルーンを知ってるので」
建物の陰にヘグニを引っ張り込むと、ユーフェミアは、台所から適当に持ってきたまな板を手に、三人組の若者のことを思い浮かべながら”探し物”のルーンを描いた。だが、探し物の位置を示すはずの光は、拡散してしまい一つの方向を示さない。
「あれ…?」
「ふむ。もしかしたら、三人はバラバラになっているのかもしれませんな」
と、ヘグニ。
「あっ、そうか…一気にたくさんは探せないってことね。それじゃあ…」
三人の中で唯一名前を知っている少女――偽名かもしれないが――、ニッキーのことだけを思い浮かべながらルーンを描く。
今度は成功した。
描かれた模様から、導くような光が一直線にある一定方向を指し示している。
「やった。これを辿っていけば、少なくとも一人は見つけられるはずね。ヘグニさん、案内してくれますか」
「……。」
「ヘグニさん?」
老人は何故か、険しい表情でじっと光の指す方向を見つめている。
「…この方角は、いけませんな」
「えっ? 何か、あるんですか」
「ここの北には、ほとんど何もありません。あるのは、クリーズヴィ家の塚…代々の
ユーフェミアにも、ヘグニの表情の意味が分かった。
あの三人組は、遺跡や墓荒らしに興味があるならず者たちだという。そんな彼らが古い墓に向かったのだとしたら、目的は一つだ。
「少々お待ちを」
言うなり、老人は話し合いをしている村人たちの中へ戻っていった。
「スコル! スコル、いるか」
「はいよ、どうしました」
呼ばれて人混みの中から進み出てきたのは、村の博物館で切符を切っていた男だ。
「お前、昨日その三人組と博物館で話をしたと言っていたな。雨宿りの間の立ち話で。何の話をした」
「遺物や遺跡に興味を示していたようなので、この周辺で観光できる遺跡とかを。――もちろん、
「北の、塚のことは教えたのか」
「ええと…確か、言ったかもしれませんね。
「なるほど。」
ヘグニは、苦々しい顔でため息をついた。
「なら、墓荒らしにでも行ったんだろう。」
「えっ?! まさか、そんな…」
話を聞いていたアトリが、訳知り顔でにやりと笑う。
「なるほど。若者といえば肝試しが好きなものだ。怖いもの知らずな余所者なら、そういうこともやらかすかもしれないねぇ」
「ふむ。だが、…その、塚といえば、幽霊が出る、とかいう噂の…。近づけば祟りがあるのだろう?」
警官のオッタルは、及び腰だ。
「なあに。そこにいるヘグニのジイさんはお屋敷の使用人だった人だ。祟られずに墓参りする方法くらいご存知だろうよ。一緒に行ってもらえばいいさ」
「……。」
ヘグニは拒否も否定もせず、黙っている。
「うちの貨物馬車なら、ジイさんとこのロバよりゃ早いぜ。同行してくれりゃあ、夕方までに戻れるだろ」
「本官からもお願いする」
「…分かった」
老人は、頷いた。
そして、建物の陰からこちらを見ていたユーフェミアのほうに視線をやる。
「あっ…」
ユーフェミアは、思わず駆け出していた。
「私も行きます! 連れてって下さい」
「ん? お嬢さん、あんた…」
「ヘグニさんが戻って来るのを、ただ待ってるわけにもいかないでしょ。」
(それに、お父さんの実家の代々のお墓…どこにあるのか、見てみたい)
そこには、会うことの叶わなかった祖父も眠っているはずなのだ。
アトリも、オッタルも拒否はしなかった。
「まあ、お嬢さんはあの三人の顔を知っているしな。人手があるに越したことはない」
「んじゃ、早いとこ乗ってくれや。出発しますよ」
頷いて、ユーフェミアは足元の子犬の側にしゃがむ。
「あんたはお留守番よ。ヘグニさんの小屋で待っててくれる?」
「クゥーン…」
「誰もいないんじゃ困るでしょ。お留守番。ね。お願い」
子犬は、渋々と頷いた。
「いい子ね」
頭を撫でてやってから、馬車のほうに向かう。
村人たちの見ている中、馬車は、御者のアトリと三人を乗せて北へ向かって走り出す。揺れる馬車の中、ヘグニはずっと、ひどく緊張した様子で、腕を組んで難しい顔をしたまま、黙りこんでいた。
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