第12話 昇格試験3

 アミーの掛け声の後、デイルは静かにミスリルソードを構えた。二メートルを越える大男が握ると、その剣はまるで玩具のように見える。


 対するダグザは両手に手甲を嵌めただけ。だが構えは隙がなく、素人でないことは一目で分かる。年季を感じさせる佇まいだった。


「俺よりデカイ人間は初めて見るな。――見かけ倒しってオチだけは勘弁してくれよ」


 言葉と同時に、ダグザの姿が揺れる。巨体に似合わぬ加速。砲弾のような突進だった。


(速い……だが直線だ)


 デイルは冷静に見極め、ミスリルソードを振り下ろす。巨体が勝手に切り裂かれる――そう確信して。


「だからテメェは舐めすぎだって言ってんだよ!」


 刹那、剣は空を斬る。流れるような体捌きで軌道を外したダグザの拳がうねり、次の瞬間、衝撃が頬を抉った。

 視界が白く弾け、巨体が宙を舞う。観客の息を呑む音を背に、デイルは地を転がり後方へ吹き飛ばされた。


「立ちなデカブツ。そんなに強く殴った覚えはねえぞ!」


 大の字に倒れるデイルを見下ろし、ダグザが吐き捨てる。だがやがて、大男はゆっくりと立ち上がった。足取りは重いが確かだった。


「随分派手に飛んだな」


「ああ、危なかった」


 涼しい顔で答え、再び剣を構えるデイル。


(やっぱ効いてねぇな。……自分から飛んで受け流しやがった)


「俺の動きについて来れるか、面白え!」


 ダグザは獣じみた笑みを浮かべ、再び駆け出す。


 その瞬間、デイルの手からミスリルソードが投げ放たれた。高速回転する刃が迫り、ダグザは手甲で乱暴に弾き飛ばす。


「馬鹿が!」


 勝利を確信して顔を上げた――その目の前に、既にデイルの巨体があった。腰を落とし、全身をばねに変えた体勢で。


「ふんッ!」


 拳が鳩尾を抉る。肉を沈ませ、骨を響かせ、内臓を揺さぶる衝撃。


「ぐっ!」


 ダグザは咳き込みながら後方へ跳んだ。それでも笑みを浮かべる。


「……いいな。面白えじゃねえか」


 手甲を打ち鳴らし、再び構えを変える。両手を軽く広げ、手首の急所をあえて晒すように。自信と挑発の姿勢だった。


 デイルも拳を固め、オーソドックスなファイティングポーズを取る。


 ジリジリと間合いを詰め合い、空気が張り詰める。沈黙を破ったのはやはりダグザだった。


「オラァ!」


 咆哮とともに姿が消える。デイルも反応したが――遅い。

 すでに懐へ潜り込んだダグザが、掴んだ腕を捻り上げ、脇腹に肘を叩き込む。そのまま担ぎ上げ、咆哮とともに投げ飛ばした。


「うらあああ!」


 巨体が弧を描き、地を揺るがす轟音。


「ぐっ!」


 受け身で衝撃を殺すも、すぐさま下段突きが顔面を狙う。再び大地が震え、土煙が舞った。


「あ、やべえ……殺しちまったか?」


 一瞬、我に返るダグザ。しかし次の瞬間、両腕に激痛が走った。


「がっ!」


 両側から拳で挟み撃ちにされ、腕が砕かれたのだ。

 血まみれのデイルがユラリと立ち上がる。額から滴る血が床に落ちる音だけが響く。その眼差しは、真っ直ぐにダグザを射抜いていた。


 壊れた腕を見下ろしながらも、ダグザは笑う。


「いいぜ……テメェ、強えじゃねえか。まだ隠してやがるんだろ? 見せてみろよ。出し惜しむなら――」


 大きく息を吸い込む。全身が膨張し、一回り大きくなった。


「無理やり出させてやらぁ!」


 メキメキと音を立て、砕けた腕が再生していく。


「あの馬鹿!」


 ダグザの様子を見たリエナが毒付いた。

 もう試験の範疇を逸脱している。

 リエナの鋭い視線の先には犬歯を剥き出しにしたダグザ。


「さあ、もっと見せろ!」


 獣の咆哮とともに突進。速度は先程の比ではない。


「……っ!」


 デイルは咄嗟に両腕で急所を覆い、亀のように丸まった。


「うらああああ!」


 ガードの上から叩き込まれる連撃。技巧などない大ぶりの拳打――だが速く、重く、獰猛だった。

 防御の上からでも容赦なく肉体を削り、巨体を押し込んでいく。


「ぬううううっ……!」


 苦しげな声を上げるも防御を固める両腕から覗く目は冷たい光を宿していた。


 だが、端から見れば勝敗は既に決していた。身を守る事しかできないデイルと疲れ知らずの猛攻を続けるダグザ。


 猛獣のように新米冒険者に襲いかかるダグザになすすべなく殴られているデイルを見たアミーは蒼白になった。


「あたしの所為だ」


 よく考えもせずに代役を決めてしまった。自分が言って果たしてダグザが止まるだろうか。

 いや、止まる止まらないの問題ではない。止めねばならないのだ。この試験を任された担当として。


 立ち上がろうとしたアミーの方に手が置かれる。


「ア、アミーちゃん。大丈夫だから」


 見ると死にかけの大樹のような様相のアレンがアミーを止めていた。


「だ、大丈夫って何を根拠に……」


「ほらーー見てみなよ。彼……全然疲れてないよ。ダメージもーー上手く逃がしてる……後、いざとなったら僕がどうにかするよ……」


「そんな適当な事で……」


 アミーの言葉は最後まで発されなかった。


 いつまでも続くと思われたダグザの攻勢は唐突に終わりを迎える。ダグザのラッシュが翳りを見せた一瞬を付いたデイルの拳がダグザの頬を打ち貫いていた。


 ダグザがタタラを踏んで後ろに下がる。追従する様にデイルが踏み込むと同時、風を切る拳打がダグザに命中。ダグザ程の連打ではない。だが一発がまさに必殺。そんな拳だった。


 ダグザの後退に合わせて太い風切り音と共にデイルは自らの拳を打ち込む。


 肉弾戦の筈が岩と岩がぶつかり合うような音が会場に木霊する。脳を揺さぶる衝撃にダグザは笑う。楽しい。この男は合格だ。


 だがこんな楽しい殴り合いを止めていいのか?否、断じて否!人間相手で。こんな高揚、次にいつ味わえるか分からない。試験?


「そんなの!知ったことかあ!」


 デイルの拳を額で受ける。そのまま自らの拳をデイルの顔面に叩き付ける。今度は間違いなくクリーンヒットだった。鼻血を出しながらよろめいてダグザから距離を取るデイル。息を切らせたダグザが破壊的な笑顔で鳴いた。


「楽しいな!なあ!デカブツ!」


 衝動の命ずるままにデイルへ襲いかかろうとしたダグザ。その肩にすっと手が置かれる。


「そこまでだよ、ダグザ」


「……アレン。邪魔すんな。今いいとこなんだからよ!」


 試験を忘れ、本気の殺し合いに入りかけていたダグザを止めたのは、ついさっきまで腹痛で転げ回っていたはずのアレンだった。


「ダグザ。もう一度言う。終わりだ」


 か細い声だった。だが次の瞬間、場内に圧迫感が満ちる。

 重石のような気配が観客の喉を塞ぎ、息を呑ませた。


 しばし睨み合った後、ダグザは小さく舌打ちして拳を下ろす。


「……チッ。分かった。今日はここまでだ。デカブツ、名前は?」


「デイルだ」


「デイル!合格だ!今度また喧嘩しようぜ!」


 豪快に笑い、デイルの肩をバンバン叩く。


「腕を折ったはずだが……もう治ったのか?」


「おう、俺ぁ怪我の治りが早えんだ。……テメェもだろ?」


 デイルも既に鼻血は止まり、額の傷は治りかけていた。


「俺も怪我からの回復は得意だ」


「だっはははは!こりゃいい!――だが結局、最後まで武器は使わなかったな!残念だぜ!」


 心底惜しそうに告げるダグザに、デイルは短く答える。


「リサに止められてる」


「……リサ?試験で絶対使うなってか?意味わかんねぇな」


 そう言いながら、ダグザは会場の隅に置かれたデイルの斧槍を拾い上げる。そして一瞬動きを止めた。


「……はっはっは!なるほどな!こりゃ確かに試験向きじゃねえ!ほらよ!」


 放り投げられたそれを、デイルは難なくキャッチする。


「デイルさん……」


 背後から声をかけられ振り向くと、そこには干からびたキノコのように萎んだ金髪の男――アレンが陽炎の様にユラユラと立っていた。


「……大丈夫なのか?」


 デイルの第一声がそれだった。

 先ほど会場を圧倒した存在感と同じ人物とは、とても思えなかった。


「朝に比べたら良くなったよ……僕も回復力には自信があるんだ」


「……そうか、郊外の森の近くにエリナという腕のいい薬師がいる。酷いようなら案内するが……」


「ああ、うん有り難う。でも大丈夫。薬はもう飲んでるから……自己紹介がまだだったね。僕はアレン。君達の試験官を務めた黒鉄の翼のリーダーをしている。今日は済まなかったね。うちのダグザが……まぁ僕がこうならなかったら何の問題もなかったんだけど、ははは……」


「何故そんな痛ましい姿に?」


「いや、これには深い理由が……」


「毒キノコに当たっただけだろうが」


 隣で話を聞いていたダグザが、あっさり暴露する。


「ーーキノコは危険だ。素人が勝手に摘んで食べるものじゃない」


「うぐっ……」


 デイルをして痛いところを突かれたからか、単に腹が痛むのか分からない呻きを上げるアレン。


「だって……気になるだろう? 見たことない色のキノコとか……味とか……」


「……無いな」


 即答するデイル。

 アレンは目を逸らしながら、さらに小声で弁解する。


「……いや、でも、ほら……たまに当たりがあるんだよ。美味しいやつとか……」


「……それで外したんだな」


「ぐぬぬ……」


「どうした?腹が痛むのか」


「心も痛い。ーーまぁなにはともあれ合格おめでとう!これからも冒険者仲間として宜しく頼むよ」


 そう言って腹を抱えたアレンはよちよちとデイルの元を去って行った。


「結局彼は何をしにきたんだ?」


「すまん。アイツ目立ちたがりやなんだ」


「そうか。難儀なものだな」


 ダグザも去って行った。


 デイル達のそんなやり取りの間にも試験は進む。その後の試験も滞りなく進み、無事終了したのだった。







 ーー







 試験が終わり地上に帰って来たデイルは帰ろうとしたところを呼び止められた。


「デイルさん待って待って、待って下さい!」


 振り向くと桃色の髪を靡かせながら駆け寄って来る。アミーだった。デイルの元まで来ると息を整え、満面の笑顔で手に持ったカードを差し出してきた。


「合格おめでとうございます。Dランクの冒険者カードです」


「……そうだったな」


 二人の間に妙な沈黙が流れる。


「ーーもしかして忘れてました?」


「色々あったからな。失念していた」


「ーーええー……」


 何か言いたげなアミーからカードを受け取り確認する。カードにはしっかりとDの文字が刻まれていた。


「助かった……名前を聞いてもいいか?」


「……アミーです。よくリサ先輩といますよ。あたし……」


「そうか、有り難うアミー」


 そう言ってくるりと背を向けたデイルの服がまたしてもガシリと掴まれる。


「待って待って、そんな逃げるみたいにいかなくてもいいじゃないですか。少しくらいお話しましょうよぅ。ここで時間をつぶして……じゃなくてデイルさんの事も気になりますし」


「……何を話す」


「ーーどうしましょうか。」


 気まずい沈黙が流れた。


「帰る」


 もう要はあるまい、とばかりに背を向けるデイルをアミーがぐわしと掴んだ。


「待って待って、分かりました。あたしが話題提供します!ーーリサ先輩とはどこまで行ったんですかぁ?」


「ーーリサ?」


「はい、リサ先輩」


「先日、武器屋までは一緒に行ったが……」


「え?リサ先輩と?嘘嘘!まじ?ヤダそれデートじゃん!」


「そうか」


「そうですよ」


「だそうだがリサ、どうなんだ?」


 デイルの言葉はアミーの頭を飛び越えて後方に控える誰かに届けられた。アミーは錆びついた絡繰人形のような動きで後方を振り返る。


「り、リサ先輩!?」


 アミーは見た。腰に手を当て、ニコニコしたリサをーー因みに目は一ミリも笑っていない。背景には炎が揺らめいているような幻覚が見える。


「随分返って来るのが遅いから様子を観に来たんだけど、なんだか面白そうな事を話してたから。思わず聞き入っちゃった」


「因みにどこから聞いてました?」


「リサ先輩とどこまで行ったんですかぁ?の下りからかしら」


 アミーの真似をしながらニコニコと答えるリサ。


「デイルさんも余り人に言いふらさないでよ!」


 矛先がデイルにも向いた。


「よくわからんがすまん」


「よくわからんがは余計なんです!もお!なんでそう余計な事を……」


 デイルがリサに詰められている隙を付いてリサの横を通り過ぎようとしたアミーの後ろ襟首をぐわしと掴むリサ。アミーの口から潰れたカエルのような声が出る。


 この日定時で帰ろうというアミーの目論見が叶う事はなかった。

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