第5話:まだ終わってないのに来年の話
### 第5話:まだ終わってないのに来年の話
「いやー! 『キンシャサ・エレキ・ソウル』! ブラボー! ブラボーですわ!」
デヴィ夫人は、立ち上がって惜しみない拍手を送っていた。その目には、うっすらと涙さえ浮かんでいるように見える。フワちゃんも「マジやばかった! あたしの地元、八王子のお祭りもこのソーラン節にしてほしい!」と大興奮だ。
日本中の視聴者が、今しがた目撃した圧巻のパフォーマンスの余韻に浸っていた。
田中も、放心状態のままテレビ画面を見つめている。
「…すごかったな。なんかもう、全部すごかった」
「ねぇ。ナイジェリアもブラジルもコンガも、みんなすごかった。日本のラッツ&スターも」
由美がうっとりと言う。
すべての出場者のパフォーマンスが終了した。
あとは結果発表と、グランドフィナーレを残すのみだ。
当然、誰もが「優勝はどこだ?」という話題で持ちきりになるはずだった。SNSも、どのアーティストが素晴らしかったかで盛り上がるはずだった。
しかし、この番組は視聴者の想像の、常に斜め上を行く。
司会の二人がステージ中央に戻り、フワちゃんが進行台本を覗き込んだ。
「ってことで、全アーティストのパフォーマンスが終わったわけだけどぉ…」
フワちゃんは、そこでニヤリと笑うと、デヴィ夫人に耳打ちした。何事か囁かれたデヴィ夫人は、最初は「まあ、あなた何を…」と驚いた顔をしたが、やがて悪戯っぽく微笑んだ。
デヴィ夫人が、マイクを握り直す。
「みなさま。素晴らしい歌の数々、いかがでしたでしょうか。審査の結果も気になるところではございますが…」
彼女はそこで、わざとらしく間を置いた。
「わたくし、**もう来年のことが気になって仕方ありませんの!**」
「え?」
田中は、思わず声を上げた。
まだ、今年の歌合戦は終わっていない。結果発表もこれからだ。
だが、デヴィ夫人はお構いなしに続けた。
「わたくし、来年はぜひ、モンゴルの歌い手をお呼びしたいですわ! あの、喉を震わせる『ホーミー』という歌唱法で、さだまさしの『関白宣言』を歌ったらどうなるのかしら!」
「いいね、夫人! それ超ウケる!」
フワちゃんも乗っかる。
「あたしはねー、ペルーがいい! アンデスの民族楽器サンポーニャで、ユーミンの『春よ、来い』とか吹かれたら、絶対泣いちゃうんですけどー!」
司会者二人が、勝手に来年の構想を語り始めた。
スタジオの観客は、最初はポカンとしていたが、やがてその突拍子もないアイデアに「おぉー!」と沸き始める。
審査員席に座っていた、なぜかキャスティングされていた武田鉄矢が、マイクを握って立ち上がった。
「いや、夫人! モンゴルもいいですが、ここはやはりインドでしょう! インド映画ばりの100人規模の群舞で、『贈る言葉』をやっていただきたい! 私も踊ります!」
何を言っているんだ、この人は。
もはや、誰も今年の優勝がどうなるかなんて気にしていなかった。
カメラは、ステージ袖のアーティストたちを映す。
ラッツ&スターの鈴木雅之は呆れたように首を振り、ナイジェリアのアデクンレは「インド!いいねぇ!」と満面の笑み。コンガのパトリスは、ただ静かに微笑んでいる。
このカオスな状況に、SNSは瞬時に順応した。
『結果発表まだなのに来年の話www』
『気が早すぎるだろwww』
『でもインドの贈る言葉は見たい』
『モンゴルの関白宣言も捨てがたい』
『#来年の南北統一歌合戦で見たい曲』
あっという間に、新しいハッシュタグがトレンドを駆け上がっていく。視聴者も、この無軌道な祭りに参加し始めたのだ。
テレビの前で、田中と由美も、いつの間にかその話に夢中になっていた。
「なあ、エジプトとかどうかな? ピラミッドの前で、西城秀樹のY.M.C.A.とか」
「あ、それいい! じゃあ私は、トルコの男性ベリーダンサーに、郷ひろみの『2億4千万の瞳』を踊ってほしいな!」
夫婦は顔を見合わせて、吹き出した。
「なんだこれ、楽しいな!」
「ねー!」
結局、その後の結果発表は「感動をありがとう!全員優勝!」という、誰もが予想した通りの(そして、誰もが納得する)結末を迎えた。
最後は、出演者全員で『上を向いて歩こう』を、それぞれの国の言葉を交えながら大合唱し、番組は幕を閉じた。
テレビが消え、静寂が戻ったリビングで、田中はしみじみと呟いた。
「…とんでもない番組だったな」
今年の勝敗なんて、もはやどうでもよかった。
心に残っているのは、国境も文化も軽々と飛び越えていった、とてつもない音楽の熱量と、「来年は何が起こるんだろう」という、途方もないワクワク感だけだった。
大晦日の夜は、まだ始まったばかりだ。
田中は、スマホを手に取り、Xにこう投稿した。
『#来年の南北統一歌合戦で見たい曲 トルコの男性ベリーダンサーによる「2億4千万の瞳」に一票』
その投稿は、すぐにいくつもの「いいね」に照らされた。
日本の年越しは、もうこの番組なしでは考えられない。誰もが、そんな予感を抱いていた。
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