第5話 忍びの火、将軍の逃避
導入:泥沼の攻城戦(天文10年8月)
細川晴元(高橋一生)の命を受けた長慶(宮沢氷魚)は、同族の政長や有力武将らと共に、高国残党の拠る摂津の一庫城を攻囲していた。長慶は主命と割り切って戦に臨むが、重臣の松永久秀(香川照之)はどこか不満げだ。
「若様。我らが力を削るのは、本意ではございますまい」
「今は主命。久秀、私情を挟むな」
しかし、この攻城戦はすぐに行き詰まる。城主・塩川国満の姻戚である伊丹親興らが、将軍・足利義晴に不法性を訴える一方、木沢長政(阿部サダヲ)に援軍を要請したからだ。
対立:長政の野心
木沢長政は、長慶との和睦の立役者でありながら、その実、河内、山城、大和を股にかける巨大な野心を持っていた。長政は自らの大軍を率いて、越水城を狙い三好軍の背後を衝こうとする。
長慶は、その動きを察知すると即座に決断を下す。
「撤退だ。長政の狙いは一庫城ではない。我々の首、そして越水城よ」
長慶は攻城戦を放棄し、全軍を率いて迅速に越水城へ帰還。その翌日、長政の軍勢は越水城を取り囲む。
屈辱:京を去る将軍と管領
長政は軍を率いたまま、京都へ入り将軍・義晴(尾上松也)に「御警固」を申し出る。しかし、長政が畠山長経を弑殺し、幕府の裁可を無視して笠置城を築城するなど、その専横ぶりは将軍家の嫌悪の的となっていた。
義晴は、長政の「警護」を「恫喝」と受け止め、静かに近江守護・六角定頼(中村芝翫)の元へと逃れる決意をする。
10月29日、細川晴元が北岩倉へ。翌30日、足利義晴は白川口から京を脱出し、近江坂本へと逃れていく。
京が空になったことで、警護すべき将軍を失った長政は、しらけムードの中、河内へと引き上げていく。
長慶は越水城の天守からこの騒動を冷静に見つめていた。
「将軍は、武力でなく権威を捨てた。晴元公は、居場所を失った。長政は、大義名分を失った...」
情報戦:伊賀の炎
北岩倉に退いた晴元は、長政討伐の焦りを強め、長慶を頼りにする。そして、伊賀守護・仁木某(滝藤賢一)に御内書を送り、長政の拠点である笠置城の攻略を命じる。
11月下旬。仁木某が率いる伊賀、甲賀の忍者部隊七十余人が、静寂の夜、笠置城に潜入する。
「これが、忍びの戦(いくさ)か…」
伊賀の忍びは音もなく城郭の一部に火を放ち、混乱を起こすが、長政軍の反撃にあい、二日後に撃退されてしまう。しかし、この**「記録上に残る最古の忍者部隊の活動」**は、戦の様相が変わりつつあることを示唆していた。
結集:反長政の包囲網
一方、晴元の同盟者である南河内守護代・遊佐長教(小林薫)は、長政を討つため、紀伊の国人衆を懐柔。根来寺、高野寺、粉河寺の僧兵までも動員しようと画策する。
晴元も長慶らを伴い、12月8日に北岩倉を出て芥川山城に入城。三好勢力を結集させ、長政討伐の態勢を整える。
木沢長政も笠置城を出立し、木津川を下り山城井出あたりに布陣。両軍は木津川、淀川を挟んで対峙し、緊張は極限に達したまま越年を迎える。
長慶の静かな目は、淀川を挟んだ対岸にいる長政の野心と、背後で巨大な武力を動員しつつある遊佐長教、そして伊勢湾を渡ろうとしている紀伊の僧兵たちの動きを、すべて見通していた。
「戦は、すでに始まっている...」
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