第3話 転生……した。


 再び目を覚ますと草の香りがした。


 俺はけだるい意識のまま、薄っすらと瞼を開く。

 眩しい日差しが飛び込んで来た。


 ぼんやりとした視界が徐々にはっきりとし、気持ち良い風が頬を撫でる。

 不明瞭な心持ちの中、横向きに寝ている俺の瞳に入り込んだ光景。

 鬱蒼とした原生林が密集する森だった。


 とは言え、穏やかな日光が気持ちいい。

 湿度を帯びた緑の香りと空気がやけに新鮮だ。

 ごろりとあお向けになる。

 大空は青く広がり、遠くでワイバーンが飛んでいる。


 ん? ワイバーンだと! 


 俺はがばっと体を起こした。

 慌てて周囲を警戒すると、一応安全みたいだ。


 寝ていた場所はぽっかりとした広場。

 およそ十メートル程の円形。

 暗い森の中で明るく光が降り注いで来る。

 何かの祭場か?

 石で作られた祠がすぐ後ろにあった。


 座っている俺を中心に、縦長い三メートルくらいの岩が周囲五か所、垂直に地面に突き刺さっている。ストーンヘッジっぽいな。


 ふと右手に手紙を握っているのに気がつき、中身を広げた。

 墨字で堂々とした書体の文字が記されている。


 それは神木さんからの手紙だった。


「やぁ、転生おめでとうなのだよ。

 まず最初に、わしの行ったペナルティだが安心してくれ。

 寿命を操作というのは、何も君を早死にさせるという意味ではないのだよ。


 女神である娘達はそう思っただろうが、君に特別な加護を与える為の方便だ。

 わしも立場があるから、脅かしてすまなかったのだよ。

 君を転生させる予定が、思わずディアが言いだしてくれたおかげで、さらに加護を足せて結果として良かったと思っているのだよ。


 君は病気になりにくい体になり、勿論寿命は伸びる。

 さらに年齢を十歳ほど若返らせておいたのだよ。

 いまの君は十七歳の肉体を持つ。

 若い頃から働き詰めの君は、これから青春を大いに楽しんでもらいたいのだよ。


 この世界は君らが言う異世界だ。

 魔法も魔獣も存在する。

 どうじゃ、わくわくするだろう。

 君は冒険をするもよし、再び金を貯めカフェを経営するもよし、旅をし観光をするもよし、なんでも自由なのだよ。


 女神達が無茶な加護の言い争いをしていたが、恐らく自制をし与えたであろう加護で、君は中堅の冒険者並みの力はあると思う。

 余程の事がない限り危険はないのだよ。


 思う存分、第二の人生を楽しんでくれ。

 ちなみにさっきのコーヒーは最高だった。

 また君のコーヒーが飲める日を楽しみにしているのだよ、では!」


 そこで終わっていた。


 俺は異世界転生というものを本当にしたらしい。

 服をみるとそれらしい中世風の上下を着ていた。

 肩からたすき掛けに鞄も掛かっている。

 中を見ると何も入ってない。

 ちなみに初期装備の剣もない……。


 おーい、神木さん、武器と食料と回復薬くらいは欲しかったです。


 俺は恨めし気に天を仰いだ。








 

 しばらく心の整理をする為、ぼーっとする。


 俺は死んだ、そして生き返った、いや転生した。

 人生はリセットしたのだ。


 もう家族も友人もいない。

 俺は天涯孤独で一人ぼっちだ。


 日常の便利な状況も一切無くなった。

 ネット環境もなく、スマホでググる事も出来ない。


 そもそも、ここがどこかも分からない。


 何らかのチュートリアルな説明がある訳でなく、何一つヒントがない。


 「ステータスオープン」と声に出したが、清々しいくらいに無反応だった。

 当然、脳内に謎の声も響かないし、マップも出ない。

 格闘系の動きをしてみたが、特別なエフェクトが生まれる訳でなく普通だ。

 魔法も出ないし、スキルもわからない。

 

 確実なのは、十歳若返っているという事。


 鏡がないので顔は見れないが、間違いなく俺は十七歳に戻っている。

 なぜなら過酷なバイトで鍛え上げられた自慢の細マッチョな体は、悲しいかな少し頼り無げに細くなっていた。


 胸板は薄く、腕周りも細い。

 ほんのちょっぴり自尊心を持たせてくれていたシックスパックも消えていた。


 もしかして、身体強化と若返りはトレードオフになっていないだろうか?


 若返りをし無くした体力を強化が補い、結果プラマイゼロな気がしてならない。


 さらに知恵が上がっている自覚はない。

 例えば後ろにある石の祠。

 その壁に書き込まれている不可思議な古代文字。

 まったく読めない……。

 どうも知識が急激に増えたというわけではないらしい。


 まあ、知恵というのはひらめきだ。

 多分、俺がDIYで犬小屋を作れば、きっと上手な段取りでスムーズに工夫し作れるだろう。

 そんな程度だと諦めた。


 若返った体を触ってみたが、ぷにぷにしている。

 防御に至っては劣化してないか?


 整理しよう。


 武術は無理。

 身体強化は若返りとトレードオフ。

 魔法は発動出来ず。

 スキルに至っては謎仕様。

 知恵なんて曖昧なものは体感出来ず。

 防御力はダウン。


 以前と変わらないと言うか、弱体化している。

 気楽に転生チートで無双する流れではないみたいだ。


 まぁ、それでもいい。


 俺は生き返った。

 あの火事現場で抱き締めたコーヒーの豆袋の感触。

 焼けた木材に埋もれ、体がきな臭く焼け付く絶望感。

 俺はしっかりと覚えている。


 だが、世界は違えど、こうして生きている。


 この「転生」という特典そのものが、とても有難いことなんだ。

 神木さんが言う「わくわくした日々」を送りたいものだ。

 



 さて、気を取り直したところで今後の方針だ。

 定番コースとして、村か都市を目指す事にする。


 幸い祠の後に物見台らしき円形の塔がある。

 高さ二、三十メートル程で結構高い。


 綺麗に成型された石。

 それらを積み重ね作られた古色蒼然とした建物。

 俺は近づくと、入り口らしき木製の扉を開いた。


 空気がひんやりし、少しかび臭い。

 上を見上げると、頂上から光がこぼれていた。

 塔は直径三メートル程と狭く、階段はない。

 代わりに煙突の横などにあるコの字型の登り梯子が内側にあり、上まで続いていた。


 梯子に手をかけ登り始める。

 結構な距離だ。

 暗く狭いので、なかなかスリルがある。


 しばらく登ると腕が疲れてきた。

 発汗し、呼吸も苦しく、息があがる。

 身体強化のしの字もない。

 トレードオフでなく、残念ながら体力が落ちているのは確定だ。


 俺はバテながらも懸命に進む。

 ゼイゼイ言いつつ何とか頂上にたどり着いた。


 出口から外を覗いた。

 塔を囲うように、ぐるりとドーナツ状に手すりのついた足場がある。

 それに乗ると、汗ばんだ額の表面をふわっと風がそよぐ。


 そこからの絶景に、思わず目を奪われた。


 遠大に広がる森林、悠然と佇む山岳地帯。

 ゆったりと流れる雲、どこまでも広がる紺碧の空。

 遥か先には、スケール感が有り得ない巨大な樹木が見える。


 世界樹とか名がついていそうだ。


 見たこともない鳥類の群れが、日の光を鮮やかに浴び飛翔する姿も美しい。

 一応足場を一周してみた。

 この目を奪われる広大で美しい森の絶景は、三百六十度のパノラマだった。



 つまり、ピンチだ。



 人間の住む村や都市はまるでなく、誰かの焚き火の煙すら見えない。

 まいったな。

 俺は早速詰んだ。

 軽く目眩を覚える。

 ため息交じりに再び塔を降り始めた。


 仮に整地されていない森を歩くとする。

 時速は最高でも三キロが限界だろう。

 八時間歩きっぱなしでも、最大二十四キロ。

 

 現在の体力だと、休憩込みで一日十キロ程度だろうか?

 最悪食料が手に入らない場合、活動限界は一週間くらい。

 強行軍で毎日歩き続け、十キロ×七日で七十キロ。


 塔から軽く見渡した範囲は、恐らく数十キロ。

 迷わず直線で進み、活動限界内で森を切り抜け、運よく村や町に辿り着かねばならい。


 かなり厳しいな。


 雨風をしのぐテントもない。

 常識として、水と食料が必要だ。

 最悪、水だけでもなんとかしないといけない。


 見渡した範囲に大きな河や湖はなかった。

 つまり森林に隠れた池や川を探すのが急務だ。

 川があれば、下流に村がある確率は高い。


 さらにこの世界の日照時間もわからない。

 果たして昼夜の時間はどれくらいなのか……。


 気温は幸いにして心地良いので、二十度前後と考える。

 夜間は少し冷えるかもしれない。

 この薄着で耐えられるだろうか?


 手紙にも書いていた。

 この世界には野生の動物は言うに及ばず、魔獣の類もいる。


 素人が戦うには無理がある。

 やり過ごすのが正しい選択だ。

 エンカウント率が低い事を熱望する。


 知識なし、情報なし、食料なし。

 ガチのサバイバルだ。

 なかなかタフだが仕方ない。


 俺は塔を降り、元いた広場に戻った。


 耳を澄ます。

 全く素人見解だが、危険な動物は周囲にいない……と思う。

 心を決め、まずは行動だ。

 適当な方角を選び歩こう。


 と思った矢先、突然、眼前の木影から何かが現れた。 

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