File17 -無に至る病
今日も来たか。
飽きないものだね。
話を聞くのが楽しい?
嬉しいこと言ってくれるな。
そんな君のためにも、変わらず話をしよう。
タイトルは「無に至る病」。
◇◆◇◆◇◆
世の中には"因果"という考え方がある。
あらゆる出来事には必ず原因が存在し、その発生により結果が決まるという物だ。
よくSFなどで聞くパラレルワールドなんかは、原因の差により結果が変わる、という単純な物だ。
さて、この因果だが。
哲学と科学の両面からすでに定義されている。
科学では原因から結果を。
哲学では結果から原因を。
アプローチは別だが、両極端とも言える部門で同じ事を考えていたとは、とても興味を惹くね。
科学と哲学。
それぞれが因果に考察する中で必ず交錯する箇所が存在する。
それは過程だ。
原因から結果を予測するにも。
結果から原因を探るにも。
必ず、同じ過程にたどり着く。
交わらないと思われた科学と哲学が一時的に融合するんだ。
例えばある現象があったとしよう。
それは、科学的には不十分で──哲学的にも不条理で──だが、"過程"としては正しい。
そして、そこにこそ価値を見出す者がいた。
なぜ価値を見出したか。
それぞれの学問で定義されていない、新しい視点が得られると信じていたんだ。
これから話すのは、過程に振り回された、ある男性の話だ。
彼はある悩みを抱えていた。
それはとても慎ましやかで、それでいて彼には重大なもの。
習慣だ。
無意識でついやってしまう行動や口癖、と言い換えてもいい。
足を組むときに必ず右足が上になる。
考え事の時、頬を膨らませる。
歩く時、右手より左手の方が振る幅が大きい。
そんな取るに足らない、正直どうでもいいことばかりを悩んでいた。
なにを思ったのか、解決のために独自の研究をし始めた。
科学者でも哲学者でもないのにね。
だが得られる情報は限られる。
例えば右足を上にして足を組むことだが。
科学的に見れば、利き足の関係やリラックスできるポーズだと。
哲学的に見れば、右は秩序や理性の象徴であるから自己の秩序が表れていると。
で、だ。
最初に述べたように科学と哲学では検討の順序が違う。
それを踏まえると、
科学的にはイライラしたからリラックスのために足を組む。
哲学的には秩序を欲したがために右を上げた。
その交錯──つまり過程は。
自分の思い通りに事が進まなかったから。
その結論が出た彼は大層驚いたそうだ。
まさか自分の中に我の強い部分があったとは、と。
ただ思い返せば、当てはまる事は幾度もあった。
だから、過程の思いこそが自分の根底だと受け入れた。
……私からすれば、そう思い込んでしまった、と感じるがね。
最初に言っただろう?
過程に振り回された男の話と。
科学や哲学は、現象を考察するにあたり素晴らしいツールだが、そこに結果を求めてはならない。
彼が見つけた、思い通りにならない、などはツールから自分はこうだろうと連想しただけだ。
第三者検証が無い時点で、それが内面のこととはいえ、正確性は保たれていないんだ。
だが、彼の中では納得しうる真実だ。
それにより視野狭窄に陥り過程を盲目的に信じ始めた。
自分はこう思っている、こういう存在なんだ、深層心理が生み出すイデアにしかすぎない。
だから『自分は悪くない』と。
◇◆◇◆◇◆
さぁて。
彼の話はどうだった?
因果も因果律も捨て過程のみを求める、過程でしか存在を保てない彼の話は。
タイトルも単純明快、彼のことを指しているだけ。
ただね。
過程というのは、必ず原因と結果に挟まれてでしか存在しないんだ。
始まりと終わりを否定し、それでもそこに居る彼は。
因果から切り離された彼の行き着く先はあるのだろうか……。
いやぁ、思いの外深い話になってしまった。
これも『彼』という、この話の過程が長すぎたからかな。
何事もほどほどが一番だよ。
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