第8話


 地下二階へ下りていくと磯の匂いが漂ってきた。地下三階に続く階段を覗くと、水が地下三階の入り口から入ってきていた。

「水漏れかな?」

「この匂いは海水ですね、鮫神の影響でしょう」

「鮫神は海水を出すこともできるんですか?」

「神の御業です。何ができて何ができないのか、私には推し量れません」

 美咲の言葉は投げやりなようで頼りなかった。今までおきたことを考えると海水ぐらいで驚いてはいられない、蓮と結愛もそういうものかと納得するしかなった。

 この先の困難を象徴するような地下三階の海水を眺めていると、蓮の玉が光った。蓮は慌てて玉からホホジロザメを出す、結愛と美咲は蓮の後ろに隠れた。

 地下三階の海水の上を泳ぐようにして、小さい鮫が現れた。ホホジロザメは即座に食いついた。小さい鮫はホホジロザメに気が付く前に喰われてしまった。続く小さい鮫はおらず、海水が静かに波を立てるだけだ。蓮はホホジロザメを玉に戻した。

「やはり鮫は地下三階から上がってきているようですね」

「儀式が始まったのは停電と同時ですよね? それにしては地下一階に到達するまでの時間が早すぎると思うんですが?」

「……なるほど。では、地下三階以外にも鮫が出現する場所があるか、素早く移動する方法があるのかもしれません」

「ポップ地点が発見出来たら、経験値稼ぎができるかも。ホホジロザメの次の進化は、どんな姿になるのかな――」

「小さい鮫が出てくる数に限界はあるでしょうが、どのくらいの数かは想像もつきませんね」

「地下三階に千匹位いたらどうしよう……ホホジロザメでもお腹いっぱいで食べきれないよ」

「そんなにいたら儀式どころではないですね」

「そうだね。サメ映画じゃなくてゾンビ映画になっちゃうね」

「なんにしても、今は地下三階には近づかない方がいいようですね。後々行かなければいけないのでしょうけど……」 

「地下が海水で水没しないかな……」

「たぶん大丈夫です。この儀式はある程度ですが、人がコントロールしていますから」

 地下三階の話はそれで終え、非常階段の出口から地下二階へと踏み入れた。周囲を見渡すとその惨状は地下一階と変わらぬものであった。倒れた人とその周りに血と肉片が散らばっていた。動く人は見当たらず、蓮はこの中に拓也がいるのではないかと不安になった。結愛は恐る恐る女性の死体の顔を覗いている。顔を確認した後、ホッとしていた。そういえば結愛は友達とデパートで遊ぶと言っていた――。

「拓也さんは私と別れた後、中央ホールに向かいました。そこに向かいましょう」

 美咲は先頭を切って中央ホールに向かった。中央ホールから非常階段側は複数の雑貨屋と面積の半分ほどを占めるおもちゃ屋がある。蓮は周囲の建物の影や店の中に鮫がいないかと不安だったが美咲についていった。美咲は周りの店を素通りし、中央ホールに向かう。

 中央ホールは二十メートルほどの幅で、非常階段側からはくぼむような低い位置になっており、反対側のエスカレーター側はこちらより高い位置にある。

 中央ホールの深さは二メートルほどで階段の端にスロープが付いている。ホールの周りにはアジサイの造花が飾り付けられていて、ホールの真ん中には七夕用の笹が設置されている。中央ホールに近づいていくと、多くの死体と思われる倒れた人と、血痕が増えていった。蓮は死体の負傷状態を見て、小さい鮫に襲われたのではなく、ヤリザメのように大きな鮫に襲われたのだろうと思った。

 警戒しながら中央ホールに向かっていると轟音が聞こえてきた、その音は建物が震えるほどで地下空間を反響してどこからの音か分からなかった。三人は立ち止まり狼狽えていると中央ホールから男が階段を走って上ってきた、そしてその背後に濁流が流れてきた。三人は後ずさりしながらデパートの地下二階に大量の海水が流れ込むのを呆然と見ていた。海水は中央ホールに流れ込み、徐々に水かさを増やしていった。水の流れる先を見るとそこにあるはずの壁がなく、黒い空間が広がっていた。水は黒い空間の先に滝をつくって落ちていく。もし壁があれば、あっという間に中央ホールから水があふれ、こっちに濁流が流れてきただろう。

「ふぅ、危なかった。 いきなり水が流れ込んできやがった――上は水没してるのか?」

 濁流から間一髪で逃げてきた男が吐き捨てるように言った。男は短髪の金髪、耳に金のリングピアス、金のネックレスに赤色のシャツ。

 蓮は男に見覚えがあった、地下一階のエスカレーター前で女に「人殺し」と呼ばれていた男だ。停電の混乱の隙に地下二階へ逃げたのだろうか、なんにしても会いたい相手ではなかった。男はこちらの存在に気が付くと近づいてきた。

 すると、蓮の玉が光りだした。あの男、玉を持っている――面倒なことになった、蓮は腹をくくるように玉からホホジロザメを出した。男は驚き、距離を取った。

「お前! あの男の仲間か!」

 男は慌てて蓮から距離を取った。

「貴方、この玉と同じものを持っていますね?」

「……ああ、持ってるぞ。 そうか玉が熱くなったのは他の玉の存在をしらせたのか」

 男は尻のポケットから玉を取り出して光っている玉を眺めた。

「その玉はどうやって手に入れたんですか?」

 蓮は男に問いかけた、もし男が……ある意味では当たり前だが、人を殺して玉を手に入れたと答えた場合、蓮はどうするべきなのだろうかと悩んだ。自分も結果的には人を殺して玉を手に入れている、目の前の男が同じことをやったとして非難はできない、たとえ人殺しと呼ばれていた男でもだ。この通常では考えられない特異な状況が自分の命を守るための殺人、正当防衛のハードルを大きく下げている。地下一階でヤリザメを操る男を見た後なら、なおさらその思いが強い。

「……白髪の男を倒して手に入れたんだ。そいつはこの玉の鮫を使って人間を殺して回ってた。この辺りの死体は。ほとんどがそいつがやったんだ。俺がそいつから玉を奪わなければ俺は死んでた」

 おおむね蓮の想像通りの答えが返ってきた、次の答え次第で蓮は決断しなければならない――いい答えは返ってこないだろうが。

「その玉をこちらに渡してください」

「断る。こいつがないと俺の命が守れない」

 もっともな答えだ。自分が逆の立場なら渡さないだろう。それでも蓮は彼から玉を取り上げたかった、どうしても地下一階エスカレーター前での一件が男をとても危険な存在だと思わせた。

「お前たちはこの玉のことを知っているのか?」

 蓮は美咲を見た、美咲は成り行きを見守っていたが男の問いに答えた。

「私たちが生き残るにはその玉が必要なのです。玉が全て揃わなければ外に出ることもできませんし、時間内に全ての玉を揃えなけれ地下にいる人間は全員死にます」

 男は信じがたいといった顔だったが、美咲の具体的な説明に興味は示したようだった。

「詳しく話してくれ。内容次第では玉を渡す。だが、その前に場所を変えよう。ここじゃ落ち着かねえ」

 蓮は男の言葉に従うことにした。地下一階での揉め事を結愛と美咲は知らない、自分がここでそのことを指摘すれば二人は彼のことを拒絶するかもしれない。彼は少なくともすぐにこちらを襲ったりはしないぶん、地下一階のヤリザメ使いの眼鏡の男と違って話が通じるだろう。

 声をかき消す濁流の音を避けるために四人はその場を離れた。地下一階に戻るわけにはいかない。拓也は地下二階にいる、こっちに来るかもしれない。近くにあるのは雑貨屋とおもちゃ屋だ。

「喉が渇いた、飲み物が飲みたい。確か、あのおもちゃ屋、お菓子やジュースも売ってたな……」

 男はおもちゃ屋に向かって歩き出した。三人はそれを追っておもちゃ屋に向かった。おもちゃ屋の店名はいつもと変わらぬカラフルな色で出迎えてくれるが、薄暗い明りの中ではどこか弱々しい。中も他と変わらず薄暗く様子はよくわからない。

「鮫がいるかもしれないから注意してください」

 蓮は中に入る男に背中から声をかけた。男は立ち止まりこちらを振り返った。

「そうだな、手分けして店の中を確認しとくか。話の邪魔をされてもうざいからな」

「そうですね、鮫から隠れている人もいるかもしれませんし……」 

 美咲は店の中を見渡しながらそう言った。少なくとも見える範囲では血や死体は見当たらなかった。生存者がいてほしいとの美咲の願いが叶う可能性はまだあった。

「俺は右回りで探す、そっちは左回りだ」

 男はレジカウンター近くにあったガムを手に取りながら言った。蓮は左側を見ると服やクッション、寝具関係のエリアだった。食べ物の気配は一切なかった。蓮と結愛、美咲は周囲を警戒しながら店の奥に進んでいった。

 店内は音楽も流れず静まり返っていた。静かなおもちゃ屋はこんなに寂しいものなのだと蓮は知った。

「呼びかけとかした方がいいのかな」

「そうですね、鮫と間違われて襲われるかもしれませんし」

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