第9話
三人は声を出しながらフロアを進んでいった。店の奥も血が見当たらず、鮫が人を襲った痕跡はなかった。この儀式が始まったのはデパート開店後すぐのことだったのでまだ来店客も少なかった、店を訪れる子供たちもいなかったのかもしれない。それでも従業員はいるはずだ。呼びかけに答える人がないのは、地下一階に逃げたからだといいが、蓮は静まり返ったおもちゃ屋を歩きながら思った。
三人が左側の捜索を終え右側に向かうと、男がこちらに手招きしているのが見えた。手にはペットボトルを持っている。彼の後ろには大きな扉があった。扉には関係者以外立ち入り禁止の文字。そして扉の下には血痕が付いている、それは扉の奥に続いてるようだった。小さい鮫は人を引きずったりはしないだろう。怪我をした人が逃げたか、大きな鮫が人を引きずったか――。
「何かあったか?」
「こっちには何もありませんでした。そちらは?」
「死体はなかった。あったのはこれだけだ」
ペットボトルを口に持っていきながら逆の手で扉の下を指さした。中からは声や音は聞こえてこない、手遅れかもしれないとその場の全員が思った。
「入ってみましょう」
蓮は玉を握りながら扉を押し開けた。鮫が飛び掛かってきたらすぐにホホジロザメを出さないと自分の身が危ない。男がそれ見て自分の玉をポケットから取り出したのを見て美咲が言った。
「同時に鮫を出さないように気を付けてください。持ち主の意思に反しても鮫同士で戦い始めますから」
「その話、ホントなんだろうな?」
「ええ、そういう存在ですから――」
男は怪訝そうな顔で蓮に続いて扉の中に入った。そこは倉庫で段ボールに入った商品やパネルなどが置かれていた。血痕は奥に続いている。
男は倉庫に置いてあった工具箱に興味を引かれたのか、中を確認している。
蓮は倉庫の中を隠れている人がいないか声をかけながら覗いて回った、しかしここも人や血は見つからなかった。奥から引き返し扉の前まで来たとき、男が血の跡を追って奥に向かうところだった。
血が続いている先は、事務所であろう部屋だった。部屋の扉は壊れているようで、破片が散らばっている。何かが扉を壊して中に入ったようだ。もちろん何かとは鮫だと思われる。
男が警戒しながら部屋を覗き込むと男の手に持っている玉が光りだした。
部屋の中から小さい鮫が飛び出してきた。地下一階で見た地を這う鮫と同じ姿だった。男の手に持っている玉から鮫が出ると同時に目の前の鮫に喰いついた。喰われた鮫はろくな抵抗もできずそのまま喰われた。
「イタチザメですね」
美咲が呟いた。イタチザメの全長はホホジロザメと同じくらいだったが体は少し細かった。頭は平たく、歯はホホジロザメのような凶暴さは感じない。体色は明るい青緑色で体には黄色い縞模様がある。蓮はイタチザメのことは詳しくなかったが本来のイタチザメはこんな派手な黄色の縞模様はついていないだろうと思った。こんな派手な模様なら記憶に残っているはずだ。
襲われて腰を抜かした男が立ち上がり後ろに後退りすると、もう一匹部屋から鮫が出てきた。狭い通路にもかかわらずイタチザメは器用に動き、地を這う鮫に襲い掛かった。体の厚みがホホジロザメより薄い分、体を柔らかく折り曲げている。もう一匹の鮫もあっさり喰れてしまった。
「ふう、驚かせやがって」
男は玉に鮫を戻すと部屋の中を覗き込んだ。
「……死体だけだな」
そう言うと部屋を後にし、奥へと進んでいった。蓮が事務室の中を覗くと奥に人が数人倒れていた。どれもこのおもちゃ屋の制服を着ていて血まみれだった。鮫に襲われてここに逃げ込んだが、鮫が扉を壊して入って来たようだ。
蓮は男について行った、奥の部屋はロッカーが置かれたスタッフルームだったが特に変わりはなかった。
店の中を一通り探索し終えた四人はレジの前に椅子を持ち寄り、レジカウンターをテーブル代わりにお菓子や飲み物を並べた。店の中から外の様子を見たが、特に変わりはなく、水の音も勢いそのままだった。男はスナック菓子を開けて食べ始めたが蓮は食欲がなく食べ物には手が伸びなかった。店の壁掛け時計は十一時を示していた、家から出てまだ二時間ほどしか時間がたっていない、昼飯の時間には早すぎるし、あれだけの惨劇を見た後ではしばらく食べ物は喉を通りそうにない。男は口の中のスナック菓子を水で胃に流し込むと口を開いた。
「そういえば名乗ってなかったな、俺は
「佐藤蓮です」
「――鈴木結愛」
「伊藤美咲といいます。一つ聞きたいのですが、黄色いサングラスを掛けたバケットハットをかぶった男性を見ませんでしたか?」
田中は美咲の問いに顔を上に向け考え始めた。おそらく自分が玉を奪い鮫で喰い殺したあの男のことだろう。彼の死体や衣類、その痕跡は濁流が洗い流し彼の生死を知るすべはもうない、自分が口に出さなければ真実は闇に葬れる。田中は男のことを詳しく知りたいと思った、生きていることにするか、それとも鮫に襲われて死んだと言うか、どちらが自分にとって利があるか――。
「どうだろうな、なにせパニック状態だったから――そいつは知り合いか?」
「私と一緒に鮫神の研究をしていました。この儀式についての知識も私より彼のほうが豊富です」
「僕の親戚でもあるんです。何か思い出しませんか?」
蓮はスマホに保存されている拓也の写真を見せた。田中はそれを覗き込んで後、再び宙を見上げた。その表情は読み取れない。
「そういえば、見たような気がするな。停電後に鮫の騒ぎが起こったが、その直後にエスカレーターで地下三階に向かってたような――まぁ、薄暗かったし、はっきり顔を見たわけではないしな……」
「地下三階に……美咲さん、拓也さんは僕と別れた後、地下二階に向かったんですよね? なぜ地下に潜るんでしょうか?」
「それは儀式を止めるためでしょう。儀式の本殿は地下三階の下にある地下水湖にありますから」
「さっきから言ってるその儀式ってやつを説明しろよ。それを聞くために俺は付き合ってやってるんだ」
田中はスナック菓子に手を伸ばしながら言った。美咲はその態度にいささかイラついたが蓮と結愛にも説明する必要があるので気を取り直して話を始めた。
「まず始めに鮫神のことを話しましょう。鮫神は海の神であり、かつてはこの付近にある海辺の人々の土地神でした。神の力は信仰の力、鮫は海で人を襲い、その力で恐怖を与え、人々の信仰を集めました。それが百五十年ほど前に、ある理由で伊藤家の守護神となる契約が結ばれました。伊藤家は鮫神の力を独占し、家を栄えさせるのに利用し巨万の富を得ました。伊藤家は鮫神の力を持続させるために神社や祭りに多額の寄付を行い、鮫神を称える祭りを催し信仰を集めています」
この辺りにある大きな神社が鮫を祀っていることは蓮も知っていた。夏になると大きな祭りが開かれ、蓮も毎年参加していた。そこには人々の笑いがあふれ平和そのものだった。拓也と一緒に行ったこともあり、蓮にとって幸せな思い出だった。しかし、その祭りで人々が集まった結果、その信仰を力に変えて鮫神が人を喰っていると思うと蓮は悲しい気持ちになった。
「現在の伊藤家の当主は高齢のため隠居状態で今は息子の
美咲は飲み物を口に含んだ。蓮は美咲が語る拓也の姿を自分の知る姿と重ね合わせていた。拓也がここ数年蓮の家に訪ねて来なかったのは鮫神の研究にかかりきりだっからだ。これだけの力を持つ神の研究なら夢中になるのもうなずける。蓮は昔、拓也が信仰は万人のもので恩恵も万人が得るべきだと主張していた。伊藤家が神を独占するのを拓也は許せなかったのだろうと思った。美咲は再び語りだした。
「兄は私に鮫神の怒りを鎮める方法を探せと命じました。私は拓也さんの研究結果を分析し、いくつかの方法を提示しました。その一つがこの儀式です。儀式には多数の生贄の人間が必要です、私は兄が本気で儀式を執り行うとは思っていませんでした。しかし数日前、拓也さんが私に接触してきて、兄が儀式の準備を進めていることを教えてくれました。私は事実を確かめるためにこのデパートに忍び込み、そしてその玉を見つけ拓也さんと一緒に奪いました。儀式の開始には指定された場所に十個の玉が揃っていることが条件です。玉をデパートから持ち出せば儀式は阻止できると思ったのですが……ダメでした。玉が手に吸い付き、外に出ようとすると体から力が抜け外に出られませんでした。拓也さんは私たち二人が鮫神に不敬を働いた呪いだと言ってました。拓也さんは当初、デパートの外で蓮君に玉を渡す予定でしたが、玉を外に持ち出せなくなったので、地下で渡すことにしました。蓮君は鮫神に不敬を働いてないので呪われず外に持ち出せると考えたのです。蓮君に玉を渡した後、地下二階で私と合流し、地下水湖に向かう予定でしたが、予想より早く儀式が始まってしまいました。彼は停電後に鮫が現れたのを見て蓮君を心配し、私に地下一階で蓮君に会うようにと言いました。私が拓也さんの姿を見たのはそれが最後です」
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