第3話


「それ、スタブのじゃん、好きだったの?」

 蓮が手に持っていたスタブのカップを指さして聞いてきた。

「いや、ちょっと知り合いと話があって……、これから帰るところなんだ」

「そうなんだ、私は友達と遊びに……そうだ、蓮も来る? 学校の男子も来るらしいよ」

「急用ができて家に帰らないといけないんだ」

「そう、残念」

 鈴木とは去年、学校の教室で隣の席だったのでよく話す仲だった。とてもハツラツとしていて彼女がいるとクラスが明るくなった。しかし、今年の席は離れていてほぼ話すことがなくなった。蓮には男友達しかいない、同世代の女性と話すのは決して得意ではなかった。ほんの少しの時間だが気まずい沈黙が二人の間に流れていた、なにか自分からも話題を振ったほうがいいのだろうか、蓮は彼女を見つめながら考えていた。白いTシャツに薄い青のシースルージャケット、デニムショートパンツ、蓮が初めて見る制服以外の彼女の姿だった。

「鈴木さんはよくここにくるの?」

「鈴木さんなんて他人行儀だよ、結愛でいいよ。こっちも蓮て呼んでいい?」

「ああ、うん」

 学校以外で二人だけ、それも私服で会っている、距離感がつかめなかった。

「じゃあさ、今度、遊びに行こうよ」

「そうだね、みんなで遊べたらいいね」

 曖昧な返事で答えることしかできない、結愛に照れているわけではない。蓮は自分が今抱えている悩みの対処で余裕はなかった。

「うん、じゃあね」

 結愛は少し名残惜しそうに、手を軽く振ってその場を離れようとした。

 その時、当然目の前が真っ暗になった。

「停電だ!」

 辺りの人々が口々にそう言った、続いて悲鳴や怒りの声が聞こえる。側から結愛のものと思われる小さな悲鳴が聞こえた。蓮の口からは何も出てこなかった。頭の中に渦巻いていた不安が現実となって襲ってきたのだと思うと身動きできなかった。

 ただ、真っ暗だったのは数秒ですぐに電気が付いた。しかし、電気はいつもより光量が少なく薄暗かった。

「ビックリした、地下で停電なんて最悪だね」

 結愛は蓮に体を近づけながら言った。蓮はエレベータのランプが消えているのを見ると手遅れになったのではないかと感じ始めた。拓也がここから出るようにと急かしていた理由はこれが原因なのだろうか。これから何が始まるのかはわからないが、きっといいことではないだろうし、それが必ず起こるような気がしてきた。気のせいか拓也に貰った玉が震えている。それが蓮の心臓の鼓動を早めた。ここにいてはいけない。

 「エスカレーターで地上に出よう」

 蓮は結愛に声をかけエスカレーターへ向かって歩きだした。自分一人で外に向かい、結愛を一人ここに残していくのは気が咎めた。

「ふふふ、お化け屋敷みたい。デパートの営業時間外はこんな感じなのかな?」

 結愛は平常を取り戻そうと話し出したが声は震えていた。蓮は結愛に答える余裕がなかった。すぐにでもここから出たい、それが叶わないということは拓也との約束を破ることにつながるのだから。拓也は蓮がまだ地下にいるとは思っていないだろう。

「……あれ、スマホ繋がんない。蓮のは?」

 蓮はスマホを取り出し確認すると、電波のマークは消えていた。念のために拓也にコールするも、やはり繋がらなかった。

「僕のも駄目だ――」

 結愛は無言で不安な顔をした。

 エスカレーター前に着くと人だかりができていた。中でも目を引いたのが悲観の顔で上から下りてくる人がいることだった。

「おーい、人がいるぞー!」

「おい! 開けろ!」

 大勢の人の怒鳴り声が聞こえるエスカレータの上から聞こえる。蓮が上に登ると防火シャッターが降りていた。シャッターは地下一階からエスカレーターで上がってすぐの場所に設置されていた。地下駐車場に繋がる通路もシャッターの向こう側だ。

 シャッターの前で何人もの大人がシャッターを殴り怒号を浴びせていた。シャッターはガシャガシャと音を立てるが、開く気配はなかった。向こう側からも何の反応もない。ここで大きな音を立てれば一階まで聞こえるはずだ。それなのに不思議なくらい向こう側からは人の声や音が聞こえてこない。

「嘘、火事じゃないよね?」

 結愛は最悪の想像をしていた、火の手が上がった地下に閉じ込められたのならそれは死を意味することだ。しかし、今のところ火事の気配はない、もっともここより地下では火災が起きているかもしれないが……。

「非常階段に行ってみよう。非常階段なら閉じてないはずだから、地上に出られる」

 蓮が結愛にそう声をかけると、それを聞いたのか何人かの周りの人たちもその場を離れ非常階段に向かい始めた。 非常階段はエスカレータの反対側、地下一階の端にある。非常階段からはデパートの裏側に出ることができるが、駅と反対側なので存在は知っていても蓮は使ったことはなかった。

「ねぇ、なにか匂う?」

「大丈夫、きっと誤作動だよ」

「そうだよね、スプリンクラーが作動してないもんね」

 結愛は脅えていた、もはや蓮の腕にしがみついて離れそうにもない。クラスメイトに見られたらからかわれるだろう。蓮はそう思っても、結愛を突き放すような、非情な行動はできない。

 止まったエスカレーターを下り非常階段へと向かって行くと、向こう側から人が走ってきた。こちらにわき目も降らずエスカレータへと向かっていく、防火シャッターが閉まっているとも知らず。こちらに走ってきた人はその人だけではなかった。次々に人が走ってきた。青く引きつった顔で真っすぐに走っている。火事だろうか? 不安から二人の足が止まる。

「ただの停電であんなに必死になって走るかな……ちょっと変だよね」

「戻ってもしょうがないし、先に進むしかないよ」

 蓮は自分に言い聞かせるように言った。思いを口から出さなければ、足は前に向かって動きそうになかった。

「うわぁぁ!」

 奥から男の悲鳴が聞こえてきた、それに続いて奥から悲痛な声が次々に上がっていた。

「ひぃぃぃぃ!」

「たすけてぇ!」

 二人の目線の先、十メートルほど奥で、薄暗い明りの下で人がうつ伏せに倒れた。それは二十代くらいの男性だった。彼はすぐに立ち上がれない、足を怪我しているようだった。そして、彼の背中に何かが覆いかぶさった。

 蓮と結愛は呆然と立ち尽くしていた。

「ぎゃぁぁ! 助けてえええ!」

 彼は叫び声をあげながらもがいていた。薄暗い明りの下で確かに赤い血が飛び散るのが見えた。彼は両手で必死に地面をつかみ前に進もうとしたがすぐに動きは止まった。彼の背に乗ったそれが彼の首から口を離しこちらに顔を向けた時、それが何なのかおぼろけながら蓮には分かった。口から血がしたたり、歯には肉片がぶら下がっている。蓮は目の前の光景が現実とは思えなかった。

「鮫だ!!」

 そう叫んで走って逃げる人が次々に奥から現れた。それを追いかけるように白いものが床を這いずるようにこっちに向かってきている。近づいてきて、はっきりその姿が分かった、全長一メートルほどの体、頭はとんがっていて、口は大きく裂けている。顔は鮫と言っていいだろう、しかしそれが異常な存在だとわかるのはそこから先だった。胸びれは大きく、その先端にかぎ爪が付いていた、それが腹びれの先端にもついており、デパートの床をかぎ爪で掴みながら、体を揺らして進んでくる。

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