第4話 契約の条件

クラリティはガルフストリームとの二度目の会合に臨むため、公爵邸へと向かった。初めて彼と会った時の冷たい印象は、今でも彼女の心にくすぶっていた。形式的な結婚、愛のない契約、干渉しない生活――どれを取っても彼女が夢見ていた結婚とは程遠いものだった。しかし、この道以外に生きる術がないことを理解していた彼女は、気持ちを奮い立たせて扉を叩いた。


客間で待っていたガルフストリームは、前回と同じように無表情な顔で迎え入れた。彼の態度はあくまで事務的で、温かみを感じさせるものではなかった。執事がクラリティに椅子を勧めると、ガルフストリームは彼女が座るのを待ってから、切り出した。


「では、結婚契約の詳細について話そう。」

彼はすぐに本題に入った。その声には一切の躊躇もなく、まるでビジネスの交渉でもしているかのようだった。



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契約の条件


ガルフストリームが取り出したのは、分厚い書類だった。そこには結婚に関する詳細な取り決めが記されており、彼はその内容を一つずつ説明していった。


「まず、私たちの結婚は形式的なものとする。互いに愛情を求めることはしない。表向きは夫婦として振る舞うが、実際には独立した生活を送る。これはお互いの自由を尊重するための取り決めだ。」


彼の冷静な口調にクラリティは微かに眉をひそめたが、何も言わずに聞き続けた。彼が続ける。


「次に、君が望むならば、好きに社交界へ出ることを許可する。ただし、私が公爵家の名誉を損なうと判断した行動を取った場合、契約の解除を求める権利を持つ。」


「……なるほど。」

クラリティは短く返事をしたが、その条件に重さを感じた。彼女の行動は全て、公爵家の利益を損なわない範囲でのみ許されるということだった。


「さらに、経済的な自由も保証する。君には年間一定額の手当を支給し、君個人の支出には干渉しない。ただし、その額を超える要求があれば、私の承認が必要となる。」


「その金額はどの程度でしょうか?」

クラリティが質問すると、彼は即座に答えた。


「君が必要とする範囲で十分な額だ。具体的な数字はここに記してある。」

彼は書類の一部を指し示した。クラリティが目を通すと、提示された額は彼女の想像以上に多く、生活に困ることはなさそうだった。



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最も厳しい条件


ガルフストリームは最も重要な部分に差し掛かると、一瞬だけ間を置いた。


「そして最後に――互いに私的な生活には一切干渉しないこと。」


その言葉にクラリティは一瞬、息を呑んだ。彼がそう言うのには理由があるように思えた。彼女は思い切って問いかけた。


「その条件は、特に強調されているように思えますが……なぜですか?」


ガルフストリームは少しだけ表情を曇らせたが、すぐに平静を取り戻した。


「私は自由でいることを何よりも重視する。そして、君にも同じ自由を与えたい。それだけだ。」


彼の言葉には、それ以上の説明はなかったが、クラリティは彼の瞳の奥に一瞬だけ孤独の影を見た気がした。それ以上追及するのは無粋だと思い、彼女は静かに頷いた。


「分かりました。その条件を受け入れます。」



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クラリティの決意


契約内容を全て確認し、クラリティは最後にサインを求められた。ガルフストリームは、何かを期待するわけでもなく、ただ静かに彼女の判断を待っていた。クラリティは書類に目を落としながら、心の中で自分に問いかけた。


「本当にこれでいいの?」


答えは分からなかった。しかし、彼女にはもう後戻りできる道はない。リーヴェントンとの婚約破棄で失った名誉を取り戻し、貴族社会で再び生きるためには、この契約を受け入れるしかない。彼女はペンを取り、名前を書き入れた。



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契約が正式に成立した瞬間、ガルフストリームは淡々とした態度を崩さずに言った。


「これで君は私の妻になる。準備が整い次第、式を執り行う。」


彼の声には、どこか安心感すら漂っていた。その一方で、クラリティの胸には不安と緊張が渦巻いていた。これから始まる結婚生活がどのようなものになるのか、彼女には全く想像がつかなかった。



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新たな人生の幕開け


屋敷を後にしたクラリティは、胸の中に複雑な思いを抱えていた。形式的な結婚とはいえ、これが彼女にとって新しい人生の始まりだった。そして、この契約がどのような未来をもたらすのかは、彼女自身の覚悟と行動にかかっている。


「私は、私のやり方でこの状況を乗り越えてみせる。」


そう心に誓い、彼女は前を向いて歩き出した。その先には、冷たく厳しい運命が待ち受けているかもしれない。それでも、彼女は一歩ずつ進むしかなかった。


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