第2話:白い結婚の提案

クラリティはローゼンハイト公爵邸の前に立ち尽くしていた。重厚な扉の前で深呼吸を繰り返し、自分の中の不安を何とか押し殺そうとしていた。なぜ彼が自分に手紙を送ってきたのか、その理由が分からないまま、彼女は意を決して扉を叩いた。執事が扉を開け、無表情に中へと案内する。


通された客間は広く、豪奢でありながらもどこか冷たい印象を受ける部屋だった。その中央に座っていたのは、噂に聞く公爵家の当主ガルフストリーム・ローゼンハイト。その端正な顔立ちには感情の色がなく、冷たい青い瞳がクラリティをじっと見据えていた。彼は彼女が挨拶する前に、端的に言葉を投げかけてきた。


「よく来たな、クラリティ・フィオーレ嬢。時間通りだ。」


その言葉は礼儀を欠いているわけではないが、どこか事務的で感情がこもっていないように感じた。クラリティは緊張を隠しながら軽く会釈した。


「手紙をいただいたので参りました。私に何かお話があると伺いましたが……?」


「そうだ。本題に入ろう。私は君に結婚を申し込みたい。」


その言葉は、クラリティの胸を大きく揺るがした。突然の結婚の申し出に、彼女は目を見開いて彼を見つめた。


「……私に、ですか?」

信じられない思いで問い返すと、ガルフストリームは頷いた。


「そうだ。だが、この結婚は形式的なものだ。お互いに愛情を求める必要はない。ただ、お互いの利益を守るための契約に過ぎない。」


彼の冷静な声が部屋に響き渡る。クラリティは、彼の言葉に驚きつつも、同時に疑問を抱いた。


「形式的な結婚、ですか……それはどういう意味でしょう?」


「簡単に言えば、私は君に妻としての役割を果たしてもらいたい。ただし、互いに干渉はしない。君の生活に制約を与えるつもりもないし、私も自由に行動する。見せかけの夫婦として周囲にふるまえばそれで十分だ。」


クラリティはその説明を聞き、困惑を隠せなかった。結婚とは本来、愛や信頼によって結ばれるものだと信じていた。だが、彼が語るのは、そんな理想とは程遠いものだった。


「……なぜ私なのですか?私は婚約を破棄されたばかりで、社交界での評価も低いはずです。それでも私を選んだ理由があるのでしょうか?」


クラリティの質問に対し、ガルフストリームは少しだけ微笑みを浮かべた。それは冷笑とも取れる微かな表情だった。


「君が婚約を破棄されたことは、私にとって都合がいい。君は失った名誉を取り戻したいはずだ。一方で、私は公爵家の地位を安定させるために妻を必要としている。君の家柄ならば、政治的な均衡を保つのに適している。」


そのあまりにも冷徹な理由に、クラリティは胸の奥がズキリと痛むのを感じた。彼にとって自分はただの駒に過ぎないのだろう。それでも、彼の申し出は魅力的でもあった。今の状況を変える手段としては、他に選択肢が見当たらない。


「……私には他に道がないということですね。」


そう呟いたクラリティの言葉に、ガルフストリームは少しだけ表情を和らげた。


「君にとっても悪い話ではないだろう。このまま落ちぶれるよりは、私の妻として表舞台に立つ方が良い。」


その言葉に、クラリティは複雑な思いを抱えながらも、やがて小さく頷いた。


「分かりました。お受けいたします。」


ガルフストリームはその答えに満足したように微かに頷き、契約の内容を詳細に説明し始めた。



---


その後、クラリティは屋敷を後にしたが、彼の言葉が頭の中で何度も繰り返された。形式的な結婚――それは彼女が夢見た理想とは程遠いものだった。しかし、この契約を受け入れなければ、彼女には何も残らない。両親からの失望の目、社交界からの冷たい視線、そのすべてを覆すためには、この結婚しか選べなかった。


「本当にこれでいいの……?」


帰りの馬車の中で、クラリティは何度も自問した。だが、どれだけ考えても、他の道は見つからなかった。


これが彼女の新しい人生の始まりになる。その道がどれほど険しく、冷たいものか、彼女にはまだ知る由もなかった。


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