第2話

翌朝、目を覚まして時計を見ると、既に12時を過ぎていた

よく寝たおかげか、昨日の夜の暗い気持ちはすっかりなくなっている


本当に危ないときは、朝日を浴びても気持ちが暗いままで、そういう時は、バイトも何もかもを放りだして、すべてを終わらせたくなってしまう


今日がそういう日じゃなくてよかった


今日は五連勤の最終日。だけどそこまで体は重くない


今日が終われば明日と明後日は休みだ


そう自分に言い聞かせ、ベットから起き上がって洗面台に向かう


うわぁ、ひどい顔


昔は、学生の時はそんなこと思わなかったけど、メイクをしてなくて寝起きでむくんだ顔は、自分でも見ていられないほどひどい

これが自分の顔だなんて信じたくないくらい


顔を洗って、部屋に戻ってメイクをする

自分の顔がどんどん変わっていく。血色がよく見えてきて、瞳が大きく見える


メイクをした自分の顔はちょっとだけ可愛いって思ってたりする。メイク乗りと自分のメンタルが良い時は。きもいから誰かほかの人にそんなこと言ったりしないけど


メンタルは悪くないし、メイクの出来もいい。それに今日は、バイト終わりにいつきと会える


今日は悪くないって思える日になりそうな予感がする


きっと、今日いつきと会えるってことで、色んな事をポジティブに捉えられてるんだと思う。こういう時、この人に私は依存してるんだと実感する


身だしなみを整え終わると、簡単に野菜炒めを作って食べて、片付けをして、それから歯を磨く


昨日寝るのが遅かったせいで時間がなかったからキビキビと、流れるように準備を終わらせた


さっき仕事がおわったばっかりなのに、もう行かなくちゃいけないんだ


準備が終わると、仕事がもうすぐそこまで来ていることを実感して、思わずため息が出る


どんな時でも、仕事はめんどくさい。出来ればしたくない


そこから逃げるようにスマホを見ると、いつの間にか彼から連絡が来ていた


《おはよう。今日も頑張ってな。俺は今から仕事だ》


そんな文章の後に、猫が泣いているスタンプが押されていた

昨日は私より遅く帰ってるはずなのにすごいな

まあいつものことなんだけど、付き合って一年たってもいまだに驚く


《ありがとう。いつきも頑張って》


部屋を出てカギをしめて、自転車にまたがる


あー、めんどくさい


自転車を漕ぐ足に力が入らない

いつもと比べると、景色が移るのがゆっくりだ

それでもゆっくりのろのろと、着実に職場に近づいていく


結局駅に着いたのは、始業時間の10分前

5分前から朝礼が始まるから、あまり時間はない


駅のトイレで用を足してから、コンビニの中に急いで入る


もうここまで来たら、仕事モードにやんわり切り替わっている


「おはようございます」


中にいる従業員の一人一人にそう挨拶をしながら速足で歩く。もうすぐ14時になるこの時間は、お客さんがあまりいない時間でもあり、みんなどこか気だるげだ


そんな緩い空気で満ちた店内を抜けてバックヤードに入ると、そこは打って変わって明るい空気で満ちていた

昨日とは明らかに違う


ああ、今日はいるんだ


「今度東京行くんだー、明美と」

「え、いいなー」

「今ホテル探してるんだけど、なかなかいいところなくてさ、どこか良いところ知らない?」


若い女の子2人が先に出勤していて、楽しそうに何かを話している

確か2人は同い年で、若いといっても私と2つくらいしか変わらないはずだけど、何となくすごく若く見える


「あ、おはようございます!」


私に気づいた片方の女の子、髪を紫に染めた、やんちゃそうな見た目をした子、菊池さんが私に挨拶をする。にこやかで明るい。私が出勤したことを喜んでいる。そんな風な錯覚を起こしてしまいそうな声。私や私に同僚がした挨拶とは違う


この子がいると、職場が凄く明るく見える


「おはようございます」


鈴木さんも菊池さんに続いて、おずおずとあいさつをしてくれた。こっちの子も、髪が緑色に染まっていて、一見すると菊池さんと同じような雰囲気。だけど菊池さんに比べると、人見知りする子だ


「おはようございます」


特に笑顔を浮かべるでもなく2人にそう返すと、私は更衣室に入る。時間がなかった。まああっても、2人と雑談をしたりはしなかっただろうけど


てきぱきと着替えて、タイムカードを押すと、すぐに朝礼が始まった


ああ。始まっちゃったな


そんなことを思いながら、接客7第用語を読み上げ、社訓みたいなのを読み上げる

入ったばっかりの時は宗教染みていて嫌だと思っていたこの朝礼も、今となっては何も思わない。それどころか、多少スイッチが入るような気がしていたりする


引継ぎが終わると朝礼が終わり、私たちは売り場に出ていくことになる。朝番の人と交代して、いつもの作業に入る。掃除をして、レジに人が来たらレジをして、売り物が納品されたら売り場に陳列する

いつもやっている退屈な仕事


「あ、いらっしゃいませ!いつものでいいですか?」


私を含め、ほとんどの人が退屈そうにしている。だけど一人、菊池さんだけはどこか楽しそうだ。明るい人懐っこい声が、お店のどこにいても聞こえてくる


「ああ、お願い。相変わらず菊池ちゃんの接客は、はきはきしてて良いねー」


私が10年接客の仕事をしていても1回も言われたことのない言葉

菊池さんはよく、お客さんにそんな言葉をかけられる


最初は驚いて、うらやましくなって、悔しかった

話を聞く限り、接客業をするのはここが初めてらしい

そんな人に負けるなんて


そんな対抗意識を持っていた時もあったなって、今では懐かしさを覚える


「ありがとうございます!」


今日も菊池さんの元気な声が響く

彼女がいると、お店のいろいろなところから彼女の声が聞こえてくる

他の人と違って、菊池さんが出勤しているのか否かはすぐにわかる


存在感が私たちとは違う


「みどりー、これどうやるの?」

「んー?これはね…」


困っている鈴木さんを菊池さんが助けている


「てんちょー、通れないんですけど?」

「えー、通れるでしょー」


鼻の下を伸ばした店長と、菊池さんが楽しそうに戯れている


まったく、何若い子にちょっかいを出してるんだか


そんな感じで、どこにいても菊池さんが目の端に写る

いいとか悪いとかではなく、こんな子なかなかいないな。と思う


「あ、如月さん」


菊池さんが私に話しかけてくる

いつものように何だか親しげに


「この新商品食べました?」


そう言って見せてきたのは、栗のクリームが入ってるシュークリームだった。ちょっと気になってたやつ

私相手にこんな風に他愛ない雑談をしにくるのは如月さんくらいだ


「まだ食べてない」

「私もまだたべてないんですよねー。でも絶対美味しいと思うんです」

「うん」


そうだと思う


「この季節っていいですよねー。私栗大好きなんです。栗味の新商品いっぱいでるじゃないですかー。もう嬉しくって」


「うん」


わかるなー。私も嬉しくなる


そんなことを思いながらも、私の口からは、そっけない言葉しか出てこない

菊池さん相手だからというわけではない。気が付いたら、友好的な態度の取り方を忘れていた


「今日お客さん少ないですね」

「うん、そうだね」


こんな日は、あまり声を出さなくていいし、ぼーっとしてられるから好き


「入荷も少ないし、ラッキーですね」

「うん」


今日は早く帰れそうで嬉しい


そんなやり取りをしてしばらくすると、菊池さんは店長に呼ばれてどこかに行った

私が今日職場でした雑談は、菊池さんとのこのやり取りだけだった


そして今日も無事に、何も事件とかが起こることなく、8時間過ぎればバイトが終わる


それがいいことのような、退屈なような






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