怪異書物屋幽世の帳

化野 佳和

第一話 幽書堂の台帳

「志摩さん、ちょっとお話が」


 静かに暖簾をくぐって現れたのは、大柄な男だった。

 この男、僧侶のなりをしているが、その実は僧侶ではない。

 ただ自らの姿を偽ることで、世を生きやすくしているだけの無節操な奴である。


 稔は開いていた本を閉じると、帳台に頬杖をついてため息もつく。

 許可もなくにやにやとしながら近付いていく偽僧の男に、悪びれた様子はない。

 慣れた様子のそれに、この男と稔が知らない中ではないことが窺える。


「……今度は何だ」


 頬杖をやめてぶっきらぼうに答えた稔は、手元の本を脇によけて男を見る。

 あきらかに邪険にされているのだが、男はそうは受け取らなかったようだ。

 その途端にぱっと顔を明るくした偽僧の男は、一気に稔との距離を詰めてすぐ近くに座った。

 心底楽しそうに笑う男に、稔はそっぽを向いてため息をつく。


「それがですね、志摩さん。俺ぁちょいと面白い話を聞いたんですよ」


 偽僧の男、市川甚九郎はそわそわしながらもそこで言葉を切る。

 申してもったいぶることで稔に興味を持ってもらいたいようだが、そう簡単にはいかないようだ。

 当の稔はそっぽを向いたまま、面倒くさそうに脇によけた本を弄んでいた。


 あまりにも素っ気ない態度に、甚九郎が口を尖らせる。

 今度は子供のような仕草で気を引こうとしてるようだが、もちろん稔には効果がない。

 相も変わらずそっぽを向いたまま、ちらりと隣に視線を寄こすだけだった。


「聞く気があるんですかい、志摩さん。こらぁ、あんたの領域だぜ?」


 痺れを切らしたように詰め寄る甚九郎だが、稔が慌てることはなかった。

 むしろ何を今更とでも言いたげに、皮肉を返されてしまう。


「残念だったな。お前は僕がわざわざ興味を示さなくても、勝手に喋り始める呪いに掛かってるんだ」


「あははははっ! そりゃ違ぇねぇ! しかもその呪いってなぁ、なかなか解けねぇしろもんときたもんだ!」


 稔の言葉に、甚九郎は眼を丸くする。

 しかし次の瞬間、大口を開けて笑い始めた。

 頭を押さえながら一通り笑うと、うんうんと頷きながら納得する。

 どうやら望み通りの反応だったらしく、稔も満足げだ。

 そのおかげで気を良くしたのか、催促までし始めた。


「そうだろ。だからさっさと喋ってしまえ」


 にやりと笑った稔を見て、甚九郎は感服する。

 ここまではっきりを言われてしまえば、黙っておこうなどという気さえ起きない。

 先程まで散々あの手この手で興味を引こうとしたが、全てが空振りに終わった。

 その意趣返しとして何かしらの意地悪をしてやる、という考えすらもどうやら見透かされたいたらしい。


 こうなってしまえば、いやそもそも。

 勝ち目などはなからなかったのだろう。

 甚九郎は一つ大きく息をつくと、気を取り直して持ってきた話を披露するのだった。



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