第3話 鯉の糸
とある清流沿いの集落で聞いた話。
昔、干ばつからくる飢饉がその集落を襲った。作物は枯れ、人々は山や川から、食べられるものを手あたり次第捕っていった。
そのせいで、清流にあれほどいた魚たちは、たちまちのうちに姿を消してしまったという。
ある時、飢えた若者が食べるものを求めて川中を歩いていた。魚はいなくとも、エビやカワニナなどないかと思ったのだ。
しかし、干ばつで水量が減った川は水ばかりが澄んで、生き物の気配はなにも感じられなかった。
落胆して水から上がろうとしたときだ。
視界の隅でなにかがきらりと光った。
なにかと思い近づくと、そこには一本の黒い糸が、水面を漂っていた。女の髪のようにも、絹糸のようにも見えた。
このような細い糸が目にかかったとは不思議なことだと、若者はそれを手に取ってみて驚いた。
糸の長さは尋常ではなく、川をずっと遡った先まで続いていそうなほどだった。まるで、川の上流で誰かが糸巻きを解いているようだったという。
少し強く糸を引くと、なにかが先にあるのだろう、糸はピンと張った。糸はしなやかだが強く、引く手に力を込めても切れそうな気配はなった。
空腹で動くのも億劫なはずの若者は、なぜかその糸を手繰って、川を遡り始めた。
ゆっくりと一時間ほど歩いただろうか。川幅は狭くなり、かなり上流に来ていた。川はゆるく弧を描き、深い淀みができている。若者が手繰る黒い糸はその淀みで途切れていた。
彼はその淀みを覗き込み、目を見張った。
そこには、ひと抱えもありそうな巨大な真鯉が、静かに水中に揺蕩っていた。そして若者が手繰っていた黒い糸は、その鯉につながっていた。
鯉は、まるで布がほつれるようにその身を糸に変え、淀みから流していたのだ。尾びれから解けていったのだろう、体はもう、胸びれから上しか残っていなかった。
呆然と若者が見守る中、鯉はどんどんほつれていき、そしてついには消えてしまった。
鯉が変じた糸は、一本の線となってゆっくり下流に流れていった。
ふと我に返った若者は、先ほどまで鯉の姿があったあたりに、一枚の丸いものが浮かんでいるのに気が付いた。それは手のひらの半分ほどもある、一枚の大きな鱗だった。
彼は、今見たものの証拠にと、その鱗を持ち帰った。
それから二、三日して、飢えにあえぐ村に恵みがもたらされた。川から、大量の鯉が捕れるようになったのだ。
若者は、あのとき鯉が解けてできた糸が大量の鯉に変わったのだと信じ、拾った鱗を祀って祠を建てたという。
・・・・・・・・・・・・
「鯉の大漁のすぐ後には、大雨も降って日照りも解消されてな」
老爺は村の伝説を、つい最近のことのようにうれしそうに語った。
「鯉さまさまですね」
「おうよ。あの鯉は、たぶん天に昇って龍になるのに、いらなくなった体を先祖にくれたんじゃろう。今でもこの辺りじゃ、鯉を大事にしよる。なぁ?」
老爺は池の鯉に話しかけた。わたしもつられて覗き込む。
池の中では、見たことのないほど立派な黒い鯉が、まるで返事をするように身をくねらせて、ゆうゆうと泳いでいた。
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