-第十二夜- 黒い森

 ふくろうの鳴き声に、咎められている気がした。手に持ったランタンの灯りだけがたよりだが、それも心許ない。何か小さな物音がそこかしこでするたびに、幼い少年ルカは引き返してしまいたい気持ちになった。しかし、そうはいかなかった。

 友だちのアレンが、ルカの母親の形見――真鍮製の小さなロケットペンダントをこの森の奥へと隠してしまったのだ。そんなのを持ってるからずっと弱虫なんだ、と殴りつけながらルカの首からそれを奪ったのだ。ルカがひとしきり泣いたあと、勇気を振り絞り震える声で返してと懇願すれば。

「黒い森の奥のお化け屋敷近くに捨てた」

 とつっけんどんに答えられたのである。その時のルカの、青ざめようといったら。それを見たアレンも流石にやりすぎたと悟ったようで、ルカの表情を見た彼の顔も曇った。しかし既に後の祭りでしかなく、あんなぼろっちいモノ、捨ててやったんだから感謝しろと言い捨てて逃げるしかなかったのである。

 ルカはいてもたってもいられなくなった。もし母の形見がカラスなんかに持ち去られたりでもして、無くなってしまったらいよいよ、この世を去った肉親との繋がりが失せてしまう。一刻も早く取り返すためには、日の落ちた後は出入りを禁じられている村近くの森に足を踏み入れるほかなかったのである。

 湿った落ち葉の柔らかさを足裏に感じながら、少年は暗闇の中を彷徨う。もう随分と歩いた気がする。森の奥のお化け屋敷……この前アレン達が言いつけを破って行ったらしい。彼は中にバケモノがいて、それをからかって帰ったと胸をはっていた。バケモノだなんて、自分なんかが見つかればきっと掴まって食べられてしまうだろう。そう思うと足ががくがくと震えた。それでも、せめて形見は取り返したかった。

 随分と歩いて、疲れてきた頃、ルカは目の前が開けていることに気がついた。もしかしてあそこが森の奥で、お化け屋敷があるのだろうか。――あそこに、バケモノが住んでいる?

 頭によぎった悪い予感を打ち消すために頭を振り、ルカは深呼吸してそこへ向かった。突如、びゅう、と突風が少年を襲った。手にしていたランタンが煽られて、その灯りをふつと絶やした。

「あっ……」

 頼りない灯りと思っていたが、それすら無くなってしまい、ルカは立ちすくんだ。足下も見えないほどの暗闇。自分が来た道すら分からなくなるほどだった。いよいよ恐ろしく、不安で、少年は動けなくなってしまった。頭の上でばさばさと何かが羽ばたいている。遠くのほうで遠吠えが聞こえる。そして、どこからか、ひそひそ声。

「かあさん」

 思わずルカは、今は亡き母を呼び、胸元にあるロケットペンダントに触れようとして――今、それが失われていることを思い出した。視界がぼやけ、息が上手に出来ない。ひく、と喉から奇妙な音を出しながら、ルカは涙を溢れさせた。

「きみ、どうしたのですか?」

 不意に柔らかな声をかけられて、ルカはぱっと顔を上げた。そこには見たことのない――少なくとも村の大人ではない男が眉根を下げてこちらと見ている。彼の容姿は奇妙に思えた。ルカはついぞ真っ赤な目の人間を見たことがなかったし、彼の肌は蝋のように青白かった。

「ダン君のおつかい……ではないですよね、夜ですし……」

「おじさん、だれぇ……」

「おじさんは近くに住んでいる者ですよ」

「それじゃバケモノだあぁ……」

 うわあん、と泣きじゃくる少年に、バケモノと言われた男――エリオットは複雑な顔をさせた。おじさん、はまあ長い間生きているので事実であるし、バケモノ、も彼らにとってはそれはそう、なのだがこうも泣かれると、やはり少しばかり傷つくものがある。

 とにかく、夜に出入りを禁じられているこの〝黒い森〟に子どもがいることは問題だった。夜の森は危ない。

「きみ、私はきみを取って食ったりなどしませんから安心しなさい。それで……森には入ってはならないとダン君から言われてませんか? どうして入ってきたのですか?」

「ダン……? おじさん、ダンと知り合いなの?」

 ええ、とエリオットは頷いた。すると少年は僅かなりとも彼が信頼できる存在だと思ったらしく、しゃっくりを続けながら小さな声で答えた。

「アレンが……僕の母さんの形見……森の奥に捨てたって……」

「おやまあ……なんてことを……」

 酷い話です、と言いかけてエリオットはふと、先ほど拾ったロケットペンダントを思い出した。もしかして、と懐から出してルカに差し出せば、少年は目を丸くした。

「母さんの!」

「よかった、持ち主が見つかって」

 これで帰れますね、とエリオットが笑ってルカの首にそれをかける。ルカも安心したのか、余計に涙を溢れさせてわんわんと泣いたのだった。

「おうい、エリオット」

「ああ、ダン。ちょうどよかった。この子を連れ帰ってください」

 道の向こうからやってきた旧知の姿にほっとして、エリオットは手を振った。息を切らしながらやってきたダニエルも、エリオットのそばで泣きじゃくる少年の姿を見てほっと息を吐いた。

「あれほど夜の森には入っちゃならねえって――!」

「ダン、この子は取り戻すべきものがあったのです。あまり怒らないであげてください」

 ルカの頭をくしゃりと撫でるエリオットに、ダニエルは曖昧に頷いた。そして大きなため息を吐いて、ぽつりと呟いたのである。

「……満月になっていなくて本当に良かった」

「ええ……そうですね」

 ダニエルの言葉にエリオットは頷いた。そしてルカを見て、小さく首を傾げた。

「もう夜の森には入ってはいけませんよ。もし、また何かを隠されてしまったら……昼に森の前で手紙を置いてください。そして次の朝にそこに来なさい。きっと取り戻せるはずですから。いいですね?」

「……ほんと?」

「ええ、信じてください。あなた、名前は?」

「る、ルカ」

「ルカ、約束ですよ」

 エリオットが微笑めば、ルカはこくりと一つ頷いた。そしてダニエルに手を引かれ、来た道を帰っていった。二人の姿を見送り、エリオットは踵を返す。

 今夜は夢に出てきてあげてもよいのでは、と誰かに語りかける彼に、かさりと枯れ葉が揺れた。

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