第二話 疑心暗鬼の城


 ​鎮火するどころか、炎はガソリンを撒かれたように燃え広がっていた。


 ​隼人が「小さな火種」と断じたスキャンダルは、翌朝にはすべてのテレビのワイドショーでトップニュースとして扱われていた。

 したり顔のコメンテーターたちが


「リーダーの資質としていかがなものか」


「公正さが求められる立場の人間が、最も卑劣な手口を使った」


 と、隼人の写真を背景に断罪している。SNSでは「#やらせの海道」「#コメント例文集で自画自賛」といったハッシュタグがトレンドを席巻し、匿名の人々が好き放題に石を投げつけていた。


 ​海道グループ本社の最上階、重苦しい空気が支配する役員会議室。

 隼人陣営の緊急対策会議は、開始早々、醜い責任のなすり付け合いの場と化していた。


「ですから、私の指示ではありません。 現場の広報スタッフが、功を焦って先走った結果でして……」


 広報担当の牧村れんは、血の気の引いた顔で弁明した。 元キャスターとしてのプライドが、自らの過ちを認めることを許さないようだった。

 ​その言葉に、選挙対策を取り仕切る木島が激昂した。


「責任転嫁するな!

 あんたが広報の全権を握っているんだろうが!

 そもそも、前の組織図の流出だって、あんたのチームの管理が甘いからじゃないのか!」


「なっ……!何を証拠にそんなことを!」


「証拠だと? あんたが連れてきた外部の人間ばかりでチームを固めて、古参の社員をないがしろにしてきた結果だろう!」


 ​ヒステリックに反論する牧村と、鬼の形相で彼女を詰る木島。

 その間に入ったのは、もう一人の側近、小林だった。


「まあまあ木島さん、落ち着いてください。

 今は仲間割れしている場合ではありません。

 どうやってこの事態を収拾するかを……」


 冷静さを装う小林の言葉も、どこか空々しく響く。

 誰もが、この沈みかけた船から自分だけは助かろうと必死だった。


 ​隼人は、黙って彼らの醜態を見ていた。

 数日前まで、同じ場所で勝利を誓い合った仲間たちの姿はどこにもない。

 そこにいるのは、互いを蹴落とそうとする、見知らぬ他人だけだった。

 込み上げる怒りと失望に、こめかみがドクドクと脈打つ。


「……全員、黙れッ!!」


 ​隼人の怒号が、ようやく会議室に静寂をもたらした。 彼は鈍色の光を放つマホガニーのテーブルを拳で強く叩いた。


「見苦しい!問題は誰がやったかじゃない!

 誰が、この情報を『週刊潮流』に売ったのかだ!この中に…裏切り者がいる!」


 ​その言葉は、凍てついた空気の中に、決定的な亀裂を入れた。

 もはや誰も、隣に座る人間の顔をまともに見られない。

 誰もが、疑心暗鬼の囚人だった。

 あの男が怪しい、いや、あの女が敵と通じているのではないか。

 かつて「ドリームチーム」と呼ばれた陣営は、内部から腐り落ち、音を立てて崩壊し始めていた。


 ​会議は、何の結論も出ないまま終わった。

 側近たちは、隼人の顔も見ずに足早に部屋を去っていく。

 がらんとした会議室に一人残された隼人は、自分が築き上げてきたつもりの城が、実は砂上の楼閣に過ぎなかったことを悟り始めていた。


 ​その時、ポケットのスマートフォンが重々しく震えた。

 ディスプレイには『長谷部誠司』の文字。関西財界の重鎮であり、海道グループにとっても無視できない提携先のトップだ。

 隼人は一つ深呼吸をして、震える指で通話ボタンを押した。


「……海道くん、今回の件、実に残念だよ」


 スピーカーから聞こえてきたのは、温度のない、冷静で、だからこそ刃物のように鋭い声だった。


「君はクリーンな改革を掲げ、我々もそれに期待していた。

 だが、これでは話が違う。

 このままではグループ全体の信用問題に発展する。……分かるね? 潔く身を引くべきじゃないかね」


 一方的に告げられた言葉に、隼人は何一つ反論できなかった。

 それは「勧告」というより、最後通牒に近かった。

 電話が切れた後、彼は衝動のままにスマートフォンを大理石の壁に叩きつけ、粉々に砕け散った。


 ​世論に追い詰められ、後がなくなった隼人が、ようやく公の場で疑惑に言及したのは、スキャンダル発覚から二日後のことだった。子会社である「ネクスト・ウェイブ」の定例記者会見。

 その最後に、申し訳程度に時間が設けられた。


​「一部報道でお騒がせしている件ですが、私の陣営スタッフによる行き過ぎた行為があったことは事実です。

 監督不行き届きであった点、誠に遺憾に思っております」


 ​他人事のような口ぶり。用意された原稿を読むだけの、血の通わない言葉。

 記者団からの


「ご自身の指示だったのでは?」


「辞任は考えていないのか?」


 という厳しい追及に、彼は隠しきれない苛立ちを表情に浮かべた。

 ​その夜、会見の様子を報じるニュースには、辛辣な見出しが並んだ。


『謝罪になっていない逆ギレ会見』


『誠意ゼロ、当事者意識の欠如』


『露呈した危機管理能力の無さ』


 ​炎は、もはや消し止めることのできない規模にまで燃え上がっていた。


 隼人が輝いていた黄金の玉座は、今や彼一人を閉じ込める、出口のない疑心暗鬼の城と化していた。


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