帝国の蜃気楼

月影 流詩亜

第一話 黄金の玉座


 ​無数のフラッシュが、彼の涙をダイヤモンドのように煌めかせた。


 ​帝国ホテル「孔雀の間」


 日本の経済界を支配する巨大財閥、海道かいどうグループの未来を決める、次期会長選の決起集会。


 その壇上の中央に、海道隼人(44)は立っていた。


「……かつて私の父、海道壮一郎は、『破壊的創造』を掲げ、このグループを蘇らせました。

 しかし、時代は変わったのです!

 今、我々に必要なのは対立ではない!対話です!

 失われた信頼を、我々の手で取り戻すのです!

 この海道グループを、もう一度、一つに!」


 ​地鳴りのような拍手と歓声が、シャンデリアを揺らした。

 集まったグループの有力者、国会議員、メディア関係者は90名を超える。

 誰もが、この若きカリスマの勝利を疑っていなかった。

 創業者一族の血筋、端正な容姿、そして傘下のIT企業を急成長させた確かな実績。

 その全てが、彼を「選ばれし者」として輝かせていた。


 ​隼人は、熱狂する聴衆の顔一人ひとりを見渡した。

 この光景、この熱狂こそが、自分が立つべき場所なのだと確信する。

 父が武力で築いた帝国の玉座を、自分は人心を持って受け継ぐ。


 その万能感と達成感に、思わず目頭が熱くなった。

 これは計算されたパフォーマンスではない。

 本物の感情の発露だった。

 だからこそ、それは人々の心を強く打った。


 ​控室に戻ると、側近たちが興奮した面持ちで彼を出迎えた。


「完璧なスピーチでした、次期会長!」


 選挙対策を取り仕切る木島が、上気した顔で言った。


「ええ、SNSの反応も最高潮です。『時代の寵児』『ようやく真打ち登場!』といったコメントで溢れていますわ」


 元人気キャスターで、隼人が広報戦略のトップに据えた牧村れんが、タブレットを誇らしげに示した。


「皆のおかげだ。ありがとう」


 隼人は心地よい称賛に身を委ねた。

 だがその時、ふと部屋の隅に目をやった。

 父の代からグループに仕える数人の古参役員たちが、表情一つ変えず、値踏みするような目でこちらを見ている。

 その冷めた視線に、隼人は一瞬だけ、背筋に冷たいものを感じた。

 しかし、すぐに支持者たちの熱狂的な声にかき消された。


 ​その数日後。東京、神保町の古びた雑居ビルの一室。


 経済週刊誌『週刊潮流』の編集部は、インクと紙、そして濃いコーヒーの匂いが混じり合っていた。

 時刻は午後11時を回っている。ほとんどの記者が帰宅した中で、ジャーナリストの長島重治は、デスクの明かりだけを頼りにパソコンの画面を凝視していた。

 ​受信トレイに、一通だけ異彩を放つメールがあった。


 件名は、『正義の告発』


 ありふれたスパムかと、削除しかけた指が止まる。

 差出人は暗号化されたアドレス。 長年の経験が、これが「本物」だと告げていた。


 ​メールを開き、添付ファイルをクリックする。


『海道隼人陣営 SNS投稿指示書』


『オンライン経済フォーラム_コメント例文集24選』


 ​画面に表示された文書に、長島の口元が歪んだ。


 そこには、隼人を称賛する24もの例文が、ご丁寧にリストアップされていた。


『泥臭い仕事もこなして一皮むけたのね』


『困った時のピンチヒッター感ある』


『頼む 海道グループを立て直してくれ』


 賞賛だけではない。対立候補である高遠静佳を暗に貶める、悪質な一文も含まれていた。


『ビジネス保守(口先だけの守旧派)に負けるな』


「……見つけた」


 長島は呟いた。 完璧に見える城壁の、小さな、しかし致命的な亀裂を。


「どんな王様だって、服を一枚ずつ剥いでいけば、ただの裸の男だ。さあ、ショータイムを始めようか」


 キーボードを叩く音が、静まり返った編集部に響き始めた。

 ​スキャンダルが発覚したのは、その一週間後だった。

 地方の関連会社への遊説に向かう、黒塗りのセンチュリーの後部座席。隼人は、流れる景色をぼんやりと眺めていた。

 その時、ポケットのスマートフォンがけたたましく振動した。牧村からだった。


「大変です、隼人さん!『週刊潮流』が…!」


 電話口から聞こえる、かつての冷静さを失った声。

 隼人は眉をひそめ、木島が差し出すタブレットに目を落とした。


 ​ウェブニュースのトップ画面に、衝撃的な見出しが躍っていた。


 ​【スクープ】海道グループ次期会長・海道隼人氏に『ステマ』『やらせ』応援団疑惑! 週刊誌が詳細な内部資料を入手!


 ​記事を一通りスクロールし、見覚えのある例文のリストを目にした隼人は、忌々しげに舌打ちした。

 そして、タブレットをシートに放り投げると、興味を失ったように再び窓の外に視線を戻した。


「騒がしいな。 いつものネガティブキャンペーンだろう。 火元は高遠陣営か? くだらない」


 焦る側近たちを尻目に、彼は呟いた。

 その声には、絶対的な自信からくる、底なしの慢心が滲んでいた。


「放っておけ。こんな小さな火種、すぐに鎮火する」


 ​彼はまだ知らなかった。


 それが、自らが築き上げた黄金の玉座もろとも、帝国そのものを焼き尽くす業火の始まりであることを……



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