残飯マン〜ZANPANMAN〜

αβーアルファベーター

――それでも、世界は食べ残す

◇◆◇


プロローグ


夜の街は、かつてないほど整っていた。

割れた窓はなく、落書きもない。道路は清掃ロボットによって常に磨かれ、

腐臭も、生ごみの気配すら存在しない。


それは「理想都市」と呼ばれていた。


不衛生ゼロ。

効率と清潔を至上とする、人類の到達点。


――ただし、表面上は。


ビルとビルの隙間、監視カメラの死角。

そこに、ひとりの男がいた。


しゃがみこみ、地面に置かれた小さな黒い箱を開ける。

それは廃棄指定を逃れた弁当箱だった。


白飯は乾き、表面に細かなひびが入っている。

焼き魚は骨だけになり、漬物はわずかに酸っぱい匂いを放っていた。


男は箸を取り、迷いなく口へ運ぶ。


「……まだ、生きてる」


その声は静かで、奇妙なほど穏やかだった。


人々は彼を「残飯マン」と呼ぶ。

嘲笑の響きを込めて。


清浄派の人間たちは、彼をこう定義する。

「進化から取り残された異物」

「非効率の象徴」

「不衛生の残滓」


だが残飯マンは知っていた。

この街が、どれほどの“命”を焼却炉に放り込んでいるかを。


◇◆◇


清浄派は正義だった。


「余剰は悪だ」

「完璧な消費計画こそが人類を救う」


彼らはそう唱え、AI管理のもとで食料を配給する。

一口でも手を付けなかった食品は即時回収され、焼却される。

「可能性が失われる前に」


誰も疑問を持たなかった。

清潔で、効率的で、数字は常に“改善”を示していたからだ。


だが残飯マンだけは、数字を見なかった。


彼は焼却前の倉庫に忍び込み、期限切れ一日前のパンを拾い、

形が崩れただけの果物を集め、

半分残されたスープを温め直して飲んだ。


「お前たちは、まだ誰かを生かせる」


食べ物に語りかける彼を、人は狂人と呼んだ。


◇◆◇


ある夜、街の中央区で“浄化作戦”が始まった。


「旧人類的価値観の一掃」

「感情的消費の根絶」


廃墟に保管されていた過去の食料備蓄――

人の手で作られ、人の都合で捨てられた大量の食品が、

巨大な炎の中へと投げ込まれていく。


炎は明るく、歓声が上がる。


「これで世界は、よりクリーンになる!」

「持続可能な未来のために!」


残飯マンは、その光景を遠くから見ていた。


胸の奥が、ひどく冷えた。


彼は歩き出す。

拾い集めた鉄屑と空き缶で作った刃を手に。


清浄派の男が叫ぶ。

「近づくな! それは汚染物だ!」


残飯マンは答える。


「汚れているのは、食べ物じゃない」


彼は炎の前に立ち、声を張り上げた。


「これは、誰かが作った」

「誰かが、誰かのために用意した」

「それを“使われなかった”という理由だけで燃やすのか」


人々は沈黙した。

だがすぐに、冷たい声が返る。


「感傷は無駄だ」

「未来のためには、切り捨てが必要だ」


◇◆◇


残飯マンは、炎の中へ踏み込んだ。


燃え落ちる食品を、ひとつ、またひとつと掬い上げる。

焼け焦げたパン。

形を失った野菜。

溶けかけたチョコレート。


彼の服は焦げ、肌は熱に晒される。

それでも彼は止まらない。


「残されたものには、理由がある」

「それを見捨てるかどうかは、人間の選択だ」


清浄派は、ついに武器を向けた。


「排除対象確認。実行する」


その瞬間、炎が爆ぜた。


焼却炉が耐えきれず崩壊し、

燃えきらなかった食料が、街中へと散らばる。


人々は呆然と立ち尽くす。


残飯マンの姿は、もうどこにもなかった。


◇◆◇


翌朝。


街は混乱していた。

管理AIは想定外の事態に処理を追いつけず、

配給は停止。

清浄なシステムは、脆く崩れた。


その時、人々は気づく。


路地裏に置かれた、温かいスープ。

分け合われるパン。

「捨てられるはずだった」食べ物が、人の手に渡っている。


誰かが言った。


「……まだ、食べられるな」


それは、かつて誰かが口にした言葉だった。


残飯マンは、どこにもいない。

だが彼の思想は、確かに残った。


食品ロスをゼロにすることが、目的ではない。

“命を無駄にしない”という意志こそが、持続可能なのだと。


◇◆◇


エピローグ


夜。


街の片隅で、子どもがパンを拾い上げる。


少し固いが、笑ってかじった。


「おいしい」


その一言が、

どんな理念よりも、

どんな数値よりも、

世界を前に進めた。


――それでも人類は、また食べ残すだろう。


だがそのたび、

どこかで誰かが思い出す。


残飯には、まだ温もりがある、と。


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