第2話

 先生が、チョークを黒板に走らせる音。ひそひそと、近くのクラスメイトと雑談をする人達の声。そんな、いつもの授業の、日常的風景。


「──それじゃあ合唱コンクールの実行委員やりたい人、挙手してください!」


 担任の真壁先生の声が耳を撫でる。若い女の先生らしい、優しい声。

 だけど、それに誰も反応しない。普通の授業じゃない、”総合”の授業だから、みんなどこか気が抜けているのだろう。私も、ずっと小説を読んでいたし。

 パタンと本を閉じて、一応聞く姿勢になり……頬杖をつきながら、窓の外を見る。これは窓際の席の特権だなぁとしみじみ感じる。

 校庭を、なんとなく眺めていると……。


(……学校って、なんか刑務所みたい)


 そう思った。

 ここはまるで、ネットフェンスに囲まれている、小さな箱庭。そこで行われる団体行動に、私達を縛る特異なルール。

 そして──。


「せんせー、如月さんが実行委員やりたいそうでーーす!」

「私もそう言ってるの聞きましたーー!」

「俺も俺もー!」


 集団心理が織りなす、イジメ──。


 私──語堂つぐみの友達、如月奏音は、イジメられている。


 だけどそれは、学校の、社会の、どこにでも蔓延る……日常的風景なのだろう。


  ◆◇◆


 翌日の放課後から、教室に残り、合唱コンクールの練習をしていい期間になった。そこには、生徒達の自主性を尊重し、先生は関与しないらしい。実行委員を中心に、私達が大人になるための”勉強”をしろってことなのかもしれない。

 しかし、放課後の教室には──如月さんの他に私しか残らなかった。

 でもそれは当然。イジメられっこの如月さんが実行委員なら、悪気もなくサボれることだろう。というか、それ目的で、彼女に実行委員を押し付けたのだろうし。

 如月さんは、席に座って机に視線を落としている。今にも泣きそうな顔で……。

 彼女はべつに、「練習あるから残れる人は残って!」と声をあげていた訳じゃない。


 だけど──今日、勇気を振り絞って、その務めを果たそうと努力したのは分かる。


 イジメの原因である髪型を──変えようとした痕跡があった。アイデンティティである天然パーマを、アイロンで無理やり整えようとしたそんな。


(……あなたなりに、がんばろうとしたのよね)


 私は、そんなことを考えながら、彼女に静かに近づいて。


「昨日、本で読んだんだけど、自己が確立するのって、13歳くらいからなんだって。ちょうど、私達くらいの年齢よねー」


「え?」


 目に小さく涙を揺蕩わせながら、如月さんは首を傾げた。


「だから、その髪型、本気でイメチェンしたいと思ったならいいけど……無理してるなら、やめた方がいい。自己が確立する大事な時期なんだからねっ」


「僕──い、いや、わ、私は──」


「それも無理しない」


「うぅ……」


 個性的な一人称、個性的な髪型、そして──人一倍発育のいい体。それが、彼女が集団からはみ出している要因。

 私は、ぽんっと、彼女の肩に手を乗せる。


「あなたは個性を捨てたいの? 自由を手放したいの? イジメに屈してもいいの?」


「それは……で、でも僕は……そうでもしないと……」


「みんなと違うからイジメられるって? ……まあ、それはそうなのかもね。そりが合わない人間を、寄ってたかって迫害しようとするのも、人間──動物の本能って本で読んだことあるわ」


「うぅ……ほら、やっぱり……」


「そう弱気にならないの。それだけあなたが目立ってるってことでもあるんだから。如月さんは──あれよ、そう、スイミーなの」


「スイミー? 小学校のころ、国語の授業で習った?」


「そう。スイミーは自分だけ、体の色が違うから仲間外れにされていた。でも最後は、その個性で、仲間を救ったじゃない? 人と違うってことは、それだけの可能性を秘めてるってことでもあるのよ」


「だ、だけど……本当に、いいのかな。僕──僕のままで、いいのかな……」


「当たり前でしょ? 私は今の如月さんが好きだから、友達なんじゃない」


「で、でも……が、合唱コンクールもあるし……僕、実行委員だし……僕が変わらなきゃ、みんな練習に参加してくれない……。嫌われない僕にならないと……っ」


 再び、目線を落として。震える声音で、彼女は嘆くように言った。


「私と居る時のように──本当のあなたで、クラスと向き合えば……変わるわ。変わる必要があるのは、あなたじゃない」


「語堂さん……」


 私は、まなじりを決して。


「──私も協力するわ。だから、スイミーになるのよ、如月さん」


 そう、強く言い放った。


  ◆◇◆


 そして、翌日。

 この日も、如月さんがクラスに練習を促すことはできず……放課後、残ったのは私だけ。


(やっぱり、最初は私が背中を押してあげるべきね)


 机とにらめっこしている彼女に近づく。


「如月さん、ちょっとついてきて」


「え……? ど、どこに?」


「練習に参加してもらう交渉をしにいくの。影響力のある人に参加してもらえれば、それだけで状況が変わるわ。インフルエンサーの人の言葉に力があるようにねっ」


「それはそうだと思うけど……でも、誰に……?」


「くすっ、ついてくれば分かるわ」


 私は如月さんの手を取って、立ち上がらせる。そして、驚きの表情を刻む彼女の手を引いて……廊下に飛び出していった。



 そうして、職員室の前まで来た私達。

 するとタイミングよく……目当ての人が、職員室から出てきた。


「茅ヶ崎さん、少しいい?」


 私が声をかけると、彼女は眉根を寄せた。


「……なんか用?」


 茅ヶ崎さんは、私達を一瞥したあと、冷涼な声を紡ぐ。常に孤高で、クラスでも浮いている──いわゆる不良生徒を象徴しているような、反抗的な態度。

 だからこそ……彼女はきっかけになる。


「今日も、化粧品を持ってきて、先生に取り上げられて怒られてた、という感じ?」


「お前に関係ねぇだろ」


 それだけ言って、立ち去っていく茅ヶ崎さん。


「──日焼け止めパウダー使うといいよ。色付きのものもあって、化粧の下地に使えちゃうのもあるらしいし……もはやお化粧したように見えるのもあるんだって。それに、あくまで日焼け止めだから、先生に取り上げられることもないしね」


 背中にそう言い放つと、くるりと体を翻す茅ヶ崎さん。


「……んなこと言うために、わざわざ来たのか?」


 小首を傾げながら、彼女は私達を睥睨する。それに怯えるように、体をビクっと跳ねさせる如月さん。彼女の横腹を肘でちょんっと押して、「言うの」と小声で告げる。すると、逡巡するように、私と茅ヶ崎さんの顔に視線を行き来させる。

 しばらくして、なんとか、その一歩を踏み出すと……。


「ち、茅ヶ崎さん……あ、明日……が、合唱コンクールの練習に──そ、その……参加、してくれませんか……っ!」


 そう、強く言い放った。

 茅ヶ崎さんは、つまらなそうに聞いた後。


「はぁ……なるほどな、それが目的か」


 嘆息しながらそう言った。

 そして、舌打ちをしながら、「一回だけな。それで日焼け止めの借りはナシ」と言い残して再び踵を返していった。

 どっと肩の力を抜く如月さん。


「き、緊張したぁ……でも、すごい……僕、あの茅ヶ崎さんを──い、いや、すごいのは語堂さんだけど……」


「別にすごくなんかないわよ。どんな人でも、繋がりを持つきっかけなんて、こんな些細なものなのよ」


「え、そう、かな……?」


「そうよ。たまたま同じクラスだから、たまたま席が近くなったから仲良くなって──たまたま、うちのクラスで如月さんが目立ったから、イジメられているようにね」


「……じゃあ、僕も……もう少し頑張れば、今みたいに……みんな、練習参加してもらえるかな? イジメられなくなる……かな?」


「えぇ。あなたがイジメられるような人じゃないことは──たまたまとかじゃない、”絶対”だって、私が証明するわ」


 本で読んだから、とかじゃない。

 私自身が、知っていることなのだから──。


  ◆◇◆


 それから……如月さんは、自分からクラスメイトに話しかけ、練習に参加してほしいと頼むようになった。

 すると──言い方は悪いけど、”悪目立ち”する茅ヶ崎さんが練習に参加したことも助長させ……一人、また一人と、放課後に残ってくれる人は増えた。

 しかしそれは──イジメに直接関与していないクラスメイトだけでもあった。



 そんな中迎えた、全員強制参加の総合の授業での練習。ここでも、生徒の自主性を重んじるため、教室内には生徒しかいない。

 そして。

 後ろのロッカーがある方に並び、ラジカセでピアノ伴奏を流して、歌う──が、全然、息が合わなかった。如月さんイジメをしているグループを始めとして、練習に一度も参加していないクラスメイトも多かったから。

 徐々に、雰囲気が険悪になっていく。これまで練習に励んでいた人たちが”グループ”を組み──参加していなかった”グループ”に悪態をつきはじめたのだ。すぐに、言い合いに発展する。


(……これもイジメの縮図みたい)


 徒党を組み、その考えが”個”となって、ぶつかり合う。そしてほとんどの生徒は、ただただ傍観しているだけ。誰も、手を伸ばそうとしない。


(でも、今、みんなをまとめられるのは──あなただけ)


 クラス全体が、同じ壁にぶつかったとき。

 スイミーのように、みんなの目となり……命となれるのは、今──。


「み、みんな、落ち着いて! 一旦、僕が歌うから……聞いてくれないかな。まだ、時間はあるから……焦らずに、覚えてくれれば、大丈夫だから!」


 如月さんは、そう──偉大な一歩を、踏み出した。

 みんなの視線が、彼女に集まっていく。

 そして、ラジカセを再生して──。

 玲瓏たる声音を奏でる。ただ一人、存在証明する。

 まるで、鶴の一声のように……空気が、一変した。彼女の世界になっていた。

 スポットライトを浴びるように──皆の視線を釘付けにした。

 そして、歌い終えると……先の剣呑な雰囲気は、すっかりと彼女に飲み込まれていた。


「──僕は、実行委員として……みんなの仲間として、合唱コンクール……成功させたい。協力、してほしい。僕……ヘンなとこ、いっぱいあると思うけど、僕は僕のままだけど……でも、み、みんなと……思い出が作りたい……っ」


 まだ歌い続けているかのように、彼女はすらすらと言葉を綴った。ずっと抱えてきた、本音なのだろう。本懐なのだろう。


(如月さん、あなた──)


 ”本当の自分”のままに、向き合うことができたのね。

 この小さな箱庭で環境を変えるには、そんな、小さなことでいいんだ。

 女子たちが、駆け寄っていく。すぐに、男子たちも駆け寄っていく。彼女をイジメていたグループも……彼女に、絆されていく。

 本当の彼女を知って。受け入れていく。

 私も、引き寄せられるように、静かに、向かっていった。


 如月さんは──嬉々とした涙を揺らしながら、私に笑顔の花を咲かせた──。


  ◆◇◆


 イジメというのは、きっと、絶対に無くならないもので──。

 それでも、手を伸ばすことは、誰だってできる。

 放課後の廊下で、蹲り、すすり泣く一人の女生徒。そんな彼女に、そっと、手が差し伸ばされる。


「──何かあったの? よかったら、僕が、話聞くよ?」


 その希望が、バトンのように、繋がれていった──。

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