筆先に宿る月下美人

@PASQUA

第1話

筆が、動かない。

 ペン先が、紙を走る音を奏でない。

 俺──深町誠の、自分だけの作品が、書ける気がしない

 そんな懊悩を、文化祭迫る、文芸部の部室内で抱えていると。


「──月下美人、テーマはこれにしましょ!」


 語堂つぐみ──語堂さんは、突然机をバンっと叩きながら立ち上がって、そう言い放った。勢いのあまり、眼鏡は傾き、ブラウンのショートヘアーが揺れる。


「うわ、どうしたの、急に。部室、俺達しかいないからって……」


「どうしたって誠ねぇ……文芸誌に載せる短編小説のテーマに決まってるでしょ?」


 語堂さんは眉根を寄せて、じとーっと俺に睨みを利かせる。


「いや、俺も考えることに集中してたから驚いて……」


 下に俯きながらそう言って、頭を整理する。

 文芸部の文化祭の出し物として配布する、文芸誌──そこに載せることになった、俺と語堂さん共著の短編小説──ずっと何一つ決まらず、締め切りが近づいていたが、ついに語堂さんが何か思いついたのだと、ゆっくりと噛み締める。


「考えてたって……あんたはどーせ今日も、何も思いついてないんでしょ? ってか、それでホントに小説家志望?」


「いや共同なんてどうすればいいか分からないし……」


 俺と語堂さんが仲がいいからという理由で、共著で執筆してほしいと部長に頼まれたけど。それがいい方向に働くかは別問題。

 それに。

 これは、語堂さんに話してはいないが。俺は……とある文学賞の新人賞の一次選考で落選してから、スランプ気味なのだ。


「まあなんでもいいけど。私が完璧なアイデア思いついたんだし」


「月下美人、だっけ」


「そ! この学園ならでは──灯台下暗しってヤツね!」


 この学園は昔──学園長の趣味で、校庭の花壇に多くの月下美人が植えられるようになって。その伝統が、今でも続いているという。

 月下美人は、透き通るように白くて……蕾を開いてから、一夜の間でしぼんでしまうという、妖しくも麗しい花。

 しかし──。


「小説のテーマが月下美人……ピンとこないな」


 この学園で……俺を含め、咲いているところを、誰も見たことがないのだから。


「なら、直接見ればいいだけじゃない。校庭にいくらでも植えられてるんだし。クラスのガーデニング委員の子に聞いたんだけど、蕾の感じでいくと──明日か明後日、結構咲くみたいよ」


「いや、この学園じゃ見れないでしょ。月下美人は、夜にしか咲かない──そして一夜で枯れる──学園には、夜入れないんだから」


 そう、あくまで、伝統だけ受け継がれただけなのだ。


「文化祭の──文芸誌のためって言えば、入れてもらえるわよ」


「……まあそれは、そうかも」


「でも、それは逆につまらないわね……よし、忍び込みましょ」


「いや、忍び込むって……」


「そっちの方が、青春ってカンジするじゃない。月下美人が一夜しか咲かないように──青春もきっと一瞬だから! だからこそ、美しい! よし、決まりね! 決行は明日の夜!」


 そう、強引に言われると。

 俺は不思議と、首を縦に振っていた。

 何故だろう。でもそれが、語堂さんのアイデンティティ──魅力、なのかもしれない。誰かの紡いだ物語を、うまく言葉にできずとも心の底から好きになるように。


(俺には、そんな人を惹きつける個性……あるのだろうか)


 俺の紡ぐ物語にも──。


  ◆◇◆


 そうして、翌日の夜……俺と語堂さんは、学園に忍び込んだ。抜き足差し足で、校庭に向かっていく。

 夜の校庭は──さながら、イルミネーションのようだった。煌々と白い光を放ちながら咲き誇る──月下美人。俺達は導かれるように、花壇に歩いて行った。近づくと、ジャスミンのような香りが鼻腔を喜ばせる。

 花壇の元に屈みこみ、俺達は黙って見つめる。

 そうして、しばらく見惚れるように観察していたが。ふと、語堂さんが、口を開く。


「……誠は、どう、思った? 月下美人を見て」


 月下美人の優艶さに飲み込まれるような表情で。されど、悲し気な声音でそう言った。


「え? 美しい……かな。素直に、そう思った」


「そっか。私はね──”儚い”って、感じたわ」


「儚い?」


「だって、そうでしょ? 月下美人は、たった一夜の命。こんなに綺麗に輝いているのに……朝には、枯れ果てているの。それにほとんどは、その芽吹きを、輝きを誰にも見られることもなくね」


「……それは、そうかもしれない」


「でも、私は誠のその感想も……正しいと思う」


 その言葉に、俺は小さく頷くと。語堂さんは夜月に照らされる顔を、こちらに向ける。


「──私達が月下美人を見て、それぞれ感じたこと……それって、小説に対してさ、いろんな意見があるみたいじゃない?」


「え?」


「人によって、感性は違う……。感じ方は、人それぞれ。だからこそ、この世界には……個性溢れる小説が、沢山あるんじゃないかな」


 語堂さんのその言葉に。

 心の霧が、すっと、晴らされるようだった。

 自分だけの作品──そんなものは、存在しないのかもしれない。

 自分の好きな人に、好きな事象に感化され──様々な思想が、感性が混ざり合う。共鳴する。


「……俺も、月下美人は儚いって思えてきた」


「あはは、なら、私達は──私達だけの小説が書ける」


「そうだね。実は俺……スランプだったんだけど、今なら不思議と、筆が進みそうな気がする」


「そりゃよかった。ってか、私気づいてたし」


「え、そうなの?」


「当たり前でしょ? あんたの夢、一番応援してるの誰だと思ってんの? ……それに、小説家志望なら読み取りなさいよ。その……花言葉とか」


「花言葉?」


「なんでもないわよ。月下美人のように──くすっ、起きたら忘れなさい」


 月夜がごとく、月下美人がごとく──語堂さんは満面の笑みを咲かせた。仄かに頬は、赤く染まっていた。

 そして、俺達は静かに。

 絢爛に咲き誇る月下美人を──しばらく見続けていた。



  ◆◇◆


 語堂さんの原稿が回ってきた。俺が、彼女の物語の続きを紡いでいく番。


(主人公とヒロインが、月下美人を見つけるシーン──)


 俺は、月下美人を。

 ”美しくも儚い花”──そう、形容した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る